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●延亨2年(1745)
●寛延元年(1748)
●寛延3年(1750)
●宝暦元年(1751)
●宝暦3年(1753)
●宝暦4年(1754)
●宝暦5年(1755)
●宝暦6年(1756)
●宝暦8年(1758)
●宝暦12年(1762)
●宝暦13年(1763)
戒重(かいじゅう)藩、式上郡岩田村に陣屋を移し、岩田村を芝村と改称、藩名も芝村藩と改称する。
古梅園(こばいえん)松井元泰、長崎で唐墨の製法を学び、紅花墨を完成する。
12月−幕府が城米の減少により近江彦根・大和郡山・和泉岸和田など20藩に補充を命じる。
2月29日−大地震に襲われる。以後7月まで断続的につづく。
芝村藩預り十市(とおいち)郡幕府領農民ら、重税を京都所司代に箱訴(目安箱に
訴状を入れて直訴をする)し、稲刈りを拒否、芝村騒動が起こる。
10月−郡山の城下町で紺屋(こうや)仲間が結成される。
大坂の剣先船・積荷運賃の値上げにより、大和の農民ら藩の領域を越えて団結、国訴(こくそ)に及ぶ。
この年、奈良奉行所が綿問屋の仲間結成を許可する。
郡山の文人柳沢里恭(さととも)病死する。
2月23日−奈良が大火にあい,東大寺戒壇院・興福寺などが焼失する。
吉野郡国栖(くず)・中荘(なかしょう)・川上・小川郷などで紙漉き農民190軒を数える。