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●享保2年(1717)
●享保3年(1718)
●享保7年(1722)
●享保9年(1724)
●享保11年(1726)
●享保13年(1728)
●享保14年(1729)
●享保16年(1731)
●享保20年(1735)
●享保21年(1736)
興福寺に火災が起こり、南円堂などを焼く。
『大和国絵図』刊行される。
郡山藩主本多忠烈(ただつら)病死、跡継ぎがなく家は断絶する。
柳沢吉里、郡山藩主となる。家臣がたずさえてきた金魚が、のちにこの地の地場産業に発展する。
大和国農民・商人ら河内国船問屋・船持らを運賃高騰で訴える。
宇智郡大沢村農民平右衛門、楊貴氏(ようきし=吉備真備の母)の墓碑銘を発掘する。
12月9日−幕府御用採薬使(さいやくし)植村佐平次政勝、吉野の山岳で採薬する。随行の森野藤助、薬草を拝領し
宇陀郡松山に薬草園を開き葛粉(くずこ)の製造を行なう。
4月3日−幕府が畿内諸城の備蓄米調査のため勘定衆を派遣する。
村井古道(ふるみち)『奈良坊目拙解(ならぼうもくせっかい)』を著す。
並河誠所(永)『大和志』(「日本輿地通志」のうち)を刊行する。