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●延宝3年(1675)
●延宝4年(1676)
●延宝5年(1677)
●延宝6年(1678)
●延宝8年(1680)
●延宝9年(1681)
●天和2年(1682)
●貞享元年(1684)
●貞享2年(1685)
●貞享3年(1686)
●貞享4年(1687)
太田叙親(のぶちか)・村井道弘、『南都名所集』を著す。
11月−幕府が奈良奉行に公正な民政を命じる。
幕領で延宝検地を実施。大和は郡山藩主本多政長に命じる。
12月27日−幕府が奈良春日社の禰宜と興福寺の争いを裁決する。
大久保秀興・本林伊祐(ただすけ)、『奈良名所八重桜』を刊行する。
郡山藩二割半無地高(むじたか)増(検地をせず村高を二割半増しとする)を本高に組み込む。
熊沢蕃山、添下郡矢田山に幽棲する。
永井直円(なおみつ)(丹後国宮津藩主永井尚長の弟)、葛城で立藩する。
郡山の人、林宗甫、『大和名所記』(別名「和州旧跡幽考」)を著す。
新庄藩主桑山一尹(かずただ)改易され、廃藩となる。
3月−淀川下流城の洪水防止のため,山城、近江、摂津、河内、大
和の山地で草木根の採取を禁止するなどの治水条令を出す。
松尾芭蕉、大和路を遊歴する(『野ざらし紀行』)。
6月10日−幕府が松平信之を老中にし,22日,郡山より下総国古河に移封する。
郡山藩主松平信之、老中となり下総国古河藩主に転封、本多忠平、郡山藩主となる。
奈良東大寺大仏殿の造営が始まる。
松平信通(松平信之の二男)平群郡興留(おきどめ)村で立藩、
元禄6年備中庭瀬藩主に転封、廃藩となる。
閏3月26日−幕府が公卿、門跡、寺社領の判物・朱印を京都所司代に頒布させる。
奈良の案内誌・地誌『奈良曝(ならざらし)』刊行される。