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●明和3年(1766)
●明和5年(1768)
●明和6年(1769)
●明和7年(1770)
●明和8年(1771)
●安永2年(1773)
●安永3年(1774)
●安永4年(1775)
●安永8年(1779)
2月7日−幕府が長州藩・新発田藩など9藩へ、美濃・伊勢と甲斐の河川の堤防普請を命じる。
9月13日−亀山藩領83カ村の農民が,荒れ地検地と茶・桑年貢の廃止などを要求して
一揆をおこす(北勢騒動)。
8月10日−伊勢遷宮にあたり、幕府からの太刀献上のため,高家
(こうけ)が江戸を出発する。9月3日に内宮,6日に外宮が遷宮。
藤堂高嶷(たかさど)、代9代津藩主となる。
7月−伊勢神宮へのおかげまいりが諸国で大流行し,参加者が200万人を超える。
津藩、洪水、大風雨による減収が18万石に上る。
8月−東海道の桑名宿が,熱田宿から四日市宿へ直接海を渡る航路に
反対して訴願運動をおこす。
津藩、洪水、大風雨による減収が13万石に上る。
画僧の月僊(げっせん)が伊勢山田の寂照寺を復興して住職となる。
谷川士清(たにがわことすが)が国語辞典の先駆として名高い『和訓栞(わくんのしおり)』を著す。
2月7日−幕府が尾張・美濃・伊勢の領主へ河川普請助役を命じ,あわせて便乗値上げを禁じる。