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●延享元年(1744)
●宝暦元年(1751)
●宝暦3年(1753)
●宝暦5年(1755)
●宝暦7年(1757)
●宝暦13年(1763)
5月15日−津藩が藩士と村方の者との養子・縁組を禁じる。
板倉氏にかわって亀山藩主として石川総慶(ふさよし)が入封し、以後、石川氏が6万石を領して
定着する。
津の谷川士清(ことすが)が「日本書紀通証」35巻を完成する(1762刊)。
白子(しろこ)・寺家(じけ)の型紙株仲間が規約をつくる。
足かけ3年にわたる木曾3川改修工事が完成し、薩摩藩の総奉行平田靱負(ゆきえ)が難工事の
責任を負って自刃する。
京都遊学から松阪に掃った本居宣長が医業のかたわら、国学の研究にうちこみ、
門人にも教える。
5月25日−本居宣長が松坂で国学者賀茂真淵とあう。