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●万治元年(1658)
●寛文2年(1662)
●寛文5年(1665)
●寛文9年(1669)
●寛文10年(1670)
12月20日−山田宿の規定を厳格にする。
5月1日−大地震で近畿全域が大被害をうけ,亀山城が崩れる。
12月16日−津城内から出火し、津城本丸および城下738戸を焼く。
伊勢神宮の別宮である伊雑宮(いぞうぐう)と伊勢神宮が本宮争いをする。
津藩がキリシタン奉行を設置し、宗門改めをはじめる。
津藩より久居藩五万石が分封され、藤堂高通が初代藩主となる。
この年、松阪の商家の出身である大淀三千風(みちかぜ)が俳人として立ち、
松島(宮城県)の旅に出る。
津藩が地方知行(じかたちぎょう)を全廃する。
伊勢度会(わたらい)郡出身の河村瑞賢が東廻り航路を改良し、外海江戸廻り直航コースを開く。
翌年には、西廻り航路を改良する。