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●慶長5年(1600)
●慶長6年(1601)
●慶長7年(1602)
●慶長8年(1603)
●慶長9年(1604)
●慶長10年(1605)
●慶長11年(1606)
●慶長14年(1609)
●慶長15年(1610)
●慶長16年(1611)
●慶長18年(1613)
●慶長4年(1599)
朝鮮から連行した陶工和平意が串木野町下名(しもみょう)村に窯を築く。
徳川家康、島津家と伊集院忠真との調停を行う。
9月15日−関ケ原の戦い。
関ケ原の戦で義弘は西軍に属し、家康の本陣を中央突破して伊勢路を経て大坂から帰国する。
5月−島津義弘が、海賊を集めて明船を襲った堺の商人伊丹屋助四郎を磔刑にする。
ドミニコ派の宣教師一行が甑島(こしきじま)に上陸。
東郷重位(とうごうちゅうい)が体捨(たいしゃ)流の東親之丞(ひがししんのじょう)と内城で立ち合って破り、
示現流がお家流になる。
3月27日−薩摩領主島津家久と伯父義久が、徳川家康に誓書を提出する。
4月11日−家康が、島津義久に薩摩・大隈両国と日向諸県(もろかた)郡の旧領を安堵する
誓書を与え、義弘の子家久に相続を許す。
3月3日−朝鮮人が国政を改革するため、島津家久(忠恒)に援助を請う。
6月7日−島津家久が領内の外国貿易に関する規定3か条を定める。
3月−島津義弘が、朝鮮より帰化した朴平意らに苗代川窯を開かせる。
7月−幕府が、薩摩藩主島津家久に、江戸城築城用の石船300艘を建造させる。
6月17日−島津家久が幕府より琉球征討の許可を得る。
初代藩主家久は琉球ヘ出兵。首里城を陥れ、国王尚寧(しょうねい)は
降伏し鹿児島へ同行される。
島津家久、来日した安南使節を駿府の家康の元へ送る。
直曲智(すなおかわち)が砂糖黍の苗を大島の大和浜に植え、黒砂糖約100斤を製造したという。
1月21日−島津義久(79)没。
9月19日−家久が琉球王尚寧(しょうねい)に知行目録を与え、奄美諸島の分割を通告する。
6月1日−家久が琉球に法度を定め、明との貿易のために出資する。