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●寛永8年(1631)
●寛永9年(1632)
●寛永12年(1635)
●寛永13年(1636)
●寛永14年(1637)
●寛永15年(1638)
●寛永17年(1640)
●寛永元年(1624)
3月17日−薩摩藩主島津家久が琉球王尚豊(しょうほう)に命じ,上布・下布・
船綱・シュロ皮・牛皮・菜種油などの輸出を禁じる。
6月−薩摩藩が八重山諸島のキリシタン嫌疑者を火刑に処す。
8月−薩摩藩が奄美諸島を蔵入地とする。
薩摩藩が那覇に琉球在番奉行を設置する。
薩摩藩が琉球に大和横目(やまとよこめ=目付)を設置する。
10月12日−薩摩藩が宗門手札改制を定める。
はじめて宗門手札改めの制を定め宗門方を置き、家老島津久慶が切支丹宗門改掛となる。
この年、全国でキリシタンでないことを証明する寺請制度が広がる。
1月20日−薩摩藩が琉球でもキリシタンの厳重な探索を命じる。
島原の乱がおこり、出水(いずみ)地頭山田昌巌(しょうがん)らは獅子島に備え、陸隅から島原に出兵して
翌年の島原城攻撃に参戦。乱の後は陸隅の農民を島原に移住させ復興にあたらせる。
2月23日−薩摩藩主島津家久(63)が没し,家臣9人が殉死する。
永野金山の採掘を島津久通が始める。翌年産金のうち989万両を幕府に献上する。