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●享保4年(1719)
●享保7年(1722)
●享保11年(1726)
●享保14年(1729)
●享保17年(1732)
●享保19年(1734)
●享保2年(1717)
12月28日−幕府が九州の諸大名に外国船を見つけしだい打ち払うよう通達する。
3月−薩摩藩主島津吉貴が清国の政治・制度・風俗について幕府に報告する。
6月13日−幕府が西国大名に密貿易敢り締まりの強化を命じる。
9月4日−薩摩藩、享保内検に着手し、11年3月に終わる。薩摩国30万8,292石あまり、
大隅国25万5,085石あまり、日向国諸懸(もろかた)郡15万7,661石あまり
道之島・琉球14万5,987石あまり、計86六万7,027石あまり。
9月11日−幕府が薩摩藩など九州・中国の15藩に清の密貿易船打ち払いを命じる。
6月−前将軍綱吉の養女竹姫の島津綱豊への降嫁により,幕
府は薩摩藩に対して上げ米を免除する。
煌害(うんかの被害)によるいわゆる享保の大飢饉がおこるが、薩摩藩では甘藷が普及
していたので餓死者はなかった。
薩摩出身の狩野派の画家木村探元(たんげん)が皇居や上皇の御所の屏風絵を描き、
大弐法僑の位が与えられる。