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●宝暦3年(1753)
●宝暦4年(1754)
●宝暦5年(1755)
●寛延3年(1750)
12月16日−延岡藩領内大塚・富吉村ほかの農民が検見取り・夫食米を願い出るが拒絶される(翌宝暦元年1月
薩摩領へ逃散)。
12月25日−幕府が,薩摩藩へ木曽川治水工事を命じる。
普請奉行平田靱負(ゆきえ)以下約1,000人が、木曽・長良・揖斐3河川の治水工事に着手し、翌年3月竣工。
5月に検分したあと、総奉行平田は80余人の犠牲者を出したことや、工事費が40万両にかさんだ
責任をとって自刃する。
7月8日−幕府が,追放者や欠落者が長崎に入って悪事を働くとして,彼らの長崎立入禁止を
九州などの諸大名に命じる。