神様のおはなし:第3回

 私たちの体が滅びた後、それでも魂は生きつづけるのです。
 言いかえれば、私たちが死んでから後も、私たちの魂だけは生きている存在なのです。それが人間の、本当の姿なのです。
 私たちが、私たちの人生最後の場面、つまり「死」を迎える瞬間において、私たちの魂を罪にけがれたままにしておいたら、この魂を造ってくださった神様は、いったいどう思われるでしょう。
 体の上に残る傷は、いつか治り、目立たなくなる日がきます。けれども魂の上に残った大きな罪の傷あとは、どうやって消せば良いのでしょう。
 人として、なすべきことをすべて終え、そして神様の御国へ入ろうとする瞬間、まるで宿題を忘れて、先生の前でもじもじする子どものように、神様の御前で顔もあげられずに、ただうなだれていれば良いのでしょうか。そんな私たちをご覧になった神様は、どれほど悲しまれることでしょう。
 イエス様は神様です。人間になった神様です。私たちの魂を救うために、体が滅びても、そのまま生きつづける私たちの魂を救ってくださるために、この世にお生まれになった神様です。
 イエス様はたくさんの人の病気を治して、そしてたくさんの人に「魂」を救うことの大切さを教えてくださいました。
 だから、たくさんの人がイエス様をお慕いしました。たくさんの人がイエス様を尊敬しました。けれども、そのことを良く思わなかった人もたくさん、いました。この不幸な人の多くが、イエス様のお生まれになった国では指導者と呼ばれる人たちだったり、あるいは知識にすぐれているといわれた人たちであったり、裕福な生活を送っていくことのできる人たちであったのです。
 彼らは、貧しい人々がイエス様を慕い、尊敬する様子を見て、ねたみの心を持ってしまったのです。

 イエス様は、どんなに偉い人たちに対しても差別することなく、おとがめになるときには、きびしくおとがめになられました。この世の中での「地位」や「豊かさ」が、「魂」を救うのではありません。そのことを、イエス様ははっきりとお伝えになったのです。
 残念なことにその当時、指導的な立場にいる人の多くが罪深い生活を送っていたようです。弱い立場の人を気にもかけず、それでいて自分だけは豊かな暮らしをしてみたり、自分の罪はいっこうに改めずに、人の欠点ばかりをとがめてみたりといったようなことを、必ずイエス様はきびしくお叱りになったのです。
 いつの時代も、権力を持っている人は、自分の持っているその権力を振りかざすようになってしまうものです。
 いつの日かこの国の指導者たちは、イエス様を殺してしまおうと考え始めたのでした。

 イエス様はそのこともご存知でした。
 しかし、イエス様はご自分のお仕事ぶりを何一つ変えようとなさらず、お仕事を続けられたのでした。やさしく、強く、そして時にはきびしく、多くの人の魂を救おうと、ひたすら努力なさいました。
 指導者たちは何度もイエス様を捕らえて殺してしまおうと、いろいろな悪知恵を思いめぐらしていましたが、イエス様のお仕事が完成するまでのあいだは、イエス様に手をかけることができませんでした。

 ものごとには必ず始まりがあり、そして終わりがあるのです。
 イエス様のお仕事も完成の時が近づいていました。悪だくみを考えていたこの国の指導者たちは、いっそう激しくイエス様を迫害なさいました。
  イエス様はまるで迫害を受けることも自分の仕事だ、と言わんばかりに何一つとして抵抗なさいませんでした。
 激しくむちでたたかれ、いばらの冠をかぶらされ、肩に食い込むほど重たい十字架をかつがされても、イエス様に次から次へと苦しみを押し付けてくる悪人たちのことを哀しそうな目で見つめるだけで、イエス様は何一つとして抵抗なさろうとはしませんでした。
 イエス様の手の平と足が、くぎで十字架に打ちつけられました。くぎはイエス様の体をつらぬき、そしてイエス様はついに十字架にはりつけにされたのです。
 イエス様は神様です。だから、このとき「この悪人たちをこの世から消し去ってください。」とおっしゃれば、そうできたはずです。悪人どもをこらしめ、イエス様の目の前から消し去ることだって、簡単にできたはずなのです。
 しかし、イエス様はそのようにおっしゃるかわりに、ご自分をこの世にお送りになった天のお父様に向かってこう、お願いなさいました。
 「主よ、どうか彼らを許してあげてください。彼らは自分が何をしているのか、わからないのです。」

 イエス様は、私たち人間の罪をつぐなうために、この世にお生まれのなったのでした。だから十字架にはりつけになったときにも、怒りのことばは何一つとしておっしゃられずに、ただ私たちの罪を天のお父様にお許しいただくことを願って、そしてご自分の苦しみと命を神様におささげになったのでした。
 一番大きな愛は、自分以外の人のために命を捨てることです。「お母さんたち」は、このことをよくおわかりになっていらっしゃるでしょう。ご自分の子どものために、お母さんたちは命をささげていらっしゃるのですから。
 私たちは、心から祈りたいと思います。
 「神様、今までの私たちは、なにをどうしたら良いのかわかりませんでした。どうか私たちの罪をゆるし、進むべき道を示してください。お願いいたします。」