神様のおはなし:第1回

 今日は、皆様に大切なお話をしたいと思います。  大切なお話と申しますと、それはずばり、「神様のおはなし」です。
 皆様の中には、何回もお聞きになったことがある方もいらっしゃるでしょうし、耳にしたことがある方もいらっしゃるかもしれませんが、実は私たち人間は神様の子どもなのです。これは間違いないことなのです。
 なぜ、「間違いない」などと、そう、はっきり申し上げることができるのか、といいますと、確かに人間の体には、他の動物とよく似た部分がたくさんあるのですが、人間の「魂」によく似たものが、他の動物のなかに見当りません。そして、この人間にしか見当たらない「魂」こそ、神様が私たち人間にだけ授けてくださったもので、しかも、神様が私たち人間を、ご自分の「似すがた」として造ろうとなさったことの「あかし」、証拠なのです。
 だから、私たち人間は、神様の子どもであることに間違いはないと、はっきり言い切ることができるのです。

 私たちがこの世に生まれてきたのは、自分が神様の子どもであることに気づき、そして、神様を愛し、神様を助けるための働き手となって、神様をお慕いするためなのです。言いかえれば、生きることとは神様を愛し、そして本当の愛とは何かを知るための旅であると言うことができるのです。
 神様のために心を尽くし、そして体を尽くして、まるで自分の親に親孝行するように働こうとなさる人は、いつの日かきっと神様の、この上なく美しい御国、天国へと迎え入れられることでしょう。
 もちろん、がむしゃらに、自分が何をしたら良いのかわからずに、ただ努力すればそれでいいのかといいますと、そうではなく、神様の美しい御国に入るための、この世での「生き方」を知ることが大切なのです。
 では、どうやって、この「神様の御国へ行く道」を知ればいいのでしょうか。
 実はこの道こそ、「キリストの道」、イエス様の御教えなのです。キリストは言われました。
 「私は道、真理、命である。」
 私たち人間の一人ひとりが「神様の御国へ行く道」=「キリストの道」を知るようになるため、なんと神様はご自分の一人のお子様を、この世に送ってくださったのです。
 その御ひとり子は、この世で私たちと同じ人間として33年間を、イスラエルの国でお過ごしになったのです。この方のお名前こそ、イエス・キリストです。
 イエス・キリストは、神様でありながら人間としてこの世にお生まれになりました。
 ここで、よく注意しておかなければならないのは、人間であったイエス・キリストが、のちのち神様になられたのではなく、もともと神様でいらっしゃったイエス様が、なんと私たち人間のために、私たちと同じ人間の姿になってくださったという点です。神様は、私たちへの尽きることのない愛を示してくださったのです。そのために「神様」である、というお立場を捨ててくださったのです。
 今から2千年近くも昔のこと、イエス様は、ベツレヘムというユダヤでも小さな村でお生まれになりました。イエス様のお母様はマリア様。お母様のマリア様は神様の突然の呼びかけに、それはそれは、素直に応じられたのでした。このときの神様の呼びかけとは、それはマリア様が神様の御ひとり子を、身ごもるというものでした。マリア様はきっと、びっくりなさったにちがいありません。しかしマリア様は、神様の、この呼びかけに、すなおに心を開かれたのでした。

 さて、イエス様には育ての親としての「お父さん」もいらっしゃいます。
 実のお父様はこの世のすべてをお造りになった全能の神様ですが、イエス様が人間のお姿になられてこの世にお生まれになったのですから、この世での「お父様」が必要です。このお父様の名は、ヨセフ様とおっしゃいます。
 イエス様は、馬小屋でお生まれになりました。神様のたったお一人のお子様が、しかも、私たちをお救いくださるためにこの世にお生まれになる場所として選ばれたにしては、あまりにもまずしく、そしてあまりにも小さな場所でした。ベツレヘムという小さな村のまずしい馬屋、これがイエス様の生まれた場所でした。
 なぜ、このようなところでイエス様はお生まれになったのでしょう。

 ちょうどイエス様がお生まれになったそのころ、イエス様のお生まれになった国では人口の調査がありました。今のことばで言えば国勢調査です。ですからこの国の人々は皆、自分の祖先をそれぞれの村の役場まで届け出に行かねばなりませんでした。
 イエス様のお母様のマリア様と、大きな心でイエス様をむかえいれられた養父のヨセフ様は、ダビデ家の方でした。ダビデ家の方は皆、ベツレヘムの村の役場に届け出をしなければならない決まりでしたから、マリア様とヨセフ様のお2人は、そのとき住んでいらっしゃったナザレの村からベツレヘムまで、歩いて旅をなさったのでした。  数日かかってやっとベツレヘムに到着したお2人は、役場での届け出をすませ、ご自分の親戚の方々や、泊めてもらえるような宿をおさがしになったのですが、なかなか見つけることができませんでした。
 マリア様はこの間にとうとう月満ちて、旅先のベツレヘムのはずれの馬小屋の中で、イエス様をお生みになり、イエス様はこの、小さなまずしい馬小屋の中で、うぶごえをあげられたのでした。
 いまも私たちは毎年12月25日、クリスマスになると馬小屋に仕立てた飾りを作ってお祝いをします。そしてその馬小屋の飾りの真ん中で、愛くるしくほほえんでいらっしゃるイエス様に出会うことができます。マリア様もヨセフ様も、生まれたばかりのイエス様に、しあわせそうにほほえみかけていらっしゃったにちがいありません。
 クリスマス、それはよろこびと希望にあふれる日なのです。