神様のおはなし:第2回

 さて、聖書の中の福音書を見てみても、イエス様が30歳になるまでは、特別にかわった働き、人々を救い、神の道へ導くようなお仕事をなさったようには書いてありません。おそらく静かな生活を送りながら、養父であるヨセフ様のお手伝いなどをなさっていたのでしょう。
 ヨセフ様は大工さんでしたから、イエス様も大工仕事のお手伝いをなさったことがあるのかもしれません。
 そののち、30歳から33歳までがイエス様にとって、特別なお仕事をなさった時間です。イエス様の、特別なお仕事とはつまり、公のお仕事、人々を迷いや苦しみから救い、神様の御教えをお伝えになるお仕事です。
 イエス様の公生活は3年間だけではありましたが、この3年間こそ、私たちをふくむ、全世界のすべての人間をお救いくださるお仕事をなさった期間なのです。
 イエス様はこの時期、町から町、村から村をかけ回ってまずしい人々を助け、いじめられている人々を思って涙を流され、かわいそうな人、病気で苦しんでいる人々をいつくしみ、はげまし、そしていやされました。
 その時代のユダヤの国には、重い皮膚病に苦しむ人々もおおぜいいらっしゃったようです。体じゅうがはれ上がり、うみが止まらない人々を前にしたイエス様はある日、その中の、10人の患者さんのことをとりあげ、「この人々の苦しみをとりさってください。」と、ご自分の本当のお父様である神様にお願いしてくださいました。
 すると、その10人の人々の病気はすっかりよくなり、傷あともきれいに治ってしまったということです。
 また、イエス様は耳の不自由な人、足の具合が悪くて立つことも、歩くこともできない人、あるいは体の自由がまったくきかなくなって苦しんでいる人も、いやしてくださいました。
 ふしぎな薬をつかったりしたのではありません。ただ、イエス様がひとこと「おねがいです。この人の苦しみをとりさってください。」と、おっしゃっただけで病気がなおってしまうのです。やはりイエス様は神様なのです。
 なぜなら、たとえば1人の大工さんが家を建てたとします。その大工さんは自分が建てた家のすみからすみまでを知っているわけですから、その家が台風にあったり、何年か経って、家のあちこちに傷みや狂いが見えはじめたとしても、材料さえあれば、すぐになおすことができるのです。
 神様は私たち人間の、体も魂も、人間のすべてをお造りになられた方ですから、私たちの体のことも、魂のことも、なにもかも知りつくしていらっしゃるのです。
 だから、私たちの体や魂がいたんだとき、神様はすぐに治すことができるのです。イエス様はそのことをご自分でも、よくご存知でした。
 だから、イエス様も人々の病気を、簡単に治すことがおできになられたのです。
 でも、イエス様は「腕の良いお医者さん」として、この世に生まれてこられたのではありません。イエス様が本当にいやそうとなさったのは、私たちの魂でした。
 イエス様は確かに、3年間のお仕事の中で多くの病人をいやし、その病気を治されました。それまで病気に苦しんでいた人々は、イエス様のお力で病気から解放され、大変喜んだにちがいありません。しかし、その人々が2度と病気にかからないか、というと、そうではありません。ある日また、別の病気にかかることだってありえますし、年老いて、いのちの炎が消える日は、いつかはきっと来るのです。このことは、私たち人間に限らず、「生きているもの」の宿命なのです。
 それでもイエス様が病気の人の苦しみを取り去るために努力なさったのは、ご自分が神様でいらっしゃることを証明しようとなさったのだと思います。
 しかし、イエス様が本当に救いたかったのは、人間の「体」では、ありませんでした。では、それはいったい何だったのでしょうか。

 人間の「魂」こそ、イエス様がお救いになられたかったもの、そしてすべての人間の魂をお救いになるためにこそ、イエス様はこの世にお生まれになったのです。
 たとえば病気で苦しむ方が、その病気をイエス様のお力で治していただいたとします。その方はうれしさのあまり、ほんの少し欲を出してしまいました。もっと、もっと長生きしたい。長生きして、もう少しお金持ちになって暮らしたい。さらに長生きして、人の上に立ちたい。そんなふうに思ってしまったとしたら、神様のお力で、せっかく病気の苦しみから解放されたはずのこの方の魂は、また再び大きな苦しみのなかで生きつづけることになるのです。
 さらに申し上げるならば、人間の「体」はいつか滅びるとしても、その「魂」は永遠に生きつづけるのです。  永遠に生きつづける「魂」を持つ人間の姿こそが、神様がご自分に似せて造ってくださった、私たちが知らずにいた「人間の本当の姿」だとしたら、「魂」の救いがどれほど大切なものであるかがお分かりいただけると思うのです。
 生きている時間など、ほんの一瞬の出来事であって、死んでから後の時間の方が、ずっとずっと長いのだ、と知りさえしたら、私たちの生き方を変えなければならないような気がなさいませんか。
 イエス様が私たちの病気を治してくださりながら、本当におっしゃりたかったのは、このことでした。