2001年皆生トライアスロン大会
初ロングが、この年の皆生でした。これまでの人生で一番輝けた記憶にも記録にも残る大会です。
185.195kmの果てに
ゴール直後 まだまだ余力あり皆生無事完走できました。
完走できたのも辻本さん、澤田さん、石川夫妻、岡村さん、小山さん、岡崎(妻)さん、その他多くの方の応援。また草山さんはじめ大勢のスタッフ・ボランティアの方々のお陰です。また舞鶴での痙攣を踏まえて動物性脂肪の摂取を薦めて下さった笠次さんのアドバイスも私を支えてくれました。まず最初に御礼申し上げます。(自称:鉄砲屋の米子市長にも御礼を申し上げます)
出場のために3年の歳月を要し、やっとの思いで辿り着いた皆生。。。思い入れが強すぎて皆生に向かう車中からワクワクしていました。
レースは怖い程に順調でした。苦手のスイムではバトルに巻き込まれないように人が寄ってきたら迷わず後ろに下がり、無駄に蛇行しないようにコース際を泳ぐ作戦。コース際は逃げ場所がないのでヤバイかなとも思いましたが、意外な程空いています。
コースロープから1mほど離れたところを皆さん泳ぐのでコースロープ際は道が空いていました。潮流によりロープが歪んでいる可能性もありますが快適に泳げるのは良いです。折り返しを過ぎた当たりからレースペースにしたのが幸いしたのか45’52”とプールでも出したことのない記録でスイムアップ。
ここで最難関のスイムから解き放たれた事、あまりにもタイムが良かった事で楠は完全に調子にのってしまいました。
バイクはとにかく無理をしない事だけ心がけました。辻本さんや澤田さん、岡村さんがいらっしゃってもカメラマンがこっちを狙っていてもダンシングや無理なペースアップはしないように我慢我慢(我慢できずにカメラの前で1回だけダンシングしました)。
抜いた数は覚えていないのですが、抜かれた数はよく覚えているものです。結構抜かれたので「俺はこんなもん」と言い聞かせ頭が熱くならなかったのが良かったのかもしれません。バイクフィニッシュ。何やら応援が騒がしい(この時点で43位だと知ったのはゴール後。210人抜き) 。ストップウォッチはスイムの接触で15分当たりで止まりスイムアップ時に気づいて再スタート、サイクルコンピュータも自動スタートが切れていて正確なタイムは???状態。
応援の方から「速いぞ」とか漏れ聞こえてくるのですが、状況が良くつかめません。ランスタート直後に知り合いの方から「暑いから無理せずに行け!」とのアドバイスにも無邪気に「ガンガンぶっ飛ばします」なんて言ってしまいました。(この言葉を聞いた知り合いはとても心配そうな顔をしていました)
ランもすこぶる好調。バイクのダメージもなく、日応寺のトレイルランに比べれば余裕がありましたが無理せず走りました。
状況が見え始めたのは10km過ぎ。沿道から「29位!」と声をかけらけました。「また適当な事言って~」位にしか受け止めてなかったのですが、その次の方も、またその次の方も少々のズレはありますが順位を教えてくれます。事の重大さに気づき15km過ぎて俄然やる気モード(少々早過ぎた)25kmまでは抜きまくりましたが、快進撃もここまで。
女性優勝の松本晴美さんに追いつかれ、「私も干からびてギリギリです。どこまでいけるか分かりませんが、一緒にいきましょう」なんて女性に誘われるとホイホイついて行ってしまいました。(25kmで9分差をひっくり返されたのですからついて行くのは間違いですね)
2つほどエイドをご一緒できたので5kmはついていけたと思うのですが地力が違いすぎました。あっという間に離されて、追い討ちで暑さと靴擦れにやられて失速。(あ~ゴールまで一緒にいけばTVに映れたのに。。。)
結局バイク終了から僅かに順位を上げて38位(09:27:50) でフィニッシュしました。
過去100位以内完走をしたことがないので、漠然と100位に入れればいいな~程度の願望しか持っていなかったのに、この成績には応援の方々以上に自分がびっくりしました。
大会の運営について大会事務局は毎年様々な苦労をされていらっしゃいます。地元との共栄を目指し、陸橋や信号遵守。今年はバイクを150m押して地下道をくぐるコース設定でした。命を削って1秒を縮めるプロの方には申し訳ありませんが、このまま地元生活優先で今後も歩んで頂きたいと思います。マーシャルの多さと選手マナー向上の相乗効果か私の周りではドラフティングやゴミのポイ捨て、暴言もなく気持ちのよい大会でした。来年も皆生に出場し、暑さを満喫したいと今から思っています。