| |||||
『やっちゃれ、やっちゃれ! [独立・土佐黒潮共和国]』を読んで | |||||
坂東眞砂子 著<文藝春秋単行本> | |||||
『山妣』で直木賞を受賞した、既に亡き高校の同窓生が五年ほど前に、地方を蔑ろにする中央政府が露骨にし始めた“国家主義”に憤慨して著したと思しき小説を読んだ。当然ながら、今や殴り合いの喧嘩の様相を呈してきた“沖縄問題”をも意識して書かれた作品だ。 これまでに『男たちの大和/YAMATO』&『大日本帝国』['82]、『武士道残酷物語』['63]、『龍馬伝』、『祖谷物語 -おくのひと-』、 『ラブ&ピース』&『映画 みんな!エスパーだよ!』の映画日誌などでその名を記して言及してきているが、「同世代で、同じ学舎に過ごしたことも作用しているのか、かねがね自分の思っていることと符合してい」る作家だから、本作においても凡そ政治的中立などというナンセンスなまやかし言葉とは対極にある挑発的な物語が展開されているのだろうと予想していたら、思わぬ糖衣にくるまれていて、いささか呆気にとられた。あろうことか、同じ郷土出身作家である有川浩の作品を想起させるような緩くふわふわしたキャラクター造形と文体に、坂東眞砂子作品とは思えない気がした。 とはいえ、そこは坂東眞砂子だから、“第一部 独立”の早々から、政治的立ち位置を明確にしている。ドキュメンタリー作家のマイケル・ムーア監督が『シッコ』で取り上げていたキューバに関して「自給率百パーセント…「ソ連の衛星国だった頃のキューバは、食糧もエネルギーもソ連に依存していたがよ。けんど、ソ連の崩壊後、供給は絶たれ、さらにアメリカに経済封鎖され、突如として生存の危機に晒されたわけよ」 食糧を作ろうにも、石油がないからトラクターは動かない、化学肥料も作れない、餌とワクチン不足で家畜は次々と死んでいく。日用品、医療品などの欠乏はいうまでもない。そこでキューバ政府は、国の方向を転換した。都市の空地は残らず野菜畑に変えた。国民には肉食から菜食への転換を呼びかけた。野菜は無農薬、有機肥料で栽培することにした。脱ダム宣言をして、森に木を植えた。それによって、海に流れこむ川の水量を回復させ、魚を増やし、漁業の活性化を狙った。エネルギー源としては、小水力発電と太陽光発電、生物資源発電に取り組む一方、石油を使う車ではなく、自転車を奨励した。医療品不足は、鍼灸や薬草で解決する。外来物資に頼らず、自給によって自立し、外貨は観光で稼ぐという方針を打ち出して、見事、国を再建した。」(P30)と記してあったことが目を惹いた。土佐黒潮共和国も基本的にこのイメージで描かれていた気がする。 また、「歴史にはとんと疎い。守備範囲はせいぜい日本の戦後以降だ。…腹芸というのは、古今東西の政治家たちが磨いてきた芸に違いない。単純実直さで選挙民を掴んできた智彦には苦手な芸だが、楢崎(自由民党党本部幹事長)の意味するものはわかった。…東京という一千万都市で政界を牛耳る者たちにとっては、高知の問題は、全国四十七ある都道府県のどこにでもあることで、ことさら高知にこだわる必要はない。…そんな中で高知により多くの予算をもたらすには、中央政界でのし上がるしかない。そう思って、ひたすら我慢と滅私奉公でここまでやってきた。滅私奉公をしている限り、智彦は、自分は真実一路の政治家であると自認することができた。その滅私奉公の先が、国であっても、重鎮の政治家であっても、高知の選挙民であっても、意に介することはなかった。なにしろ、この自認こそ、智彦の強みであったから。」(P100~P101)と描出され、「俺は、日本の一地方に投げられた、ただの棄て石に過ぎなかったのか……」(P347)と党本部と訣別し、「――百々智彦元日本国国会議員が、黒潮共和国で新党『黒潮の会』を立ち上げました。今後、国内の政党政治の樹立を目指していくとのことです」(P351)と報じられることになる政治家 百々智彦は「議員生活が長くても、演説は一向に上手にはならない。その朴訥さがいいという支持者もいる」(P206)とも描かれており、その造形は、巻末の謝辞にも明記されている現防衛大臣の中谷元(当時は元防衛庁長官)から得た人物像を元にしていると思われるのだが、彼もまた高校の同窓生なので非常によくわかるような気がした。 五年余り前の民主党政権下で刊行された作品だが、東日本大震災前の時点ながら「…見込みがあったら、今の大変さもたいしたもんには思えん。…まっこと。一番、滅入るがは、お先真っ暗いう状態やきのおし」(P111)とか、「大勢の人を巻きこんで、物事を動かそうとすると、それぞれの思惑が入り乱れて、混乱する。よほど自分の行き先を見据えていないと、いつか人々の思惑に搦めとられてしまう」(P117)といった世の中の先行き不安と指導的立場にある為政者の混迷が綴られていたが、現実の日本では一向に改善の兆しがないどころか、震災以降さらに状況が悪化しているように感じた。 いや、震災以降という紋切り型の区分けよりも、僕自身の感覚ではむしろ政権交代を繰り返すたびに悪化の一途を辿っていると言ったほうが実感に近い気がする。もっと言えば、国政選挙を重ねるたびにという感じだ。どうしてそうなってきたのかという点についての自分の想いと重なるところがあったのが「(黒潮共和国代表[元県知事]浜口)理恵子は、ほとんどのスキャンダルは、大衆意識を枝葉末節に向けるためのものだと思っていた。ほんとうに注意を向けるべきは、日本政府と大企業の癒着とか、国民生活の実質的豊かさの貧困とかであるはずなのに、恋愛沙汰や末端分子の裏金とかで大騒ぎしている。そんな動きを誰かが操作して作りあげているわけでもないだろうに、日本はいつの間にか、肝心のことには目を向けずに、枝葉末節に大騒ぎする国になってしまった。この大きな汚濁の流れは(独立をしても)押し寄せてくる。」(P158)との一節だった。 そうは言っても「大衆は、夢を見ている間は熱狂する。どんなことにもついていく。しかし自分の足許が危うくなると、指導者を糾弾しはじめるものです。第二次世界大戦中、ことにその当初において、日本の国民の多くは勝利に熱狂した。行け行けムードだった。ところが戦争に負けたとたん、戦争に突入したのは、軍部による独裁のせいだったという見方が主流になった。一時的にせよ、自分たちも戦争に熱狂したことは忘れてしまいました…大きな改革を行う指導者は、独裁者だというレッテルを貼られる覚悟が必要だということです」(P164)との辻篤太郎内閣庁代表(庁代表会議進行役)の浜口共和国代表に向けた言葉に出会ったりすると、大きな勘違いであって、ポピュリズムへの警戒を装ったこういう追従が最もたちが悪いと感じつつ、まさにこれと全く同じような追従が現在の安倍内閣のなかで繰り返されている気がしてならなかった。 また、富良野GROUP公演『屋根』の観劇ライブ備忘録にも引用した「(高知県が独立して)電気洗濯機を使わなくなって以来、手洗いは日課となっている。新村人たちは洗濯が辛いと文句をいっているが、房江にとっては子供時代に戻っただけのことだった。 洗濯機も掃除機も冷蔵庫もテレビも、あの頃の村にはなかった。戦後、それらを村人が買えるようになった時、こんな楽な機械があるかと感嘆したものだった。しかし、なくなってしまえば、元の暮らしに戻るだけだ。あの便利な機械に囲まれていた頃は、夢だったのかもしれないと思いもする。 いずれにしろ、人生はどこか夢のようなところがある。歳を取るにつれ、過ぎた遠い過去の記憶は曖昧となり、夢のように朧気になってくる」(P174)といった一節に出くわすと、日ごろ政治など自分には関係ないと思いがちな庶民の生活がいかに政治によって左右されるものであるのかが端的に表われるのと同時に、状況は政治に翻弄されようとも、生きていく力の根っこのある人々の逞しさというものを舞台公演『屋根』の根来夫妻に覚えたのと同様に感じないではいられなかった。機械化やヴァーチャルの進歩が損なってきたものの核心部分というのは、この逞しさに他ならないように思う。 そして、房江に遠い日の川上源治との出会いを思い出させた新村人たるデザイナー佐竹の「町で働いていた頃は、町の暮らしが当たり前になっていたんです。腹が減ったらコンビニに入り、喉が渇いたら自販機でジュースを買って飲むのが普通だった。だけど、田舎の何もない暮らしに入ると、またそれに慣れる。腹が減ったら、自分で料理して食べる、喉が渇いたら、流れている水を飲む。刑務所に入れられたら、やっぱりそこの暮らしにも慣れてしまうんでしょう。環境とは恐ろしいものだと思いますよ。いや、怖いのは環境に慣れることだけじゃない。環境の強制する考え方にも慣れてくることです。町に住んでいた頃は、虫が一匹、部屋にいるだけで、ぎょっとして殺虫剤を振りまいていた。虫を殺すのは普通だった。あのままだと、いつか人も虫けらみたいに思えてきて、弱い者は殺してもいいという考えを持ったかもしれません」(P176)との言葉に、慣れへの警戒と抗いというものが、僕にケータイ所持やアマゾン利用、株取引などを遠ざけさせているのかもしれないとも思った。思えば、世間で大当たりしたからというだけで『ポセイドン・アドベンチャー』['72]や『タワーリング・インフェルノ』['74]、『ジョーズ』['75]などを公開時には観に行かなかった“若い頃からの天邪鬼”が出発点なのだろうが、とにかく大勢に流されることが嫌いだった。クレジットカードショッピングや百円均一店の利用なども敢えて遠ざけていた記憶があるのだが、こちらのほうは、いつの間にか取り込まれてしまっている。 田舎暮らしの世間の狭さが嫌で東京の大学進学を望んで果たしたのに、就職活動の会社訪問をするのが嫌さに都落ちを余儀なくされるままに郷里を二度と離れることなく暮らしてきているが、「村に人が増えると、噂話も輪をかけて盛んになる。テレビや新聞がなくても、村の出来事は口づてに伝えられていく。陰口、非難といった厭な話もあるが、知り合いの安否や役立つ生活情報など、知っておいてよいことも多い。良くも悪くも、噂話、立ち話、通りがかりの挨拶などがあちこちで聞こえるのは、瀕死状態だった村に、血が流れはじめたことを示していた」(P122)というような地縁社会の効用と近所付き合いの重要性を認知しつつも、それに馴染む感覚は今だに得られないでいる。最後は高知に拠点を構えていた坂東眞砂子は、果たしてどうだったのだろうなどと思った。著作などを通じて感知している彼女は、僕以上に変わり者で気骨があるのだが、本作は、有川浩の作品を想起させるような軽みを以て始まりながらも、そのような彼女の著作に相応しいものになっていた気がする。 日本の中央政府の地方を顧みずに食い物にする中央集権体制への反発があればこその最低位県独立譚なのだろうが、国としての独立を扱えば自ずとついてくるのが、昨今きな臭くも喧しい憲法問題だ。実に本丸は“ヒト・モノ・カネ”を地方から吸い上げる中央主権以上に、むしろこちらだったかと思わせる展開になっていた。『第一部 独立』の最後に設えられた場面は、よさこい祭り国際大会を併せた憲法発布の公式発表で、その前段には、日本国憲法を強く意識した黒潮共和国憲法前文(P192)が掲載されていた。坂東眞砂子は、理恵子にスピーチで「国根幹は憲法にあります。ただ憲法を作るのは、国民の一人一人です。憲法は一度決まると永遠に崇めたてるものではなく、皆でおかしいところ、不備なところを修正していく気持ち、みんなでより完成度の高いものに創りあげていく気概を忘れてはいけないと思います」(P206)と語らせているように改憲絶対反対派ではないからこそ、いかにも翻訳調の現行日本国憲法を修正するならば、先ずはこの前文だろうとの思いで黒潮共和国憲法前文を記していた気がする。 そして、肝心の9条問題については、「(黒潮共和国の)憲法審議の最大の問題は、戦争放棄か否かとなった。日本国が憲法で戦争放棄を謳ったがために、安保条約でアメリカの保護を求め、言いなりとなってしまったという意見があったが、すでにアメリカは日本を基地化しているし、これといった産業も国力もない黒潮共和国に興味を示すこともないだろう。だいたい軍事費に充てる予算もないからと、戦争放棄を踏襲することにした。もっとも、戦後日本の再軍備の隠れ蓑となった集団的自衛権に関しては明確に否定しつつも、自衛権は認めることになった。軍隊は持たないままでの自衛権なので、果たして意味があるのかという声もある。しかし、自国を武力によって侵略された場合でも、なされるがままになれ、と憲法で謳うことは、国としての尊厳と自立を失わせる。国も個人も、自分の身は自分で守るというところに立脚しなくてはならないのだから」(P189)としていた。 僕もロジック的には“改憲絶対反対派”ではない。だが、本作にも「国民保護法を含む武力攻撃事態対処関連三法が成立したのは十年前。有事法制に関しては、戦時中の政府の国民管理体制の再来に繋がりかねないとして批判はあったが、ニューヨークの同時多発テロ事件によって、テロに対する国内不安に後押しされた形で国会を通過した。翌年には、さらに具体的な法整備が整えられ、有事関連七法が成立、施行された」(P236)と記されているように、2001年の同時多発テロ事件の後、2003年から2004年にかけて一気に法制化が進んだ時期に強い危機感を抱いた覚えがある。そのことについて、2005年に観た日本映画『カナリア』をめぐる談義のなかで「僕は、日誌を綴り始めた二十年前からも、日誌のなかで政治について書いたりはしてましたが、時事的な政治問題や現政権批判みたいな生臭さはずっと避けていました。自分の映画日誌は意識的に時事的なところから離れてたんです。ですから、ちょっと迷いつつも、そうではない方向に踏み出した日誌は 記憶に残っていて、米英のイラク攻撃支持を日本政府が表明したことに否の意思表示をした『ダーク・ブルー』の日誌でした」と発言していることを、辺見庸の著した『自分自身への 審問』の読書感想に記したりもしている。 だが、現在は、当時以上に由々しき事態になっていて、この小泉政権時の対米追従路線が、遂にはアメリカの求めるリバランスに沿うために必要な改憲を現職首相が企図して、アメリカからの圧力に対して唯々諾々となっているように見える。『日本のいちばん長い日』の映画日誌にも記したように、僕には「いくらアメリカが「ショー・ザ・フラッグ」などと脅してきても、「それができない第9条を日本国憲法に置いたのは、連合国と言いながらも実はアメリカ単独だった占領軍司令部でしょう」と切り返し突き付けられる“世界中のどの国も持っていないワイルドカード”を、そんなこと(目先の利権目当て)のために自ら棄ててしまうのは、どう考えても愚の骨頂としか思えない」。 ひたすら国内の政権批判から目を逸らせるための最も下品な常套手段として、相互にあれだけ挑発の応酬を重ねていた日韓の現政権なのに、アメリカが要求してきたら、掌を返してたちどころに慰安婦問題に関する政府間合意を臆面もなく交わしたりするところに、そのような情けないほどの対米従属の性根が如実に表れている気がしてならない。そういう文脈のなかで唱えられている“首相の改憲発言”なればこそ、改憲の側には与しようがなくなるわけだ。 坂東眞砂子が「結局、「テロとの戦い」により、日本も含む世界の主要国は冷戦以後の「新しい戦争」という遊び道具を発見したのだろう」(P273)と記していたようなことが核心なのだろう。ここにいう“遊び”には「生活必然を越えた」とのニュアンスによる金儲けや功名心のようなものが託されている気がする。そんなことによって膨大な数の人の命が奪われ、リスクに晒され、困窮に至るとともに、まさにそれによって利得をものにする人々を生む“道具”としての戦争に向かう途を拓いてはならないと思う。 そして「自衛隊が介入し、国庁を占拠しても、人々の暮らしはさほど変わっていない。そのこと自体が、ゆかりには不気味に思える。このまま自衛隊が治安維持の名目の下に静香に居座りつづけ、人々がそれに慣れていったら、それはアメリカ軍の基地が領土に居座りつづける日本のミニチュア版になるだけのことだ。黒潮共和国の独立なんて意味のないことになってしまう」(P266)とのくだりに、改めて“戦後日本の独立”とは果たして何だったのだろうとの思いが湧いた。 また、日中戦争に係る柳条湖事件やベトナム戦争に係るトンキン湾事件にも通じるような口実工作を仕掛けての“日本政府の自衛隊による黒潮共和国進駐”という顛末に至る物語を『第二部 騒乱』で展開させつつ、そのなかで報道が果たし得る役割を非常に印象深く描いていた点に、昨今の報道メディアの体たらくに対して喝を入れているような読後感が残った。こういった謀略が働くと一気に事態が急変するのは、いつの時代も変わらず、それゆえにイラク戦争に係る同時多発テロ事件にも自作自演の謀略説が絶えなかったりするのだろう。だからこそ、本作の主人公を高知新聞社の枝川ゆかり記者にしているのだと思った。 参照テクスト:坂東眞砂子 著 『わたし』を読んで 参照テクスト:孫崎 亨 著 『戦後史の正体 1945-2012』を読んで | |||||
by ヤマ '16. 3. 5. 文藝春秋 | |||||
ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―
|