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『シッコ』(Sicko) 『放送禁止歌』 | |||||
監督 マイケル・ムーア 監督・講演 森 達也 | |||||
『放送禁止歌』は、高知でも'99年に平和資料館草の家で上映された『A』('98)を撮った森監督によるTVドキュメンタリーだが、『A』の翌年に、深夜というよりも朝に近い時間帯に放映されたのだそうだ。放送界のタブーに触れるところがある企画のような気がしたが、ほとんど視聴者がなくて、局上層部のチェックも入らない番組枠なので、意外に自由にやれるのだそうだ。当然ながら、局製作ではない。製作プロダクションによる番組で、少し噂にも聞いていて、かねてより観てみたい作品だったのだが、実際に観てみると、何のことはない嘗て放送で聞き覚えのある歌が多かったことに驚いた。なぎら健壱の『悲惨なたたかい』など、十代の時分にオール・ナイト・ニッポンで何度も聴いては笑っていた歌だし、岡林信康の『手紙』は、二枚組のライブ“狂い咲きコンサート”にも収録されていて、僕のレコードラックのなかに収まっている。『竹田の子守唄』は、赤い鳥の歌でよく聴いていたし、『支那の夜』も懐メロ番組で歌っていた覚えがある。高田渡の『自衛隊に入ろう』にも聞き覚えがあった。『イムジン河』は、映画『パッチギ!』('05)でも取り上げられていたわけだが、放送禁止歌というのが実は、明確にどこの誰が何に基づいて禁止しているのかがあやふやなもので、言わば、根拠の全くないものであることが森監督のこのTVドキュメンタリーで明らかになって、その後、状況が少しづつ変わってきたそうで、さすれば、この映画の製作というのも、その影響下にあったものなのかもしれない。1999年4月の深夜午前3時に放送された関東ローカルの番組でも、そういうことになるのだから、TVの力というのは凄いものだと思った。 それとともに、時に“表現の自由”などと声高に叫ぶくせに、概ねは面倒なことは避け、視聴率や聴取率、スポンサーや局上層部、発注元の放送局の顔色ばかり窺ってるのが商業メディアの現場であることを炙り出していたことに感心し、ふと『太陽』の日誌に記した、地元の高知新聞に“自主規制の日本 上映へ紆余曲折”との見出しで掲載されていた記事のことを想起した。 定員わずか40名というのが満杯には至らないというささやかな場に来高していた森監督の話も、この“自主規制の日本”に沿った話だった。かねてより話を聞いてみたかった人なので、とても楽しみにしていたのだが、学年で一つしか違わない同世代であることも手伝ってか、その時代観、社会観、メディア観、人間観ともに大いに共鳴するところが多かった。TVに対する問題意識もほぼ同じながら、異なるのは、商業メディアであるゆえに仕方がないとしている度合いが僕よりも大きいところだったが、当の業界人なのだから、それこそそれは、仕方のないところなのだろう。“不安と恐怖の亢進”に係る部分は、僕が『ボウリング・フォー・コロンバイン』の映画日誌に書いていたこととほぼ重なっていたし、二項化や明快志向の持つ暴力性についての話は、『ドッグヴィル』の映画日誌に書いたことと重なる。善意や正義に基づくものほど恐ろしいという感覚も、思考停止の馴致能力が麻痺と暴走を招くという見解も、同調圧力の強化が敵を作ることを求める心性を刺激するとの考え方も、僕のなかに常々あるものだ。あまりに重なっていて驚いた。 少々趣を異にする部分があるとすれば、前述の事々の顕著化をオウム以後に位置づけて重きを置いている点で、僕は、それをオウム以上に、ソヴィエト崩壊以降、箍が外れたように、グローバルスタンダードという名のアメリカンスタンダードを指向し邁進してきた日本という国の社会選択にあると思っている点だ。 商業メディアについて語った部分では、『チョムスキー 9.11 Power and Terror』の日誌に記した、アメリカの「市民とプレスのための調査センター」がまとめた、テロ報道による心理的影響の調査結果における「視聴者たる国民のその時点での感情と一体化した愛国的な論調や番組の仕立てが視聴者の評価を得るためにやめられないでいるという指摘」のことを思い出した。同調圧力というのは、何も日本の専売特許ではない。そしてまた、森氏も言うように、商業メディアだけの問題でもない。マスの力の怖さなのだと思う。氏の紹介してくれた“相転移”という言葉が印象に残っている。オウム信者の実像に迫ろうと追った『A』で注目された森監督は、タブーに挑む精神を備えていることから“過激”だと見られやすいように思うが、非常にバランス感覚に長けた穏やかさが印象に残る人物だ。それは、『A』を観たときにも思ったし、今回話を聞いて尚その思いを新たにした。ある意味それが、問題意識的なところでは相通じるように見えながらも、作品的な挑発性においては対照的なマイケル・ムーア監督のドキュメンタリー作品の面白さに、作品が及ばないように感じられる部分なのだが、森監督は、マイケル・ムーア監督の作品をどのように見ているのだろうか。折角の機会だったのに、訊ね漏らしたのは何とも残念だった。 そのマイケル・ムーア監督の最新作『シッコ』は例によって、「美術館冬の定期上映会“空想のシネマテーク”第1回」の日誌に記した、ドキュメンタリーフィルムという言葉は元々造語で、1926年当時「このジャンルは“現実のアクチュアリティをクリエイティヴにドラマ化する映画”のことを意味していた」という西嶋憲生氏のレクチャーでの言葉そのもののような作品だった。明確に作り手の主観やメッセージが折り込まれていて、切り取られ加工されたリアル映像というものは、それを表現しドラマ化するための素材に過ぎないことが徹底されている。医療保険制度を市場主義の経済活動の枠組みで営むアメリカ社会の病を告発し、改善すべく問題提起をしている作品だったが、アメリカがブチ上げた対テロ戦争のときに日英が追従しても冷静だったことでアメリカでは一部、排斥運動さえ起こった曰くのあるフランスを、医療保険制度では世界で最も安心して暮らせる天国として手放しで礼賛してるところが、いかにもムーア監督らしく思えた。 『ボウリング・フォー・コロンバイン』で、施錠をしなくても泥棒の入らない国として描かれたカナダが、例によって、地続きの国ながら、不安と恐怖の国アメリカとは異なる安心と信頼の国として登場する。毎度のように浴びせかけられる“事実を正確に客観的に伝えて、観客を啓蒙し、冷静な判断をさせる姿勢に欠けた一方的なアジテーションであって、ドキュメンタリー映画の名に相応しくない”などという非難は、またしても寄せられるのだろうが、ドキュメンタリー映画の出自から言えば、むしろ原理主義的とも言えるまでにドキュメンタリー映画そのものだと言うべき作品で、“現実のアクチュアリティをクリエイティヴにドラマ化した映画”だったように思う。政治的に必要とされたときにだけ持て囃され、ヒーロー扱いされたニューヨーク市消防局の元救急隊員が、そのとき吸い込んだ粉塵による呼吸器疾患の後遺症に悩まされているのに、国も保険会社も一顧だにしていないどころか、むしろ追い詰めている様子が描かれていたのだが、アメリカが“赤”の国として目の上のたんこぶのように扱ってきているキューバで手厚い治療を受け、同じ薬が125分の1以下の値段で買えることに衝撃を受けて、本当に腰が抜けるように脱力し涙する場面が、僕にとっては、最もドラマチックで胸に響いてきた。途轍もない情けなさに見舞われていたように見え、気の毒で仕方ないとともに、腹立たしさを掻き立てられたように思う。 オリバー・ストーン監督もまた『ワールド・トレード・センター』('06)で、同じく忘れられつつあるテロ被害者救済活動従事者である港湾警察官に目を向け、オリジナリティのある眼差しで描いて、僕に「“報道”というものは、やはり現場の真実を伝えることなく、むしろ遠ざかろうとする意思を孕んでいる」ことへの気づきを促してくれたものだったが、マイケル・ムーア監督とは、その取り上げ方の手法の違いが極めて対照的で、とても面白く感じられる。こういうことこそが“表現の自由”の名の下に保証されなければならないことだとつくづく思う。 それにしても、先に述べた“ソヴィエト崩壊以降、箍が外れたように、グローバルスタンダードという名のアメリカンスタンダードを指向し邁進してきた日本という国の社会選択”が止まる気配を見せていない規制緩和・市場主義導入優先のなかで、日本の医療保険制度が密かにアメリカ型への移行を進めている現況にあっては、『シッコ』は、もはや対岸の火事とは言えないように感じられた。日本公開を前に監督インタビューを受けた際に「日本の保険制度は問題ない。」と語ったと伝える記事を新聞で読んだが、とてもそうは言えなくなりそうな気配だ。 参照テクスト:森達也 著『東京スタンピード』読書感想文 推薦テクスト:「映画通信」より http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=10442&pg=20070831 推薦テクスト:「超兄貴ざんすさんmixi」より http://mixi.jp/view_diary.pl?id=556660272&owner_id=3722815 | |||||
by ヤマ '07.10.17. TOHOシネマズ8 '07.10.27. 県立人権啓発センター4F視聴覚室 | |||||
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