『ダーク・ブルー』(Dark Blue World)
監督 ヤン・スヴィエラーク


 有事法制をなし崩し的に進めつつも、牙城とも言うべき憲法改正へとなかなか至らぬことに業を煮やしてか、外堀から埋める作戦であるかのように教育基本法を改正して愛国教育を推し進めようという動きが近頃目立ってきた。けれども、こういう映画を観ると、国家というものが如何に国民をないがしろにし、裏切るものであるのかということが骨身に泌みる。ソ連の影響下にある社会主義体制のチェコスロバキアだったからそうなのかと言えば、決してそうではない。十五年前に日誌を綴ったプラトーンはアメリカ映画だし、風が吹くときはイギリス映画だった。

 この映画は、チェコ国内で十人に一人が観た計算になるという興行新記録を挙げ、去年のアカデミー賞外国映画賞にも選ばれた作品だから、ここに描かれた事の顛末が根も葉もない話だとは思われない。だとすれば、ナチス占領下のチェコから国外に脱出して、祖国解放のために英国空軍パイロットとして戦った兵士たちがいたことも、彼らが戦後帰国して強制収容所に監禁され、強制労働に従事させられたことも、歴史的事実としてあるのだろう。だが、あまりにも理不尽だ。戦後の国家体制がたまたま東西対立において陣営を異にしていたことで、英国側のスパイの嫌疑を掛けられたのだとしても、あまりにもの処遇ではなかろうか。旧ナチスのドイツ兵と一緒に収容されるばかりか、さらに劣位に置かれて、厳しい監視と虐待を受けていた。ピアノが弾けてダンディで、女にも強かった伊達男のマハティ(オールドリッチ・カイザー)は、無残な死体となって、雨の中ようやく荷車で出所したのだった。

 おそらく彼らを拘束し、監視していたのは、国家権力の側のチェコ人たちである。そして、させていたのはソ連だろう。そうした状況下においては、同胞のよしみ的な情で接することが直ちに自分の身を危うくさせるから、自己保身のためには、旧ナチス兵士に対する以上に厳しく接することで、自らに嫌疑が掛からぬようにしなければならない。彼らがフランタ(オンドジェイ・ヴェトヒー)たちに過剰に苛酷なのは多分そういうわけだ。同胞だからこそ、疑いを招きやすいということなのだ。光の雨で描かれた大量リンチ殺人事件に窺われた心理状態も、これと同じようなものだったように思う。そして、監視に当たるチェコ人たちにそういう態度を執らせるのが、個人に対して絶大な権力を持った存在すなわち国家なのだ。本来なら、祖国の英雄として処遇されてしかるべき兵士たちが死と隣り合わせの苛酷な境遇に置かれる。そして、そこには、国家を守るためにやむを得ないことだという論理が常に使われる。

 しかし、そのようにして守らなければならないとされる国家というのは、そもそも何なのだろう。少なくとも国土や人民を包含した国家ではなく、実のところは、ひとえに現行体制のことなのではなかろうか。そして、国家の名のもとに愛国心としての献身を声高に要求するのは、常に現行体制において権力者として君臨している者たちなのだ。

 この映画は、直接的にそれを描いているわけではないが、そういうことを示唆するという意味において、非常にラディカルな作品だ。第二次大戦の時代を描いて、戦時よりも戦後のほうが圧倒的に非人間的であるという対照を映画の構成として設え、確信的に印象づけている。反戦映画ではなくて、反国家映画なのだ。先の大戦でのチェコ占領は、ナチスの国家主義が生み出したものであり、戦後の収容所の悲劇は、社会主義という名の国家主義が生み出したものだと主張している。だからこそ、戦時下の時代を描いて、ひたすら恋愛や友情における愛と信頼、誤解や断念を綴り、正邪善悪を越えてこよなく人間的なのだ。だが、決して戦争ノスタルジーを感じさせたりはしない。戦時と平時を問わず、いかに国家主義というものが非人間的で、生きた人間の命と運命を翻弄するものなのかを描いている。しかも、いささかも理屈っぽくなく、決して声高でないところが素晴らしい。

 それにしても、辛くも生き延びて1951年には収容所から解放された者たちが、その後の四十年間も名誉回復されることがなかったとは何ということだろう。ソビエト崩壊の時まで国家は、彼らを見捨て続けてきたわけだ。国家というのは、ここまで自国民に対して酷薄なのかと、すっかり暗澹たる気分になった。

 僕が過度にそういう気分になったようにも思えるのは、対イラクへの武力行使問題において、国民に向けては、国連安保理の動向を標とすると答えていた日本政府が、それとは矛盾する形で、強硬派の米英に対する支持を表明したとの報道を目にしたばかりだったから、なのかもしれない。全く以て権力者は権力者の顔しか観ておらず、国民など眼中にないということだろうが、それが判っていても、こうもあからさまにされると、さすがに不愉快きわまりない。野蛮きわまりないブッシュ政権さえも、ここまで自国民を愚弄してはいないように思う。そうした気分のところで観たものだから、よけいに英題たる“Dark Blue World” に投げ込まれたような気になったのだろう。




参照テクスト:辺見庸 著 『自分自身への 審問』読書感想

推薦テクスト:「THE ミシェル WEB」より
http://www5b.biglobe.ne.jp/~T-M-W/moviedarkblue.htm
by ヤマ

'03. 2.21. 県民文化ホール・グリーン



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