| |||||
『メリー・ポピンズ』(Mary Poppins)['64] 『グリース』(Grease)['78] | |||||
監督 ロバート・スティーヴンソン 監督 ランダル・クレイザー | |||||
今回のカップリングは'60年代と'80年代の大ヒットミュージカルの組み合わせだった。両作とも未見のまま来ている映画で、先に観たのは『メリー・ポピンズ』。これが、かのメリー・ポピンズか。箒ではなく傘で空を飛ぶ魔法使いの話だったのか、という思い掛けなさとともに観た。 女性の選挙権を勝ち取ろう!と、襷を掛けて叫ぶバンクス夫人(グリニス・ジョンズ)の登場で始まることにも意表を突かれた。オープニングの楽曲メドレーの全てに聞き覚えがあり、もしや既見かと訝ったが、メリー(ジュリー・アンドリュース)がベッドサイドで歌う子守唄やセントポール寺院の歌、投資銀行の歌や凧の歌には覚えがなく、初見は間違いない。 話の運びは、ある意味、画面作りに必要な場面を設ける便宜上のものであって、主役はあくまでも「どうやって現出させたのだろう」と驚くばかりの画面の数々だったような気がする。絵のなかの旅での出来事やら、笑うと宙に浮くティータイムはともかく、終盤の煙突掃除人のパートの造形に対しては、そのダンス・パフォーマンスも含めて、いま観ても驚くべき技術力だとまさに圧倒された。本作のハイライトシーンだろう。バンクス家の乳母への応募者を吹き飛ばした場面の鮮やかさも印象深く、号砲一発で落下し傾く家具をすかさず抑えるパフォーマンスも見事だった。 人の心の「メディスン・ゴー・ダウン」をしてくれるものは、決してカネなんかじゃないという健全なるメッセージは、クラシカルでも普遍的な真理で、実に気持ちがいい。メリーを演じたジュリー以上に芸達者で恐れ入ったのがバートを演じていたディック・ヴァン・ダイクだったのだが、エンドクレジットを眺めていたら、ジョージ・バンクス(デヴィッド・トムリンソン)の息子マイケル(マシュウ・ガーバー)の2ペンスに執着し最後に笑いながら昇天した金融界の巨人、ミスター・ドース・シニアをも演じていて驚いた。『暗くなるまで待って』の日誌に「アラン・アーキンによるロート三態の変装の鮮やかさには、最近再見したばかりの『博士の異常な愛情』のピーター・セラーズも想起したりして愉しんだ」と記したことを思い出した。 それも含め、いろいろなところでマジカルな意匠の凝らされた作品に大いに感心しながら、六十年前の公開時には、さぞかし観客を驚嘆させたことだろうと思った。'39年の『オズの魔法使』、'51年の『巴里のアメリカ人』の造形も素晴らしかったが、本作もまた優るとも劣らぬものだったような気がする。 映友が「大好きな作品ですが、ラストだけは不満ですね。グリニス・ジョーンズ扮するお母さんが「凧の尻尾に、これどうかしら!」とサフラジェット運動の襷を差し出すんですよね。女は社会運動に首を突っ込むな、家庭に入っていろ、と言わんばかりのこのシーンで、再見時にちょっとカチンときました。」というコメントを寄せていたが、この件については、僕は今の視点から観れば、そのようにも映るかもしれないものの、あれは'60年代半ば当時の流行だったウーマンリブ運動のことを指していたのだと解している。男の仕事も女のリブも、大事と言えば大事かもしれないけれども、子供がまだ幼い間は、そう長い期間でもないのだから、そちらにかまけて我が子をナニー任せにしたりするんじゃないよ!という意味で盛り込んでいたような気がしている。 翌日観た『グリース』は、傘で空を飛んできた『メリー・ポピンズ』と違って車で空へ飛び去る話だった。本作も未見作品だったが、楽曲には覚えのあるものばかりが並んでいた。ジョン・トラボルタは、やはり見事なダンスと歌を披露していたが、彼の演じたダニー・ズーコのキャラクターに魅力がなく、それに伴ってオリビア・ニュートン・ジョンの演じたサンディ・オルソンも中身すかすかの蓮っ葉に見えてきて仕方なかった。これなら僕は『フットルース』['84]のほうが数段好いように思う。オリビアはかねてから愛聴していて、LPレコードも『LET ME BE THERE』『LONG LIVE LOVE』『HAVE YOU NEVER BEEN MELLOW』『CLEARLY LOVE』と持っているのだが、'76年以降のアルバムは買っておらず、本作の時分にはオリビア熱は冷めていたように思う。 T・バーズの連中も、敵対するスコーピオンズの連中も、ろくでなしだったけれども、ピンク・レディースは悪くないと思った。なかでもベティ・リゾ(ストッカード・チャニング)とマーティ・マリシーノ(ダイナ・マノフ)が目を惹いた。とりわけベティは、苦境に陥っても泣き言を漏らさず責任転嫁もしない“突っ張り娘の気概”を見せていて天晴れだったように思う。 オープニングの『慕情』['55]には呆気にとられたが、その後も『アメリカン・グラフィティ』['73]やら『理由なき反抗』['55]、『ベン・ハー』['59]などを想起させるシーンが現われて愉しかった。 今回の合評会は三人しか揃わなかったのが残念だったが、そのなかでは、自ら偏愛と認めている主宰者を除く二人が順当に『メリー・ポピンズ』のほうを支持した。『グリース』支持の彼はミュージカル好きも自認していてブログに「【映画】偏愛ミュージカル映画1ダース」なる記事も挙げている。確かに第3位に『グリース』を推していて『メリー・ポピンズ』は選外だ。彼が第1位にしている'61年版『ウエスト・サイド物語』を僕は、今回の『グリース』と似たような観点からあまり好んでおらず、リメイクのスピルバーグ版のほうがいいと思っているといった話に発展し、ミュージカル映画についての話に花が咲いた。 ミュージカル映画が好きだといっても、かの『雨に唄えば』を観ていなかったりする体たらくではあるが、ウエストサイド物語よりは『オズの魔法使』とか『巴里のアメリカ人』のほうが好きなのは『メリー・ポピンズ』とも相通じるファンタスティックな画面作りに魅せられるからなのだろう。だが、彼が第二位に推している『サウンド・オブ・ミュージック』は良いと思うし、『ムーラン・ルージュ』とか『バーレスク』『Nine』も好きだ。彼が挙げている『ブルース・ブラザース』、『屋根の上のバイオリン弾き』、『略奪された七人の花嫁』、『ラ・ラ・ランド』も映画日誌にしている。 また、両作の時代設定はいつだったのだろうという問い掛けに対して『メリー・ポピンズ』は、サフラジェット運動からして1900年前後ではないかと僕が言うと、本作の誕生秘話を描いた『ウォルト・ディズニーの約束』['13]のなかで1910年代とされていたように思うと教えられた。'64年の『メリー・ポピンズ』制作時に当時のウーマン・リブ運動をサフラジェット運動に重ねて描いていたのではないかとの僕の受け取りを確かめたくて矢庭に『ウォルト・ディズニーの約束』を観てみたくなったのだが、きちんと用意してきてくれていて実にありがたかった。 『グリース』については、ともにドライブインシアターが出てくる『アメリカン・グラフィティ』の時代とどういくのだろうと問い掛けると「大統領の名が出てきていましたよね」との話もあったが、『グリース』偏愛の主宰者が『避暑地の出来事』のアメリカ公開(1959年11月18日)からして、♪想い出のサマー・ナイツ♪(ジョン・トラボルタ&オリビア・ニュートン・ジョン)は自ずと1960年の夏になるという読みが披露されて大いに感心した。さすがの偏愛ぶりで、サンディとダニーの“避暑地ではない「夏の日の恋」”を特定していた。そして、サンディよりもベティだとの僕の弁を見越してか「サンドラ・ディーの私を観て!」と金髪かつらをつけてベティが唄い踊るサンドラ・ディー&トロイ・ドナヒューの『避暑地の出来事』も用意してくれていた。 | |||||
by ヤマ '24. 9.11,12. DVD観賞 | |||||
ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―
|