『ウエスト・サイド・ストーリー』(West Side Story)
監督 スティーヴン・スピルバーグ

 前日に観たフル・モンティのダサかっこいいダンスの口直しに、正真正銘のかっこよさが保証されている本作を観たら、やはり稀代のビジュアリストによるリメイクだけあって、流石だった。画面構成とスケール感が素晴らしくて、その躍動感と疾走感に感心した。

 四年前にロバート・ワイズ&ジェローム・ロビンス監督による'61年映画化作品を三十六年ぶりに再見したが、そのときにマリアを演じたナタリー・ウッドが記憶にあるより数段よくて驚いた。昔観たときは、彼女よりもアニタを演じたリタ・モレノのほうに惹かれた覚えがあると触れていたリタ・モレノが六十一年越しに出演していて驚き、痺れた。

 彼女の演じていたバレンティーナが素晴らしかった。かつて演じたアニータ(アリアナ・デボーズ)を襲ったチンピラどもに怒り、悲しむ場面が、僕的には本作イチバンの場面だったように思う。ドラッグストアの主を白人のドクから、彼と結婚し先立たれたプエルトリカンのバレンティーナに置き換えたことによって、人種差別と分断についての問題提起がより深化されていたように思う。排外主義が世界的に拡散し、ヘイトクライムが頻発するようになった現在において、半世紀以上も前に世界を席巻した映画史的にもトップムービーに属する作品をリメイクすることの意義が際立っていた場面だ。

 このアメリカで指摘されていた問題は、改善されてきていたはずなのに、今のアメリカは、ジェット団やシャーク団を名乗っていたチンピラたちと変わらない“反知性主義”に堕していると言わんばかりのバレンティーナの熱唱が心に残った。

 お話そのものは、僕の嫌いな“幼稚な粋がり強がり”のもたらす悲劇で、せっかくトニー(アンセル・エルゴート)が受刑で得た時間によって思慮を手に入れながらも、思慮では事態を収拾できずに、むしろ悪化させてしまうという後味の悪い物語になっていて、あまり好むところではないのだが、さすがスピルバーグだなと随所に感心しきりの出来栄えだったように思う。

 場面によって'61年版と全く同じ構図で撮っているように思えるところと、大胆に変えている場面との混交ぶりがなかなか刺激的で、'61年版を繰り返し観ているコアなファンほど観応えがあるのではなかろうか。僕自身はそこまで'61年版を深く観込んではいないので、その醍醐味を味わうことはできないことが残念に思えるような作品だった。

 '61年映画化作品の再見時に色使いに最近観たばかりの『今夜、ロマンス劇場で』を想起し、改めて、やはり『今夜、ロマンス劇場で』は、ミュージカル映画にしたかったのに違いないと思った。 歌と踊りは今も変わらぬカッコよさで目を惹いてくれたが、シャーク団にしろ、ジェット団にしろ、いささか情けないチンピラの姿にゲンナリ。思い返すと、マリアが存在したばっかりに起こった悲劇とも言えるわけだが、リフ(ラス・タンブリン)はまだしも、ベルナルド(ジョージ・チャキリス)の器量からすれば、早晩どこかで命を落としていたのではないかという気がする。でも、少なくともトニー(リチャード・ベイマー)が死ぬことはなかったのではなかろうか。とメモに残していた感想とは一味違う、アクチュアルな問題提起を見事に果たしているスピルバーグらしさ溢れる快作だったような気がする。





推薦テクスト:「平林稔さんfacebook」より
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推薦テクスト:「ケイケイの映画日記」より
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推薦テクスト:「マルさんのmixi日記」より
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by ヤマ

'22. 2.14. TOHOシネマズ9



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