『慕情』(Love Is a Many-Splendored Thing)['55]
『愛情物語』(The Eddy Duchin Story)['56]
監督 ヘンリー・キング
監督 ジョージ・シドニー

 物語以上に映画音楽が有名で耳に馴染んでいる六十年以上前の同時期作品を続けて観てみた。

 先に観た『慕情』♪Love Is a Many-Splendored Thing♪という曲は、十代の時分から知っているのに、作品そのものは未見のままだったもの。積年の宿題映画を今頃になって観たわけだ。まさかこれほどにメロメロのメロドラマだとは思っていなかったので、ちょっと開いた口が塞がらないような感じすら覚えて新鮮だった。

 昨今のように不倫が犯罪並みに叩かれる時代には通用しないんじゃないかという物語が、“みだらな”ハーフに生まれた葛藤とともに自制と渇望の鬩ぎ合いに震える女医として描かれるという、今なら差別人権問題の標的にさえされそうな映画が、今なお封印されずにクラシック作品として残っていることが、妙に感慨深かった。

 原作が自身をモデルにしたというハン・スーインによるものだったからなのか、寡婦の女医ハン・スーインの浮世離れした舞い上がり方を演じたジェニファー・ジョーンズが達者だったからか、お相手の特派員記者マーク・エリオット(ウィリアム・ホールデン)が非業の死を遂げたからか、何ゆえに廃れずに今に続いてきているかを思うと、実は音楽の力が最も大きいような気がしなくもない。

 だとすれば、かの♪Love Is a Many-Splendored Thing♪こそが本作にとって、マークの肩に留まり、戦地前線でのタイプライターに留まり、最後には思い出の丘の樹を訪れていた、時々に色も大きさも変えていた蝶のごとき存在だったのかもしれないと思った。


 翌日に観た愛情物語は、僕が生まれる二年前の映画で、三十六年ぶりの再見となる。こちらも実在したエディ・デューチンというピアニストの物語なのだが、日本ではそう有名な演奏家ではないと思われ、僕には本作でしかイメージがない。かなり美化されている気がするけれども、過日再見した大いなる西部['58]の映画日誌に綴ってあるように、この時分のアメリカ映画には、人のあるべき姿、望ましき姿を描く良心というものがあって、観ていて気持ちがいい。

 とりわけ、エディ(タイロン・パワー)の幼い息子ピーター(レックス・トンプスン)にとって必要な言うべきことを、雇い主のエディに対してきちんと言うチキータ・ウィン(ビクトリア・ショウ)の人物造形が好もしかった。見映えにおいても、エディにピアノ弾きのチャンスを与え、彼の人生を開いた裕福な令嬢マージョリーを演じたキム・ノヴァクより、僕には見目麗しく感じられた。

 数々の演奏場面では、タイロン・パワーの指使いに感心しつつ、改めて音楽の合奏で交わせるコミュニケーションというものを羨んだ。音楽演奏のできる生活とできない生活というのは、その豊かさに大きな開きがあるように感じながらも、今に至るまでその精進を果たせぬままの我が身のことを残念に思う。

by ヤマ

'20.10.30. BSプレミアム録画
'20.10.31. BSプレミアム録画



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