【午前十時の映画祭】
『バンド・ワゴン』(The Band Wagon)['53]

『巴里のアメリカ人』(An American In Paris)['51]
監督 ヴィンセント・ミネリ


 殺しも折り込んだ探偵サスペンスをミュージカルに仕立ててある斬新さは、確かに'53年当時は画期的だったのだろうと感心しながらも、今の僕が観て楽しめるのは、終盤に出てくるその“ガールハント”のステージよりも、序盤での腰掛けての靴磨きさえもタップに仕立て上げていたダンス場面の才気や、中盤での夜の公園でトニー(フレッド・アステア)がギャビー(シド・チャリシー)と踊るダンスの、何とも言えない情感豊かさだったりしたのだが、いずれにしても、同じヴィンセント・ミネリ監督の意欲的な演出によるミュージカルという点では、二年前に観た『巴里のアメリカ人』のほうが遥かに上回っている気がしてならなかった。

 それでも、多くの人の才能と努力を結集させて、ショーという目に見える形に作り上げることの値打ちと大変さを幅広く掬い取っていて、スタッフワークの重要さを訴えているように感じられたところが、好もしく気持ちのいい作品だったが、そこのところは、映画づくりにも通じる作り手としての面目だったのかもしれない。

 この『バンド・ワゴン』の二年前に撮られた『巴里のアメリカ人』は、作品タイトルを知りながらも、これまでに観たことのなかった映画だったのだが、奇しくも二年前に観る機会を得たときには、これほどに凄い映画作品だとは思いも掛けず、大いに感銘を受けた覚えがある。とりわけ、即興性を徹底的に排除しているように見えるパフォーマンスで構築された造形力に圧倒されたのだった。

 ミュージカルといいながらも、最後のほうでは歌もなくなり、音楽と踊りで圧倒してくる。その舞台造形が実に見事で、モリガン(ジーン・ケリー)がバルコニーで描きつけた“失意のパリ”ともいうべきデッサンを破り捨てたものが、風に繋ぎ合わされて大きな舞台背景となり、モリガンが一輪のバラを拾おうとするところから展開され、同じ場面に収束するという心象世界としての描き方が鮮やかだった。そして、その間のステージ造形の、僕の想像を遥かに超えた長さとセット装置の大仕掛けに唸らされた。

 役者にしても、これだけ達者な芸を見せられると、いまどきの芸人などというのは、芸でもなんでもないような気がしてくる。でも、ジーン・ケリーのタップダンスということだけなら、この最後のハイライト場面よりも、アダム(オスカー・レヴァント)のピアノの上で踊り始めた場面のほうが、僕は魅力的だったように思う。

 コンサートを開いたことのないアダムが、一人全役のオーケスラのなかでピアノ協奏曲を演奏する場面も印象深く、いかにもガーシュインらしいオーケストレーションと相まって、ジャズに魅せられているというアダムがガーシュインその人のように感じられてもきた。

 冒頭のリズ(レスリー・キャロン)のバレエのフォルムも意匠に富んで美しく、アンリ(ジョルジュ・ゲタリー)のステージの無駄に美女をはべらした趣向も目を惹いた。ステージに設えられた階段がアンリのステップに合わせて点灯するリズムが鮮やかで、どこまでも設計が行き届いている映画の構成と好対照を成す物語のぞんざいさが、どこか楽天的な調子のよさを醸し出しているようにさえ感じた。とりわけラストの圧巻ダンスシーンの後に構えられたエンディングの乱暴さには、その手前でやるべきことをやり尽くした脱力の心地よさを促してくれるような奇妙な納得感があったような気がする。大したものだ。
by ヤマ

'11. 8. 6. TOHOシネマズ8
'09. 9.24. 美術館ホール



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