『掠奪された七人の花嫁』(Seven Brides for Seven Brothers)['54]
監督 スタンリー・ドーネン

 妻ミリー(ジェーン・パウエル)の持参したプルタークの書にあった逸話として元ネタを明かしながら語られる本作のエピソードは、製作時点での百年前に当たる1850年のオレゴン州に、古代ローマから話を移し替えても、相当に乱暴な話になるからこそ、ミュージカル形式にしたのだろうが、その効果がよく作用していて大いに感心した。

 ミュージカル世界だからこそ、男たちの力量・魅力を計る物差しが、カネでも力でも知力でもなく、歌と踊りの力に置き換えられることに違和感がなく、見事な歌唱で男っぷりをあげていたアダム(ハワード・キール)に、ミリーが一目惚れすることも、アダムが自分の見込んだミリーに改めて惚れ込むのは山に連れ帰る道中で彼女の歌唱を聴く場面だったりすることにも、納得感がある。そういう意味でのアダムの声もミリーの声も実に説得力があって、大いに感心した。二人ともまことに明快な美声だ。

 そのうえでも、町の祭りの日に山から繰り出した七人兄弟の弟六人が、その卓抜したダンスと歌唱の力で町の男たちを圧倒する場面が重要だ。もちろん七十年近くも前の映画だから、テクニカルな部分だけで比較すれば、スポーツ競技と同じくスタンダードレベルに格段の進歩があるのだから、現在のトップレベルのダンス力には及ばないのだが、それで言えば、逆に現代の眼からしても見劣りしないレベルにダンス場面が今なおあることに驚かされる。

 そういう納得感とともに、ある種、ダイナミックな人間観・結婚観が提示されていて、一方で、終わり良ければ総て良しというものでもなかろうとは思いつつも、赤ん坊の誕生というものが嘗て持っていた圧倒的な力とともに、縁というものの力を見くびるものではないという気にさせられた。縁あってカップルとなった者が育んでいくものが愛であって、端から全き愛ありきということではない。ミリーが思わぬ当て外れに見舞われながらも、己が選択に対して見せた覚悟ある臨み方で以て、一家の柱となっていく姿が爽快だ。

 また、劇中で「六月の花嫁」を称揚する歌を聴きながら、どうして六月なのかとかねてより不思議に思っていたことに対して、むろん皆が皆ではないにしても、ジューン・ブライドなればこそ、ハネムーンベイビーが生まれるのは春だなと思い当たった。妊娠後期が生産活動でも相対的に非活動期に当たる冬になり、出産という最大の負荷の掛かる時点では環境的に厳しい季節を潜り抜けている。思えば、あんがい理に適っているのかもしれない。




推薦テクスト:「やっぱり映画がえいがねぇ!」より
https://www.facebook.com/groups/826339410798977/posts/1563526620413582
by ヤマ

'22. 2.12. DVD観賞



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