『ラ・ラ・ランド』(La La Land)
監督 デイミアン・チャゼル

 最後にセバスチャン【セブ】(ライアン・ゴズリング)が思い出の曲(♪Mia & Sebastian's Theme♪)を弾く場面で繰り広げられる幻想に「そうか、巴里のアメリカ人['51]がやりたかったんだなぁ」と笑みが浮かんできた。だからピアノ弾きだったのだろう。そして、映画もジャズも昔と比べれば見向きもされなくなったと言えるのかもしれないけれど、どうしてどうして捨てたもんじゃないだろという作り手のメッセージが伝わってきた気がして、なかなか味わい深かった。

 クラシックなミュージカル映画を意識した色調と、序曲というには何とも派手派手しい恰もマサラムービーの如き歌と踊りの大仕掛けで幕明けたセブとミア(エマ・ストーン)の最初の出会いの場面から始まった本作の前半は、妙に小うるさく立ち回るカメラが少々鬱陶しく、役者の身のこなしの良さには観惚れながらも、楽曲や場面の運びが仰々しいわりに中途半端で、いささかバランスの悪さを感じた。

 盛り上げと抑え込みの加減が妙に心地悪く、観ていて気持ちが弾みながらも弾けさせてもらえないような寸止め感に見舞われる変な感じが続いたように思う。それなのに、画面は充実し凝っていて凄いというのが僕の感じたバランスの悪さだった。しかし、冬の章から始まった物語が夏の章に入ったあたりからぐっと面白くなった気がする。

 そして、それぞれがそれぞれの夢を叶えるために暫しパリとロスに離れて暮らすことを決め「あとは様子をみることにしよう」とした顛末が、誰の人生にもありがちなほろ苦さを湛えることになっていたところに味わいがあった。

 ともあれ、彼がいなければ今の私はない、彼女がいなければ今の僕はないと互いが互いに対して思える関係をそれぞれの人生に刻み込んでいる姿は、やはり格別に甘酸っぱく美しい。思い出の曲とともに繰り広げられた幻想は、決してセブだけのものではなく、彼のピアノを通じてミアも共有していたオールタナティヴ・ライフなのだろう。だからこそ、あの一曲のほかは聴かずに立ち去らなければならないのだと思う。そういう二人の想いが合い通じたかのように交わす微笑が二人の関係の掛け替えのなさとともにある今現在の現実を指し示していて含蓄豊かだった。

 経過がわずかに五年後の冬だったことに対して、せめて七年くらいにすればよかったのにと思わないでもなかったが、大した問題じゃない。図書館と天文台というトポスの選択がまたよかった。図書館や天文台も映画とジャズ同様に、もうトレンディなものではないのだろうが、人々の想いと記憶の集積というものを象徴する文化施設だ。

 バーグマンを大きく描き出した壁の部屋があったり、坂道の石垣にモンローの描かれている♪City Of Stars♪で、きらめく星々を見上げつつ、チャレンジ精神を以って臨むような人生の過ごし方を僕はしてこなかったけれども、星々を見上げようが見上げまいが人生のなかに普遍的に潜む“ほろ苦い甘酸っぱさ”というものが心に沁みてきて、しみじみと感じ入るところがあった。





参照テクスト:ケイケイさん掲示板での談義編集採録


推薦テクスト:「ケイケイの映画通信」より
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1958970908&owner_id=1095496
推薦テクスト:「虚実日誌」より
https://13374.diarynote.jp/201705010146354172/

 
by ヤマ

'17. 3. 3. TOHOシネマズ7



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