鎌倉 昔工藝

火縄銃の研究

付属品の紹介

諸寸法の調査

火縄銃各部の名称

火縄銃の鑑定

砲術演武



時計の研究

江戸期の和時計

和時計の復元

和時計の精度

和時計の動作

江戸期和時計の時計としての精度はどの程度であったのか検討してみました。ただし、当方は時計の専門家ではなく、和時計学会にも加入していません。素人ながら、情報が少ない中で実験検証を行い和時計の精度について考察しました。

実験対象とした和時計の種類:自作の二挺天符袴腰形櫓時計 目覚まし・暦付き


和時計の時間調節法

和時計は時計師が念入りに試運転調整をして出荷し、城の御時計役御坊主が調整を行っていたと言われています。

不定時法では季節毎に昼夜の長さが異なるため、棒天符の小重り位置を一挺天符では毎朝晩、二挺天符では二十四節気ごとに13通りに掛け替えていました。また、割駒式では時盤の割駒を二十四節気ごとに移動しました。

天符の小重り位置により往復周期は変わり、運針速度も変わります。江戸の昼は一番長い夏至で半時が約79分、一番短い冬至で約55分、夜は一番長い冬至で約65分、一番短い夏至で約41分です。夏冬の昼の長さ差は24分、夜の長さ差も24分/半時です。

小重りを櫛歯先端に掛けたとき最長時間に、最も軸寄りに掛けたとき最短時間になるよう設計出来れば良いのですが実現は難しく、少なくとも13通りに小重りが掛け替えられるよう設計・製作しなければなりません。櫛歯は、通常下図の数位切られています。

江戸時代の和時計師は、かなりの時間を費やして調整を行ったと思います。約1年かけたとの説もあります。


小重りの掛け位置と半時の時間(実験結果)




天符中心からの寸法

昼用天符 櫛歯1=57mm 櫛歯31=18mm 櫛歯ピッチ=1.3mm

夜用天符 櫛歯1=48mm 櫛歯28=13mm 櫛歯ピッチ=1.3mm

大重錘の重さは1420g、小重錘は50g、小重りは7.5gです。



小重りをかける櫛歯位置と経過時間の関係はほぼ線形(直線状)でした。

昼用天符: 櫛歯1で約79分、櫛歯18で約55分の時を刻む。

夜用天符: 櫛歯1で約65分、櫛歯19で約41分の時を刻む。

下の表は二十四節気ごとの小重り位置を櫛歯に適当に割り振ってみた結果です。




昼用天符は13通りの位置に対し目盛り数は17、夜用天符は19ですので、夏至・秋分(春分)・冬至以外は一目盛り右にするか左にするかで誤差が生じます。

櫛歯ピッチ1目盛りでの1時間当たりの時間変化 (計算値 半時当たり)

昼用 (79−55)/(13−1)=2分

夜用 (65−41)/(13−1)=2分

一目盛りで2分変化するように天符を設計・製作できれば良かったのですが、実験結果は

昼用天符 1.3分

夜用天符 1.3分

でした。

小重りを1目盛り掛け替えると1.3分/半時変化します。小重りの重さを取り替えない限り、これ以上細かく時間調整は出来ません。






昼用天符を櫛歯13(60分)で11時間動かしたときの半時当たりの誤差は+1.5分〜−2分でした。また、11時間での累積誤差は−3分で、目標の60分/半時をやや下回り57分でした。なお櫛歯14では60分をやや上回りました。

夜用天符を櫛歯3(60分)で11時間動かしたときの半時当たりの誤差は+1分〜−0.5分でした。また、11時間での累積誤差は+6分で、目標の60分/半時を上回り66分でした。なお櫛歯4では60分をやや下回りました。

昼夜合計の22時間では+3分の誤差でした。


考察

時計は棒天符式(一挺天符・二挺天符)、円天符式、振り子式に分けられ、さらに時針回転式・時盤回転式・割駒式(手動式と自動式があるがほとんどは手動式)に分類されます。脱進機はみな冠型です。いずれの形式でも、時計の精度は現代時計のように針の位置ではなく鐘の音で評価されます。

櫓時計・台時計・掛時計・枕時計などの分類は精度を比べる上で関係ありません。

動力源は重錘式とゼンマイ式があります。別途、尺時計もあります。


*定性的な評価*

・ 目覚機構や暦機構は運針輪列の抵抗を時々変化させ、精度を低下させる要因となります。

・ 調整の利便性はともかくとして、シンプルな一挺天符の方が天符切替機構のある二挺天符より精度が高いと言えます。

・ 円天符や割駒式は天符切替機構がない分ましです。

・ 重錘が一の輪を回転させるトルクは一定ですが、ゼンマイ式は変化します(鎖引き装置でも完全に補正しきれない)。

・ 時針回転式と文字盤回転式は運針輪列の機構は同じです。ただし、文字盤回転式の方がトルク的にやや重い。

・ 円天符式と振り子式は棒天符式に比べ等時性に勝りますが、冠型脱進機なので利点が生かし切れていません。

・ 尺時計の多くは鐘がなく、針の位置を見て時刻を知りました。読み取りはかなりアバウトです。

・ 割駒式は駒を移動させる距離が極小さいため、位置誤差が生じやすい。注、割駒裏側のピンが鐘を起動させる。


午と子の割駒は動きませんが、最も動かす卯の駒は夏至と冬至で約12°円周上を移動させます。駒の中心径を90mm(半径45mm)とすると約31mm動かすことになり、その距離を節気ごとに12不等分割することになります。また、枕時計では文字盤がさらに小さくなり正確に動かすのが困難となります。なお、昼の駒と夜の駒は各々等間隔に並びます。


*何を持って精度というか*

・ 歩度(一定の速度で時を刻む)。

・ 真の太陽時とのズレ。

・ 一日単位での精度、二十四節気(半月)での累積精度。

・ 正午での正確さと、他の時刻での正確さ。

・ 24節気、各々での調節性。

・ 棒天符の小重り櫛歯移動はデジタルで、割駒移動はアナログです。どちらがより正確な時計かは一概に言えません。


*シミュレーション*

実用品であった江戸時代の和時計の精度はどの程度だったか、簡単にシミュレーションを行ってみました。

半時(約1時間)で1分狂うと単純累積だと1日で24分、次の節気までに24分×15日=360分(6時間)狂います。これでは実用に適しません。

誤差は±に変化するので一日の累積誤差を5分と仮定すると、次の節気までに5分×15日=75分(1.25時間)で半時を超えてしまいます。

調整が行われる次の節気まで15日間の狂いを、許容されるであろう15分と仮定すると、1日で1分、半時で2.5秒の高精度を実現しなければなりません。

棒天符の櫛歯の刻みピッチは1〜1.5mm位なので、一目違うと1分強変わってきて、とても2.5秒の精度で調整できません。重さの異なる小重りを数種類用意しておき季節により使い分けていた可能性はあります。

それにしても、和時計は精度的に本当に実用品であったかの疑問が残ります。


*累積誤差を解消する方法(仮説)*

御時計役御坊主が、晴天ならば毎日太陽南中時(正午)に時針位置の微調整を行っていたのではないでしょうか? ただし、小重り位置はあくまでも24節気ごとに掛け替えます。

江戸城に御時計役が50数人も居たとの説がありますが、半月の間なにも仕事をしていなかったとは考えられません。たぶん、付きっきりでメンテナンスを行っていたのではないでしょうか。

太陽南中時は晴れていれば(影が出来れば)容易に判ります。磁石で日時計を南北に置き、立てた棒の影が正午を指したときが12:00です。ただし、磁石の示す北(磁北)は真北と約7度東にずれているので、日時計はこのズレを修正して真北に置きます。

現在の日本は各地域同じ時刻(東経135度を基準とする標準時)なので、明石以外では太陽南中時はまちまちです(江戸では11:34〜11:48頃)。江戸時代は当然のこと地方時なのでどの地方でも太陽南中時が正午です。このように毎日調整していれば累積誤差が修正されます。

江戸時代は時刻にアバウトな自然に逆らわない生活を送っていました。しかし、大事な待ち合わせや打ち合わせに遅刻してはまずいのは今と同じです。

このような面倒な調整は城や大名家以外では実現できなかったでしょう。複数台の時計を保有する城などでは、最も精度の高い一台を標準機として、他の時計はこれに合わせていたのではないでしょうか? 和時計の鐘の音は他の部屋まで届きにくいので、標準機に合わせ太鼓などで知らせ、他の時計をチューニングしたかも知れません。


*時の鐘*

江戸時代は城・寺・町の鐘楼で順次(ほとんど時間遅れなく)撞かれる鐘の音で時刻を知ることが出来ました。落語の「芝浜」にその情景が出てきますね。「時の鐘」システムがあれば、庶民に時計は必要なかったことになります。

なお、商家に和時計が置いてある浮世絵がありますが、ステータスシンボルとして裕福な商人が買い求めたものでしょう。尺時計は比較的安価でメンテナンスも簡単な日本独自の時計で、商家などで使われていたと思われます。

庶民は「時の鐘」で知ることが出来る一時(いっとき 約二時間)の間の細かい時刻を必要としたのでしょうか?

注、「時の鐘」についてはセイコーミュージアムのホームページに詳しく載っています。



ページの一番上に移動


鎌倉 昔工藝