昔工藝では、和時計の研究・修理の一環として袴腰時計と掛時計の復元製作を行いました。
今日和時計を江戸期の姿そのままに製作している業者・職人はほとんど居ません。一流の時計メーカは田中久重の「万年時計」を復元できた技術力は有りますが、普通の和時計を経済ベースで製作することが不可能だからです。
2001年からスタートし2018年に掛時計2台、袴腰時計8台が完成しました。17年前、和時計のメカニックな美しさに惚れ、復元製作を思い立ちました。
元々は機械エンジニアですが、時計工学の知識は無く、相談を寄せる知り合いもいませんでした。和時計の図書は少なく、有ってもいずれも技術書で無いため、設計・製作の直接参考になるものではありませんでした。江戸時代の細川半蔵著「機巧図彙」は、構造が解説されていますが、この情報だけでは作れません。その他には、インターネットで国立科学博物館などの論文をいくつか読むことが出来ました。
昔工藝では技術やノウハウを全て実物時計から、独学で試行錯誤を重ね学び取ってきました。その意味では、江戸期の新人時計職人(和時計師)の苦労をなぞってきた感があります。時間はかかりましたが時計の素人でも、一応まともに動く和時計を完成させることができました。
出来合いのキットを組み立てるのでは無く、自ら設計し素材から作り出した時計を完成させた喜びは大きいものでした。昔のオリジナルから型を取りロストワック鋳物で作り上げたもので無く、板や棒材から時間を掛けて削り出しました。歯車等の一部部品はさすがに全て手作業で作るには手間が掛かりすぎるため、友人の吉田鉄工所に粗加工を依頼しましたが、仕上は全て手作業によりました。
約17年も時間がかかってしまいました。昔工藝は広範囲の骨董品修理を業として行っているので、和時計づくりは片手間作業です。無料で機械加工してくれた鉄工所も手の空いたときにしか作業できませんでした。そんなわけでずいぶん時間がかかり、途中一年以上進展しない時期もありました。見本購入、材料・工具の購入、設計・製作の人工費などで、昔工藝と鉄工所各々で多大な費用が発生し、大変な道楽仕事となってしまいました。
始めに購入した見本1(江戸期の二挺天符掛時計)をベースに設計を進めましたが、姿や出来がすこぶる悪かったため、その後大幅な設計変更を加えました。このため、設計作業と製作に多くの時間がかかってしまいました。
途中で購入した見本2(江戸期の二挺天符袴腰時計)は欠落部品が有ったものの、良い出来だったためこれを参考に部分的に改良設計を行いました。製作途中に骨董商からの修理依頼が多数あり、これらも参考にして小改良を重ねました。良い見本を早くに入手し、修理の実績も多く手がけた後に、設計・製作をスタートさせたならばもっと時間も短く、スマートな時計が作れたと思います。
和時計としては中期の作に近いのですが、鐘・雪輪は古い形式としました。古い時代の和時計は総鉄製で漆が塗られ、今日では錆等で古色が付き黒く趣があります。後期の和時計は総真鍮製で金色に光っているものが多いのですが、復元品は黄銅製で有りながら、古い形式に近づけるため黒染処理を施しました。
限りなく江戸期の構造に近づける努力をし、本来使われていない箇所にネジなどは採用していません。文字盤をバランスよく美しく見える位置にするため、歯車列の寸法と配列を最適化しました。鐘は特殊な材料を使用するため自作できず、京都の仏具鋳物師に図面を送り製作してもらいました。
歯車の噛み合わせ調整、運針輪列の時間調整、時打機構の調整、運針と時打連携機構の調節が鍵でした。
@袴腰櫓時計、A袴腰掛時計、B普通の掛時計、Cモータ駆動の時計の四種類を作りました。
なお、昔そのままの和時計機構を安定して運転させ続けるのは、非常に困難です。十分な運転調整を行い、かなり長時間安定した運転を行っていたものが、季節が変わりしばらくぶりに運転すると、たまに止まってしまうことがあります。室温変化による金属膨張が関係しているかと想像できますが、ハッキリは判りません。研究課題です。