「覚えておけ。この桔梗は俺のものだ」
「そう思うなら、もっと大事にしなさいよ」
顔のすれすれのところで、刃をつきつけられても傀儡子はひるまなかった。
このまま頭を叩き割られるかもしれない状況で、なお強がりを言う。
「淫売が何をいうやら」
将門が鼻先で笑うと、女は睨み返してくる。
その目が生意気で憎らしい。さて、どう始末してくれようか。この場で殺してしまっては、部屋が汚れる。まして桔梗のいる前でそれはできない。
奴婢たちに下げ渡して、足腰のたたなくなるまで凌辱させてしまおうか。
ふいに腕の中にいた桔梗が身じろぎをする。
とっさのことで乱暴に抱き上げた。まさか太刀に触れたか。そんなヘマを己がするとも思えなかったが。
傀儡子から、桔梗のほうへ視線を落とした瞬間、思いがけないことが起こった。
両のこめかみに激痛がくる。
まさか。傀儡子か……と思ったが女には太刀がつきつけられて身動きもならぬはず。
全身の筋肉が弛緩し、太刀を握る手にも力が入らない。
倒れ込みそうになるのを、太刀を杖にようやく身体を支える。
荒い呼吸を繰り返す将門の目の前に桔梗がいた。
まさか、お前が……。
そう思ったとき、またしても全身にあの気味の悪い蔦が絡みついてくるのを感じた。
「思い上がるな。小次郎」
桔梗は、将門の頬を両手で支え持つようにして、己の顔に近づけてくる。
「わらわが、小次郎のものではない。小次郎がわらわのものなのじゃ」
「桔梗の前。ちょっとトラブルがありましたが、これくらい想定内です」
背後で息のあがった女の声が聞こえた。
想定内だと!
はやりこの女、こちらの考えを見抜いていたか。
「すべてが判るわけじゃないんですよ。なんとなく……あなたって顔に出やすいから」
「だそうだぞ。小次郎」
女の言葉尻に、桔梗が乗った。
将門の頬を両手で包み込むようにして、捧げ持っている。
まさか、このまま首を切って、神棚に供えるつもりではあるまいな。冗談ごとではなく、本気で不安になりながら将門は、目の前にいる幼な妻の顔を見た。
桔梗も視線を外さない。
将門を見つめた美しいふたつの眸の中に、ふっと甘やかな光が浮かぶ。
「接吻するぞ。小次郎」
桔梗の考えなど、さっぱり判らない。
どこから、そうなったのだ。
いや。そうしろと言っていたな。あの傀儡子が……。
「はい。ちゃっちゃとやってしまいましょう!」
後ろから、こちらの気が萎えるような声が聞こえる。
あのバカ女を誰か殺してくれ。頼む。馬十頭やるから……。
「では、始めましょう。ああ、触れるだけじゃダメですよ。ちゃんとお口は開けてくださいね」
まるで、書の師匠が筆の持ち方を教えているかのようだ。
閨のことは、乳母が教えるものだと思っていたが……。普通に口吸いなど品のないことを姫が教わるはずもない。
またしても蔦は、将門の身体を押し包むようにして拘束する。
事態は、先ほどよりさらに悪い。まるで馬のように四つん這いにされているのだ。桔梗は馬の轡をとるようにして、将門の顔をつかんでいる。
「うむ」
「やめろ。桔梗!」
「わらわと接吻したくないのか。小次郎兄様……」
こんなときだけ、兄様とか言い出した。
まだ幼いばかりだと思っていた桔梗だが、ぞくぞくするほどなまめかしい。
引眉の下の切れ長の美しい目。唇の端をきゅっとあげたような表情には、この世の何ものにも対する恐れも不安も知らぬ。
物心ついたころから、大切にかしずかれ、美しさを褒めたたえられてきた少女のもつ気位の高さが全身から匂い立つようだった。
「ち、違う……ただ、こんな人前で、まして、おなごの方からするものではない」
我ながら、情けないほど声が上ずっていた。
さっき、横抱きにしたせいで単衣の衿が着崩れ、ほっそりとしたなめらかな首、まぶしいほど白い胸元が覗いている。
そんな場合ではないと思うのに、血の流れる音がわずらわしいほど耳に響く。
「桔梗の前。気にしなくてイイです。イリアだって、あたしからしてあげると歓んでますから、はい。遠慮なくしてください。先に進まないから」
先ほどからうるさい。傀儡子だ。
さっき、部屋が汚れることなどかまわずに、あの首を落としてやればよかった。
「よし!」
「ヨシじゃないだろうが、こら。桔梗!!」
下賤の傀儡子にそそのかされて、桔梗が顔を近づけてくる。
桔梗の手で押さえられていようと常ならば、避けるのはたやすい。だが、今は外道の蔦が将門の自由を奪っていた。
言われるまま、素直に桔梗は、ちゅっと音をたててくちづけする。
いったん、唇をはなしかけたところへ、傀儡子がうるさく騒ぐ。
「舌を入れちゃってください。きっと歯をくいしばっているはずだから、そこんとこを舐めちゃって、歯茎もぺろぺろって」
「うむ……うん……う」
もはや、返事をしているのか、何なのか判らぬ声を桔梗があげる。
その声を聴いているうちに、将門のほうがおかしな気分になってしまう。
呼吸のためわずかに唇が離れた瞬間、わずかに顔を動かすが桔梗は、健気に言われたように深いくちづけを男に施す。
「あっ、ダメだ。き、桔梗……う……んっあ、うぅん」
「舌も入れちゃって、絡ませて……はい。お上手ですね。唾液は将門さまに飲ませてあげてくさいね。そうそう、ちゃんと上顎とかホッペの内側とかも舐めて……」
傀儡子の指導がよかったのか。
あるいは、天性のものか。桔梗の唇と舌は蕩けるような心地よさを将門にもたらした。
不思議な感覚だった。
接吻ぐらいで骨抜きにされた覚えは、今までない。
気がつけば将門は、みずから桔梗の唇をむさぼっていた。
好いた女の唾液だからだろうか。それさえも甘く感じる。
「ああ、イイ感じに小次郎さま。仕上がってきました」
桔梗の唇の甘さをもっと味わっていたかったのだが、そんな場合でもないことにようやく気づく。
「貴様。誰を……! ぐっ、おうっ!!!」