「とりあえず暴れてもムダですから、おとなしくしてくださいね」
「この淫売が、やめろと言っただろうが!」
 将門は、杏珠の顔へ唾棄した。
 すぐさま蔦が盾になり、その目論見は外れる。

「ちょっと……将門さま。それってあんまりじゃありません」
 ゆらりと揺れる蔦の影から、外法つかいの女が顔を出した。
 怒っているらしいが、もとが頼りなげな風情の女なので、まるで迫力などない。だが、その外見に騙されて、今の事態に陥っている。
 将門は、用心深く女を見据えた。

「この俺にこんなことをしてタダで済むと思うなよ! 阿婆擦れ!!」
 将門は、縄を打たれた罪人のように唐錦の茵の上で、うつぶせたまま転がされている。
 そんな状況でいくら悪態をついても女たちは、悠然としていた。
「桔梗の前……うるさいから、将門さまのお口を塞いじゃってください」
「そうじゃな。何かあったかの」
「桔梗!!! お前、夫に対してなんだ。その仕打ちは!!!」
 幼な妻はまるで、夫の言葉を聞いていないらしい。
 桔梗は二階棚から蒔絵の手箱を取り出し、中を探っている。傍から杏珠が覗きこみ二人で、あれかこれかと言い合いをしている。

「これはどうじゃ。玉の櫛」
「おとなしく噛んでるようには思えませんけど……重いし、これ。ほかにないんですか」
「では、下人に申し付けて、馬の轡でも持ってこさせるか」
 それを聞いて、将門は戦慄した。
 桔梗ならやりかねない。
 将門の馬は、“竜”と呼ばれる八尺以上の巨大馬だ。純粋な日本馬はだいたい四尺ほどだが、騎馬隊は朝鮮半島から輸入した馬である。
 まさか本気で、竜馬の轡を……!?

「やめろ!!! 桔梗!!! お前、子供のころのこと根に持ってるんじゃないだろうな!!」
「さて、何かあったかの?」
 桔梗は空とぼけた物言いをした。その間もうねうねと伸びる蔦は、将門の四肢と言わず、首にまで巻き付いてくる。もはや、顔を動かすこともできず、目だけであたりの様子をうかがうほかできない。
「寝ションベンした布団を寝てる間にこっそり取り換えたり、髷を切られたり……って、それしたの全部、お前じゃないか! 被害者は俺だろう!!」
 必死で、もがくが蔦は切れない。まるで手足のない長虫のように腰を揺するぐらいしかできないのだ。

「やだぁ。将門さまってば、えっちな動き方してる。これってイリアだったらきっとこんなこと言いますよ」
 そう言って、傀儡子は桔梗に耳打ちをする。何を言ったかは、判らないが非常に馬鹿にされていることだけは、はっきりと判る。
 桔梗は、口を袂で隠して笑いを堪えているらしく肩が大きく揺れていた。
 さらに傀儡子が何事か言ったらしい。桔梗は、堪えきれぬといったさまで(姫としてはいささか破天荒だが)腹を抱えて笑い転げた。

「知っておるか? 杏珠、この小次郎は御伽草子で不死身の巨人のごとく言われておるが、こめかみが弱点なのだぞ」
 ようやく笑いを収めると桔梗は、いきなりとんでもないことを杏珠に向かって言いだした。
「そうですか。見た目は普通ですけどね。背は高いけど巨人とは……言いすぎですよ」
「そのへんはどうでもよい。民草の噂じゃ。それより試しにやってみようか?」
 桔梗は、将門のそばへひざまずいた。
 両肩から腕にかけて蔦が巻きつき、裂かれた着物の袖がようやく引っかかっているだけ。ほぼ裸という情けないありさまだ。手首まで蔦に拘束されては太刀を振るうこともできない。もっともどんな状況にあっても、桔梗に傷をつけるなど将門にできるはずもないのだ。傀儡子だけならともかく。
「押すな!! 触るな!!」
「ぽちっと」
 ふざけた擬音とともに桔梗は、将門の左右のこめかみを握りこぶしで挟み圧迫する。
「桔梗の前……それって、ぽちってカワイイ感じじゃないですよ。“ぐりぐり攻撃”じゃないですか」

 拳でこめかみを押さえつけられただけで、身体の力が抜ける。
 なぜかは判らないが、いつもそうなるのだ。どんなに鍛錬をしても、こればかりはどうしようもなかった。この将門の弱点を知っているのは実の母と乳母。……そして、この桔梗だけである。
「あぅうう……」
 身体じゅうが弛緩して、耳鳴りが始まる。





 遠くで、女の声が聞こえた。
「あ〜ホントだ。こめかみ押されただけで、へにゃっとなった〜〜〜」
「どうじゃ、杏珠。面白いであろう?」
「でも、肝心のトコまでへにゃってるから、止めといたほうがいいですよ」
 杏珠は、蔦を使って将門の大腿を持ち上げた。
「な……!」
 何をするか……と怒鳴るつもりで、口は開いたまま動けなくなった。
 両足を左右にひっぱられても、なすすべもない。女たちのほうから見れば、ちょうど蛙が押しつぶされているような恰好だろう。
 太刀を振るうことも叶わず、下帯もない姿のわが身の情けなさに将門は呻いた。

「それは面白くないが……」
 ほとんど前後不覚になった将門の足の間を覗き込みながら桔梗は、頬を染めている。
 結婚前も後も、幼い妻が成熟するのを待つつもりで将門は、指一本桔梗に触れていない。弓を引くおりには片袖脱ぎになるが、まさか、こんななりを見られることになるとは……。
 将門は、羞恥と怒りで身体中の血がいっきに逆流するような気がした。
 だが、今は押さえこまれたこめかみの鋭い痛みに、息ができない。



鉄身伝説
将門はこめかみにだけ弱点があると言う伝説。

『俵藤太物語』より……その有様まことに世の常ならず。丈は七尺に余りて、五体は悉く金なり。
『太平記』より……将門はこめかみよりも射られけりたはら藤太がはかりことにて