「これはなんだ」
将門は、いかにも面白くないという仏頂面でそう言った。
桔梗が近ごろ、奇妙な女をそばに置くようになったのは、かねてより聞いている。
外法や傀儡を扱う下賤の者は、本来、貴人の前にまかり出ることさえ許されない。だが、その女はまるで悪びれた様子もなく、将門の前にまっすぐに背を伸ばして端坐している。
頭を下げるという礼儀もないらしい。
まったくもって奇天烈な女だ。
髪は尼削ぎにして、肩をおおうほどしかない。
着ているものも、外つ国のものであろうか。後百済とも、唐とも違うように見える。
「これと申しますと?」
灯台の明かりの中で、将門の不機嫌がだんだん高じていくのを見ながら桔梗は、澄ました顔で答えた。
桔梗は、京の女のようにすぐに恥ずかしがったり、もったいぶって顔を隠したりはしない。
将門によく似た大きな眼でこちらを見据える。
くっきりとした二重瞼。漆黒の双眸は、燭台の火を反射して光っていた。雪のように白い肌に黒髪がかかる。
小袿のない白い単衣姿なので、その華奢な腰や肩がはっきりと見て取れる姿だ。
伯父、平良兼の娘で、物心つくまえからの許嫁であり、半年ほど前にようやく妻とした。
幼いころからよく知るこの幼いばかりの従妹を将門は、どうしても手折ることができなかった。
だからといって、二人きりの寝所に別の誰かがいることに我慢できるはずもない。
都では、男女が睦合うときにすら、すぐそばで女房たちが宿直をするらしい。
睦言どころか吐く息吸う息すら、数えられているのではないかと思えばぞっとする。もっとも、ここは東国だ。取り澄ました京の都ではないから、そのような因習はない。
「ここにおる奇妙な風体の女だ」
「これは、杏珠と申してわらわが召し使っているおなごじゃ」
どれほど、将門が怒鳴りつけても桔梗は、澄ました顔を崩さない。
将門は、胸のうちが煮えくり返るような気がした。
「だから、なにゆえ婢女が俺の寝所におるか!!」
「宿直じゃ」
「いらん。下がらせろ」
「わらわが呼んだゆえ、下がらせることはまかりならぬ」
「夫たる将門が、いらんと言ってるだろうが、今すぐ下がれ」
女は、困ったような顔をして将門と桔梗の二人を見比べている。
将門と目が合うと、白い歯を見せて微笑んだ。愛想笑いのつもりらしい。
まったく、この女はどうにも頓狂だ。
女というより、小娘といった年頃のようにも見える。
化粧もなく眉も抜いていないし、歯染めもしていない。(もっとも鉄漿に関しては、桔梗も婚約前と変わらずの子供っぽさで、この女のことは言えないだが)
婢女だとしても、主人の寝室まで入り込んでくるならばそれなりの装いをさせられるはずだ。女の衣装は、色目やその柔らかそうな布は見事であったが、形は貫頭衣のようで裾も短い。座っていてさえ膝頭が露出している。
桔梗は、斜めに女を見てその名を呼ばわった。
「杏珠!」
「……はぁ」
間の抜けた返事をしながら杏珠と呼ばれた女は、手に持った白い素焼きの瓶子に、どこから出したのか、小さな豆を二、三粒ほど落した。
瓶子を軽く振ると、ちゃぽちゃぽと水音がする。
「何の真似だ」
「ジャックと豆の木って……ご存知ないですよね。えっと、あれの変種なんですけどね。ちょっと待っててください」
のんびりした女の口調にも関わらず将門は、うなじのあたりを冷たい手でつかまれたような気がした。得体の知れぬ不安のような感覚に眉根を寄せる。
恐れるまでもない。外道に通じているとはいえ、たかが小娘だ。
瓶子の口から何か緑色のものが現れた。それはうねるようにひとりでに動く。
何かの植物のようにも見える。
――面妖な……目くらましか。傀儡のたぐいか。
とっさに枕辺に置いた太刀に手をかける。
だが、すでに遅かった。
鞘から引き抜く間もなく、両腕と足首に細い蔦のようなものが巻きつく。
「なっ!」
振りほどこうともがくが、ただの蔦に見えたそれらは、存外に硬く引き千切ることもままならない。まるで水に濡らした縄目のごとく皮膚に食い込む。
「おのれ、妖物が!」
鞘に収まったままの太刀を握り、将門が吠える。
自由になる首を動かし、桔梗の姿を探す。
桔梗は、すぐそばにいた。
怪しげな女のすぐそばに……。
「思ったより、早くに発芽しましたね。お酒を温めていたのがよかったのかな」
この女が外法を使うのは判っていた。
それをこうもたやすく誑かされたのは、その頼りなげな外見のせいだ。桔梗よりも年かさのようだが、ほんの小娘だと見くびったのが間違いだった
杏珠の手に持った瓶子から、不気味な蔦は出ている。狭い口から何本もの蔦が絡まり合いながら長く伸びていた。
どうやってこれだけの質量が、その小さな瓶子の中に収まっているのかは判らない。ただ、これは恐るべき力で将門の力を封じていることは確かだ。
「桔梗。逃げよ!」
とっさに叫んだが、桔梗は動こうともしない。
まさか、この女が何か妖術を使ったのか。
煮えくり返るような憤怒を込めて睨みつけてやると、外法つかいの女は、震え上がって桔梗の背後に隠れた。
「桔梗っ!!」
幼い妻を盾にされて、いっそう将門は怒り狂った。
蔦は、手足だけではなく、首や胴にまで這ってくる。その薄気味悪さに将門は総毛立つ。
「桔梗の前、ホントにやっちゃっていいんですか?」
ぼそぼそと外法使いの女が言う。
将門はわが耳を疑った。
この女の口ぶりでは、まるで桔梗に命じられてやっているかのようだ。
まさかという驚愕に血の凍る思いがした。
だが、思当たらぬでもない。
幼いころから、誰よりもこのわがままで、残酷な桔梗を知っている将門だ。
「かまわぬ。さっさとやれ」
まるで、一指し舞うかのようなゆるゆるとしたしぐさで桔梗は右手をあげた。
「いいんですか? それじゃ……もうちょっと、お酒を足しましょうか」
杏珠は、手近にあった別の瓶子から、酒を不気味な植物に振りかけた。するとまるで、その酒に酔うかのように、蔦はしゅるしゅると音を立てて伸びた。
将門の束縛をいっそう強固なものにする。
「いいわけないだろうが!!! この傀儡子ふぜいが」
「くぐつ……って?」
手負いの野獣のように荒れ狂う将門に、桔梗の後ろから杏珠が問いかけた。
あまりに茫洋とした様子に、呻きそうになる。
馬鹿か。……こやつ。
「馬鹿とか言われちゃいましたよ。もう、あたしやる気なくしそう……」
瓶子を左右に振りながら杏珠は、いっそう眉根を寄せた。
この外道つかい……俺の考えを読むのか!
将門は、鞘を抜かぬままの太刀を握りしめた。
「傀儡子とは、操り人形を使う芸人のことじゃ。まあ、気にせずにやれ」
捕らわれの夫の緊張とは裏腹に年若い妻は、淡々と言ってのけた。
「芸人ってあたし、持ちネタなんてないんですけど」
「なんの。見事な芸ではないか」
桔梗は、ほんのりと笑った。
大輪の華がほころぶようだ。
その名は、秋の七草に数えられるほど地味な花だ。だが、この従妹姫はそんな山草とは違う。
百花の王あるいは、富貴花とも呼ばれる牡丹に似ている。
思えば、この牡丹に何度、誑かされ嬲られたたことだろう。
そんな場合でもないのに、自嘲的な笑いがこみあげてくる。
【外法】仏法の正しい教えからはずれた法術。邪術や幻術。魔法、魔術、妖術といった意味あいも持つ。
【傀儡子】操り人形や奇術などをする芸人。呪術、売春も行っていた。
【鉄漿】おはぐろ