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●享保3年(1718)
●享保4年(1719)
●享保8年(1723)
●享保10年(1725)
●享保13年(1728)
●享保15年(1728)
●享保17年(1732)
1月1日−高松城下で大火,翌日にかけて80余町・町屋2,300余軒・船300艘が焼失する。
高松藩、領内煌害により大飢饉。
痘瘡が流行し、死者数千人でる。
高松藩、財政難により一部の藩士の禄を打ち切る(享保の大浪人)。
平賀源内、志度浦の足軽平賀定右衛門の子として生まれる。
高松藩、農村支配体制を改革(郡奉行1人、代官2人置き、郷(ごう)吟味役2人を新設)。
丸亀藩、藩札を発行する。
9月21日−幕府が備前国児島郡と香川郡の漁民間の漁場争いについて裁決する。
この年、近畿から九州にかけて雨が数十日降り続き、蝗虫大発生による飢饉、
餓死者1万2,000人余に達する(享保の飢饉)。