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●天明元年(1781)
●天明7年(1787)
●寛政元年(1789)
●寛政3年(1791)
●寛政4年(1792)
●寛政6年(1794)
●寛政11年(1799)
●寛政12年(1800)
●享和元年(1801)
●享和2年(1802)
●享和3年(1803)
5月−暴風雨に襲われ,家屋・船・稲苗などに大きな被害がでる。
高松藩、米価騰貴につき米1万石あまりを貧民に貸与する。
向山周慶(さきやましゅうけい)、砂糖製造に成功。翌年砂糖生産奨励を藩へ建言。
金毘羅参りが全国で爆発的な人気をよぶ。
7月26日−大風と洪水に襲われる。
3月26日−甲冑師27代明珍宗妙(みょうちんそうみん)が高松藩に召L抱えられる。
高松藩、砂糖の生産奨励を行う。砂糖運上銀を課す。
丸亀藩、城内の学堂正明堂(せいめいどう)を大手前に移し、孔子廟を設ける。
高松藩が、白砂糖製造の成功をうけて、砂糖方・砂糖会所を設置する。
高松城内西ノ丸に学問所を創建し、重臣の子弟に講習させる。
3月−蒲生君平が白峰御陵を訪れる。
高松藩家老玉井三郎右衛門、領内の産物を江戸・大坂へ積極的に売り出すことを献策する。また藩札貸付
による収入増をはかり、藩札通用増加策をとる(享和新法)。
高松藩、砂糖運上銀を廃止する。
高松藩、綿の運上銀を免除し、かわりに他領での売り払い銀を納めさせて正貨の獲得をはかる。