●元文2年(1737) 11月23日−高松藩が藩校で講義を復活し,庶民の聴講も許す。 ●寛保元年(1741) 10月2日−幕府が幕府領塩飽(しわく)島と高松藩との金手(かなて)漁場をめぐ る享保18年(1733)以来の争論につき,同漁場を高松藩領と裁断する。
●寛保元年(1741) 10月2日−幕府が幕府領塩飽(しわく)島と高松藩との金手(かなて)漁場をめぐ る享保18年(1733)以来の争論につき,同漁場を高松藩領と裁断する。