享保年間リンク⇒ | 東北 | 関八州・江戸 | 東海・北陸・甲信 | 近畿 | 中国 | 四国 | 九州 | 洋上 | 前ページへ |
●享保元年(1716)
●享保3年(1718)
●享保8年(1723)
●享保10年(1725)
●享保13年(1728)
●享保16年(1731)
●享保17年(1732)
●享保18年(1733)
●享保19年(1734)
●享保20年(1735)
吉宗、八代将軍に就任する。伊予西条松平家(紀州藩支藩)の頼致(よりよし=宗直)、
紀州藩第六代藩主に就任する。
大風雨大水、那賀(なが)郡新在家村大堤五町切れ、和歌山城下まで残らず大水となる。
百年以来の大旱魃、飲水きれ難渋する。
他国米入津停止。
高野山寺領修理下貴志庄(きしのしょう)の村々、吉仲庄(よしなかのしょう)調月(つかつき)村、
安楽川庄(あらかわのしょう)小路(しょうじ)・神田(こうだ)の小百姓100余人強訴する。
日高郡和田浦で竜巻発生、家27軒潰れる。
4月3日−幕府が畿内諸城の備蓄米調査のため勘定衆を派遣する。
城下金銀遣停止、紙銭通用を命ずる。
この年、近畿から九州にかけて雨が数十日降り続き、蝗虫大発生による飢饉,餓死者1万2,000人余に達する(享保の飢饉)。
紀州藩、煌災により、幕府から二万両を借りる。
3月22日−幕府が紀州藩主徳川宗直を戒告する。
飢饉、名草郡へ救米350石。惣人数改で名草郡は700余人減少。城下にも死体が多数氾濫する。
春秋寺社開帳、町在の御救(おすくい)として、歌舞伎・操芝居を許可する。
高野山寺領細川村、古佐布(こさふ)村、椎出(しいで)村、四(よ)村、志富田(しぶた)村、
安良見(あらみ)村、細野村、野田原村、善田村、笠木村、東郷村の百姓1,300人強訴する。