紀伊国年代リンク
慶長(1596〜1614)
元和(1615〜1623)
寛永(1624〜1643)
正保(1644〜1647)
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明暦(1655〜1657)
万治(1658〜1660)
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元文(1736〜1740)
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安永(1772〜1780)
天明(1781〜1788)
寛政(1789〜1800)
享和(1801〜1803)
文化(1804〜1817)
文政(1818〜1829)
天保(1830〜1843)
弘化(1844〜1847)
嘉永(1848〜1853)
安政(1854〜1859)
万延(1860)
文久(1861〜1863)
元治(1864)
慶応(1865〜1867)
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紀伊国(安政年間)

●安政元年(1854)
11月4・5日−大地震、大津波あり。和歌山、田辺、新宮ともに大被害が出る。紀州藩領内(勢州を含め、田辺領 新宮領を除く)で田畑の荒廃16万8,000石、倒壊・破損家屋1万8,000戸、流出家屋8,500戸、流出船2,000艘、 津波による死亡約700人と報告されている。

●安政2年(1855)
2月−幕府の勘定奉行らの海防巡見一行(勝麟太郎同行)が加太浦を訪れる。
11月−〔和歌山藩付家老・水野土佐守は江戸の自邸に練習場をつくり、西洋流銃隊調練を開始。〕
友ケ島に砲台を建築する。
和歌山に洪水が起こる。

●安政3年(1856)
4月−〔江戸・赤坂藩邸に文武場完成。蘭学所を設置。竹内静庵、伊東貫斎、柳川春三、赤沢寛輔らを蘭学教授 に招く。
和歌山国学所を創設する。

●安政4年(1857)
和歌山城の隣接地に岡山文武場を新設、軍学所、剣術場、柔術場とともに国学所、蘭学所を開設。蘭学所では 緒方洪庵の適塾で学んだ池田良輔が招かれ、洋学教育が本格的にはじまる。

●安政5年(1858)
慶福(よしとみ)、将軍家定の養子となり、家督を茂承(14代藩主)に譲る。
10月−慶福改め家茂が14代将軍となる。

●安政6年(1859)
コレラが流行し和歌山付近の死者1万人にのぼる。