弘化・嘉永年間リンク | 東北 | 関八州・江戸 | 東海・北陸・甲信 | 近畿 | 中国 | 四国 | 九州 | 洋上 | 前ページへ |
●弘化3年(1846)
●嘉永2年(1849)
●嘉永3年(1850)
●嘉永4年(1851)
●嘉永5年(1852)
●嘉永6年(1853)
●嘉永7年(1854)
閏5月−斉順(なりゆき)が46歳で急死、御三家・清水家の養子となっていた斉彊(なりかつ)が27歳で
紀州12代藩主に就任。
落雷により和歌山城天守閣が焼失する。
閏4月−斉彊死去。斉彊の養子の慶福(斉順の実子)が4歳で13代当主となる。
7月−伊達宗広(藤五郎・千広)が勘定奉行と大番頭を兼務、800石に加増。
浜口梧陵は有田郡広村に銚子から戻り、広村崇義団という農兵を組織する。
12月7日−治宝没。
12月12日−伊達宗広、蟄居閉門を命じられ、22日、改易処分されて田辺(現・田辺市)に送られる。
9月−海士(あま)郡代官仁井田長群(源一郎=南陽の息子)が「海防議」を藩に建議。
9月16日−ロシア船ディアナ号が開港を求めて大阪へ向かうため、紀伊水道を北上。