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●宝永2年(1705)
●宝永4年(1707)
●宝永7年(1710)
●正徳3年(1713)
●正徳5年(1715)
第三代藩主綱教(つなのり)没する。第二代藩主光貞没する。第四代藩主頼職(よりもと)没する。
吉宗、第五代藩主に就任。
大畑才蔵、小田井堰をつくり、田五千石をうるおす。
吉宗、家臣に二十分の一差上金を課す。
紀ノ川大水。前代未聞の大地震、潰家多数、圧死ところどころにあり。土地が割れて、
水・青砂吹き出す。
井沢弥惣兵衛為永に名草郡坂井村の亀池を築造させ、十カ所の田七千石を養う。
紀州藩が湊御用屋敷空地に藩校講釈所を設置する(のち講堂と改称,1791年学習館に改編)。
飢人多く、御救米二千石、岩橋組へ三十四石、飢人1,030人、一日1人1合、33日渡す。