善意溢れる「ホームページ作成講座」を斬り捲るのは、良心が痛みます。しかし、心を鬼にして、間違ひは間違ひだ、と指摘します。動機は動機、結果は結果です。善意でやつたからと云つて、全てが許される譯ではありません。
さう云ふ譯で、「とほほのWWW入門」に引續き、2番目の「被害者」となつて貰ふのは「WWW road(HP作成講座)」です。ここも、素人さんが手探りで發見したアクロバティックな「裏技」を、いかにも一般に通用するテクニックであるかのやうに紹介してしまつてゐる、困つたサイトです。
「とほほのWWW入門」同樣、サイト製作者の人柄が偲ばれる、良い雰圍氣のサイトです。しかし、雰圍氣が良いからと云つて、内容も良いかと云ふと、さうではないので、注意しなければなりません。
HP
、と云ふ誤つた略語を自覺症状ナシに平氣で用いてゐる時點で、この「講座」が當てにならない事は明かです。略す前の「ホームページ」なる語は誤つてゐるのであり、誤つた語を略した語も誤つてゐるに決つてゐます。では、なぜ「ホームページ」が誤つてゐると言へるのでせうか──「ページ」なる概念が、ウェブでは(せいぜい比喩的にしか)存在し得ないからです。すみけんたろうさん(すみけんリソース!)は、実際にはホームページなどというものは存在しない。そもそも、ページというものが存在しない。
と云ふ「暴論」を吐いてをられます。
比喩は比喩として用ゐられるから安全なのであつて、比喩が「そのものずばり」を示すものだと思はれたら危險極まりないのであります。「HTML+畫像+その他のリソース」をブラウザがレンダリングした結果の何か或物を指して何と呼ぶべきか、を考へた時、それを「ホームページ」と呼ぶのは、便利と云へば便利ではあります。しかし、なぜ「ページ」なのか、は全くわかりません。
「ホームページ」と云ふ語が意味不明のまま受容れられる事によつて、WWW周邊の現實はますます解りにくくなつてしまつたのではないか、と私は思ひます。便宜主義が却つて不便の度合を増大させてしまつてゐる、と私は思ひます。
發想を轉換して、「指す用語のないものは存在しない」と考へた方が、どうも良いやうな氣がします。「HTML+畫像+その他」と書きましたが、それで必要にして十分ではないですか。わざわざ「ホームページ」と呼ぶ必要はないのではないですか。誤解を生んでまで「便利」にするよりは、難解で「不便」であつても正確な方が誤解がないだけまだ増しです。
何だかよくわからない怪奇現象には何でもかでも「神樣」の名前を與へてしまつて、わけもわからないまま崇め奉つてゐる未開人がゐるさうです。しかし、彼等と「ホームページ」といふ語を用ゐてゐる現代人との間に、どれほどの懸隔があるのでせうか。
日本でもついにHPが個人向にPCを販賣することになりました。日本でHPが一定のシェアをとるやうになれば、今後「ホームページ」を「HP」と略す事が問題になるでせう。
殘念ながら日本では、現實に困つた問題が起きないと、理念の誤りは正されません。もつとも、「現實で困つた事が起きると、先行者が嫌がらせを受ける」と云ふのが、日本ではお定まりのパターンです。