愛と自由への旅立ち 

松尾みどり

<愛と自由への旅立ち>は会員制月刊誌「波動」の
2001年1月号から12月号まで連載されたものです。
今回初めてネット上で公開しております。


             最終章 人生の選択 ('05.03.16) 




もし、あらゆる宗教や道徳でいわれてきた生き方が
そのまま正しいのなら、この世に争いなどないはずです。
現実がそうならないのですから、何かが少しずれてしまったのかも知れません。
二十一世紀を迎えたいま、これまでとは違う新しい生き方について、
皆さまと共に考えてみたいと思います。





第1章 愛の実現


愛という言葉が高いバイブレーションを持つ理由

 「私はあなたが大好きです」「I LOVE YOU」「僕は君を心から愛しているよ」「父さんと母さんはお前を心から愛してきた」などなど、日常生活の中で使われている一番嬉しい言葉はやはり「愛している」という言葉ではないでしょうか。「愛」という言葉はなぜこんなにも人の心を輝かせ、見るもの聞くもの、食するもの全てが美しく、優しく美味しく感じられるのでしょうか。自分が「愛されているのだ」と感じ始めると心は穏やかに落ち着いてきます。更に「私は一人ぼっちではないんだ。この人と心が繋がっているのだ」と思えるのです。
 
 1999年に江本勝氏によって出版された『水からの伝言』の中に「愛・感謝」という文字に反応した水の結晶体の写真が掲載されていましたが、その美しさにとても感動しました。「愛」という言葉はどの言語で発せられても変わらない高いバイブレーションをもっています。それとは反対に「大嫌い」「ムカツク」などの言葉は重く息苦しく感じますし、もちろんバランスのとれた水の結晶体など望めません。

 私たちが無意識で使っている言葉、「愛」は人間がこの地球上で生きていく上で不可欠な水や空気に優るとも劣らないほどの大切な要素であり、実に人間の「生・死」にさえ深く関与しているのです。なぜならば「愛」こそは本来は人間の内なる「神」、つまり高い次元の自分自身との「繋がり」を意味するからです。 自己の「内なる神」の中心はあらゆるものと繋がっています。自分自身の中心は宇宙の中心と、そして、人間をはじめ動植物に至るまでエネルギー的に繋がっています。そのエネルギーは途切れることを知りません。

 「愛している」という意味は、どんなことがあろうとも、目に見えても、見えなくとも「繋がっているんだよ。分離して存在しているわけではないんだよ。元々、私たちの生命は創造された時から有機的に繋がってきたのだ。孤独というものは本来存在しない」という意味だったのです。


人生を楽しく生き生きと輝かせる源は自分の感覚を信じて行動することにあったのです。


自分との深い繋がりを見失うことで引き起こされる現象

 しかし、人間は長い間、この永遠なる宇宙的繋がりの意味を見失ってきました。それは人間たちが体験を通じて、極性でモノを見たり、相対的にモノを見ることで「学ぶ」「進化する」という意味を忘れてしまったからです。人間は善悪、優劣、勝負、正義、不義という二分法の枠組みを造り、それに合わせて比較、競争、闘争、破壊の社会構造でしか生きられないようにやってきたからです。従って常に人はこの基準に適合できなければ自分や他の人々を「裁く」という形を取ってきました。

 このようにして、自分自身(内なる神)から発せられる「直感」を無視して、人間のつくりあげた社会常識(特に律法)のみで人間の存在価値すらも裁いてきたのです。このスタイルは古代よりほぼ人間の考え方として定着し、今日に至っています。これが何を意味しているのか思い出してください。それは、世の中の人々に認められなければ、自分の存在価値は無きに等しいということです。そしてそれは本来の「自分自身」との「繋がり」を断つことを意味します。私たちは「本能」的に繋がりを感じて生きられる存在だったはずです。深い「自分自身」との繋がりこそが自己への信頼でした。信頼があるからこそ「怖れ」がなく、心から想うことを表現できるのです。「怖れ」は繋がりを失うという愛の欠如から生まれます。

 「わたくし」という存在は元来、エネルギーとしての存在です。「わたくし」が表現できるということは、内側から絶えることのない、神のエネルギーがほとばしり出るという意味です。誰にも、何にも制限を受けず、自分の想いを歓びで表現できる自由こそ、愛のエネルギーに満ちた生き方でありました。内側のエネルギーは、創造するエネルギーであり、生命エネルギーであり、免疫力であり、精力、そして性の力でもあります。

 自分自身との「繋がり」が失われれば、当然のことながら、これらのエネルギーは遮断され、そのエネルギーで創りあげている自分の現実は、前向きには考えられず、病気がちになり、精力も衰えてくるわけです。常に人一倍、世のため、他人のため、親のため、子のためと、我が身を削って努力し、忍耐し、頑張り、祈り続けても、自分の期待とは全く逆の結果しか現れないことは、ほとんどの人々が経験しているところです。従って、命令に従い他者の期待に応える真面目な人ほど、苦しい想いをするのです。

 一見、わがままそうな人たちを眺めて見ると、何となくその人たちはいつも元気そうで病気一つしない。冗談ぽく言いたいことも言いながら、周囲の人達も「仕方がないなぁ」という感じで見ているような気がして羨ましく思ったことはありませんか。いつも言いたいことを遠慮して我慢している人たちにとっては納得いかないことかも知れません。「どうして私ばかりがこんな想いをしなければいけないのか」と全てにヤル気を失ってしまうこともあると思うのです。我慢して自らのエネルギーを放出できない人にとっては、自由に自己表現している人の姿は「わがまま」にしか映りません。しかし、これこそが宇宙エネルギー(意識エネルギー)の運動の法則ともいえます。

 「どうして、こんな目に会うのか、私はもっと他の人々に認められてもいいはずではないか」と思う気持ちが、「こんな現実は信じたくない」という気持ちに変わり、「こんな自分にはまるで価値がない」と自分を嫌いになっていきます。そしてその原因を自分以外の所に置きたくなり、「○○のせいでこうなったのだ」と考えます。誰かのせい、環境のせい、時代のせいなどと理由はいくつも出てきますが、このサイクルにはまると、坂道を転げるように自分のエネルギー(光)がパワーダウンするのです。そしてそのことに気づかせるために、自分の魂は自分によく似たタイプの人を周囲に引き寄せるという仕組みになっています。

 自分の人生を楽しく、生き生きと輝かせる源は、自分自身の直感を信じて行動することにあったということを思い出していただきたいのです。それは感情的な発言や行動を取るという意味ではありません。感情的になるのは「自分の考え方を否定される「怖れ」の現れです。つまり、「こんなに私はあなたを愛しているのに、どうしてあなたは私の気持ちがわからないの」と相手を責めたくなったり、悲しくなったりします。愛はギブアンドテイクで与える愛と受ける愛で成り立ち、「与える愛の方が受ける愛よりも優れている」などとつい考えてしまいます。「愛」は内側から溢れ出すエネルギーですから相手を意識しませんが「愛情」は比較と条件を相手に要求する形になるので、この二つの間には天地の開きがあります。


自分の想いを歓んで表現できる自由こそ愛のエネルギーに満ちた生き方なのです。


祖母と母の考え方や生き方とその人生

 私もこの問題ではずいぶん、長い間苦しんだことがありました。私の母方の祖母は明治時代に佐賀の田舎の豪農の家に生まれ、医者になるのが夢でしたが、家の事情で諦め、ひとり中国に渡り助産婦の資格を取った後、祖父と共にアメリカ合衆国へ移民した女性でした。その十数年後に祖父が病死して、乳飲子を含む七人の子供たちを連れて日本に帰国しました。そして、助産婦として子供たちを育てましたが、その後の苦労は凄まじいものであったと聞いています。しかし子供の頃の私の目には苦労した祖母のイメージは残っていません。生来のダイナミックな性格と人種を超えた博愛に溢れた優しい勇気ある行動は、亡くなって二十年経った今でも、祖母を知る人々の間では語り草になっています。

 子供の頃の私はそんな祖母が自慢でした。こんなに人のために尽くした人も珍しいといわれるほどの祖母も、八十歳を過ぎて老人病院に入院することになり、時々私も祖母を見舞いに行きました。祖母は決して私に愚痴ることはありませんでしたが、晩年の祖母の心の中は、とても淋しそうで、色々と金銭問題も抱えていたようでした。八十八歳になった祖母は自らの人生を省みて私にこう言ったのでした。

 「みどりさん、人間の一生が成功か否かは、死ぬ時に自分の人生をよく生きたと想えるかどうかで決まるのではないかねぇ。私は今ではこれで良かったと思っているけどねぇ…。あんたは心から思う存分自分に正直に生きておくれ、そう願っているよ。」その言葉には何かしら思い残しが感じられましたが、自分の死を受け容れ始めると穏やかな顔つきになっていきました。目の見えなくなった祖母に聖書の一節や般若心経など、読んであげたり、意味を話したりして私とも短い時間を過ごした後、安らかに眠るように八十八歳の生涯を閉じました。

 しかし、私にはどうしても腑に落ちないことがありました。あれほど人のために尽くした人が、なぜ淋しい想いで、しかも決して恵まれているとはいえない環境で死を迎えたのかということでした。そして、そんな祖母の教育は母の姉妹弟たちにも、しっかりと受け継がれていました。中でも徹底した他人のために尽くす犠牲的、奉仕的精神は、私の母が一番受け継いでいるように思えました。その母の生き方もやはり迫害や苦労の人生だったようで、子供の頃の私はあまり母の顔を見たくはありませんでした。私の知る限りでは「自分のために」何かをして愉しむことのなかった人です。控え目で、何事も自分は最後で残り物でよい人でした。結果はいつもそのような環境で暮らさねばならない人生です。しかし人一倍信仰心厚く、神仏を大切にし、夫や子供や他人のために生き抜いても、次から次へと火の轍の上を歩くような生活が続いたのです。

 こうして祖母とは母二代にわたり、人に尽くし続けて決して幸せとは思えない各々の人生に、私は疑問を感じていました。しかしその疑問は解けず、悲しいかな、そこから深く学べなかった私は、自分の結婚生活でも更に大変な事態を招くことになります。十七年間の結婚生活の中で毎日、睡眠が三、四時間で働きづくめという過酷な日々が続いていました。そんな私は当時、身体も心もボロボロになりつつも、何が原因なのか、何が自分の真実なのか、一体自分は何のために生きているのかと自分に問い続けました。

 そのように苦しんでいる私を心配した母は時々、ご先祖供養をする所で、私の将来やその原因らしきことを訊いて私に伝えてくれましたが、私の心の中には、「そんなことじゃないはずだ」と、どこかに強い反発心がありました。先祖を大切にする気持ちは自分の中にはありましたが、お経を百回あげれば先祖が浄仏するとか、次々と家の中に問題が起こるのは、先祖が救われていないからだという教えには納得できませんでした。それをまた真面目に実行する母親に対して「一体自分自身の考えはどこにあるのかしら」と腹立たしく思ったこともあります。形式だけの仏教行事は正直言って苦痛以外の何ものでもありませんでした。しかし何故か「仏典や般若心経」などを読むのは好きでした。そのお経を書いた人の波動を感じました。様々な素晴らしい昔の高僧たちの話やエジプトの神官たちが伝える「古代の智慧」にも、とても心を動かされたことも事実でしたが、私が最も知りたかったことには及びませんでした。(第二章へつづく)





第2章 人間イエスの真実


大きな光の存在との初めてのコンタクト

 ある日、私は独りになりたくて、夜遅くから、星空の下、雑木林の草の上で瞑想をしていた時のこと、突然ある感覚が私を包み込んでゆきました。目を閉じている私の周りがとても明るく感じられ、まぶたをそっと開けると、少し離れた所に大きな光の存在を感じました。そしてその光体が、自然にイエスのエネルギーであることを認めました。私は宗教とは無縁で、しかもクリスチャンでもないのに、不思議に感じながらも問答が続きました。今考えますと私はいつも変な質問ばかりを訊ねていました。その頃の私は、自分はこんなに一生懸命やっているのに、私の何が悪くてこんな目に会うのだろうかと思い、夫のことを憎んではならない、愛情をもって接しなければと頭で分かっているのに、そうできない私は、自分を責めてもいました。そして、いつしか彼を敵のように思っていたと思います。

 「あなたは誰ですか」と私が尋ねると、「あなたのよく知っている人です」と答えが返ります。次に私は新約聖書の中の一節を引用して、まるで訴えるように尋ねたのでした。「イエス様、あなたはなぜ『汝の敵を愛せよ』とおっしゃったのですか。『敵』だと思って誰が愛せましょうか。あなたの言葉は矛盾だらけです。私には理解できません」などと一方的で余裕のない質問をする私。すると穏やかな言葉が返ってきました。「そうですね、『敵』と認める者は誰でしょうか」「それは自分です」「なぜ敵に見えるのでしょうか」「相手はしたい放題で、逼迫する経済を支えているのは私なのです。私はいつも我慢ばかりさせられているのです」「そうしなければいけないと思ったのは誰ですか」「それは私です」「そうしない自由はないのでしょうか」「そんなことをすれば生活は破綻をきたすでしょう」「やってみる価値はないのですか」「………」

 そして最後はいつも「自分」に原因があったことが分かるわけです。「敵」が自分だというなら結局、「自分自身を愛しなさい」「自分自身を解放すれば敵は存在しなくなる」となり、自分と分離してみていた敵は、許せない自分であったのです。つまり、自分で造った自分への制限を夫に投影していたことが分かり始めました。自分自身をラクにさせ、チャンスを与えてやると、不思議と相手に対する「こだわり」が消えてゆくことに目覚めました。人には各々、人の自由があり、各々の真実があることにも気づきました。それからの生活は少しずつ改善されていきましたが、何よりも自分自身が明確になってゆきました。

 そして、その問答に応じてくれるイエス様には尊敬と有難い想いで感謝していましたが、それからしばらくして、ある日、そのイエス様が対話中に突然泣き出されてしまって、私もすっかり戸惑ってしまったのでした。別に、考えてみれば、イエス様も私たちも同じ人間である以上、泣くことがあっても別に不思議はないはずですが、今ではすっかり神格化されたイエスとして各カトリック教会で祭られ、神の御子として伝えられているからです。あまり長くない会話の中に、イエスもかつての生存中に相当な想い残しがあったように感じられましたが、その時はそれ以上のことは分かりませんでした。一般の人から見ると、このような話は、ほとんど妄想狂か精神分裂症状と見なされるのでしょうが、今の私には他人がどう想うかは、あまり重要ではなくなりました。自分にとっての体験と真実は自分の中で認識していればよいことだからです。

語られたイエスの生い立ちと深い悲しみ

 「泣いたイエス」事件から十二年後の1999年、三月半ばに起こった「イエス自身の告白」は、まさに一人の人間・イエスとして生きた当時の想いと苦悩の全てであり、その内容は驚天動地で常識をあまりにも逸脱したのもでした。その告白が真実であるかどうかは、本人以外には誰にも分かりませんが、少なくとも2000年もの長い間、信じられてきたように、イエスが神に選ばれた唯一人の罪なき者で、贖罪として天に召された者ではないということと、その時代を生きた一人の人間イエスの生の声や姿は、あまりにも聖書の中から排除されていたことがわかったことでした。

 私は長崎市でキリスト教の中学校へ2年近く通っていたのですが、聖書の話には数多くの矛盾点や整合性のない箇所も多いと感じていました。またカトリック教会に従事している人々の多くが何かしら暗く、忍従しているようにしか思えませんでした。罪深く生まれた人間は天なる父に祈り、救いを請うべきだと考えるクリスチャンは、とても無理を強いられているようにしか思えず、子供心にも疑問を感じていました。こんな言い方は敬虔なクリスチャンに対してはとても失礼な表現に聞こえるかも知れませんがお許しいただきたいのです。私の申しあげるところは決してキリスト教を非難したり、否定したりするものではありません。それどころか自分の過去生はキリスト教に深く関わっていたことを自覚しています。率直に客観的に書きたいと思います。ここでは私が受け取った「イエス自身の告白」のほんの一部のみを紹介したいと思います。

 イエスの話によりますと、イエスは罪のない唯一の女性から生まれた神の唯一人の子ではなく、複雑な家庭環境に生まれ育ったインマニエル・イエスでした。インマニエルは聖書の中では母マリアと父ヨゼフとの間に生まれた長男ということになっていますが、実際は父、ヨゼフの子供ではありませんでした。早くに両親を亡くしたマリアと姉と暮らしていたヨゼフは、共に家代々が当時のエッセネ派と呼ばれる宗派に属し、そこでマリアよりも十五歳年上のヨゼフとは「許婚(イイナヅケ)」として決められました。しかし結婚前の十四・五歳のマリアは、ある時アーリア系の若い男性と知り合い、恋に落ちます。その青年を愛したマリアは、間もなくイエスを身ごもったのでした。

 インマニエル・イエスは長ずるつれて、愛する他の五人の弟妹たちと、どことなく身体的特徴が違っているのに気がついていました。父ヨゼフの態度からも、何となく父親が違うのではないかと、幼い頃から感じていたのです。しかしそのことについては母親には何も聞き正すこともできず、ただ内向的で母親に対して無口になり、十二歳の頃からたびたび家を出て帰りませんでした。そして生まれ故郷のナザレを出て、近隣の国や地域から、流れ者たちが集まる辺境の地であったガリラヤ地方に出かけては、貧しい人々と交わり、病人を癒したり、説法をしたりしていました。ガリラヤの人々はイエスの話に感銘を受け、口々に彼は救世主に違いないと言い始めたのです。

 イエスはあまり気にしてはいませんでした。様々な薬草を煎じる技術やヒーリング、それに悪魔祓いなど、その深い知識と霊力を使って数々の奇跡起こし、貧しい人々を救ったのでしたが、イエスは誰にも打ち明けることのできない深い苦しみを背負っていました。母親に対して、なぜヨゼフという許婚がいたにもかかわらず、自分だけが他の男性の子供であったのかということでした。そのことは後生、彼が「女性性」に対してオープンになれなかったという問題を抱え続ける原因になってしまいました。そしてイエスは「なぜ母は売春婦のようになったのか」と心の中で母親を許せませんでした。そしてさらに、そんな母親を許せない自分を許せずに、深い自己嫌悪が彼を襲うのでした。そしていつも激しく自分を責めていたのです。

 そしてその結果、ガリラヤ地方で、弟子としてスカウトした仲間たちは全員が同性愛者だったのです。皆、各々に母親や父親との確執で何らかの問題を抱え、愛に飢えた淋しい者たちでした。だからこそ彼らはイエスと共に貧しい者や悩める者たちを癒して歩いたのです。また、皮肉なことではありますが、イエスには磔刑に処せられる直前に、初めて自分の苦しみや自分の心の内を打ち明けた女性がいました。初めて癒され、愛した女性がマグダラのマリアでした。彼女は当時、町の売春婦として人々から投石されている所をイエスに助けられた女性だったのです。これらのことはほんの微かな部分にすぎませんがイエスがいかに辛い想いを抱えていたかがわかります。

体現された宇宙エネルギーの法則

 そしてイエスによれば、自分が十字架に掛けられたのは人類への贖罪などではなく、自分が自分自身をあらゆる意味で呪い、忌み嫌い、自分自身を受けいれられなかった想いの結果であったと言っています。従って、宇宙エネルギーの法則に例外はなく、エネルギーはいつも人間の意識に反応して、その人が自分自身をどのように扱ってきたかを表出するものなのです。ですから、いかなる結果も自ら創り出したものであり、また創り変えることはいつも可能であるということなのです。しかしイエスは、我々人類が持っている罪意識の想念エネルギーはアストラル体に磁化され、二千年を超えても残留することを証明してくれたように思います。このように、人間イエスとして話せたことで、彼はやっとその呪縛から解放されたと言っています。

 「私は苦しかった。他人(ヒト)は誰も本当の私を見てはいなかった。今は嬉しく、自分を祝福することができます」

 もちろん、イエスキリストの魂本体の次元は高く、まばゆいばかりのエネルギー光体として、またマスター(大師)としてこの地球上の人々と共に働き、この二十一世紀に生きる人々の意識変革を助けておられる方々の御一人です。最後に自らの体験をふまえて、自らが歓ぶことを知らず、自分自身(神)を愛することがなければ、現実の生活の中で輝きを体現できないとおっしゃっています。私はこの一連のことが明らかになりイエスという方を全人類が抱えた普遍なるテーマ『魂が永遠に生きる』という意味を演じてみせてくれた偉大なる身近な人として感じました。同時にこうして皆様に誌上をもって発表しましたことは、きっとイエスご自身の望みでもあると確信致しております。皆様と共にこの三千年紀を自分自身としっかり繋がって生きて参りましょう。(第三章へつづく)

∞ 次回 第3章 癒しのプロセス ∞