愛と自由への旅立ち 

松尾みどり


人は何度も生まれ変わり、多くの人生を経験するといわれています。
それを信じても信じなくても自由ですが
もし、人生の中で同じような結果が繰り返されるのであれば
時を越えた魂の存在について考えてみませんか。




第10章 生まれ変わってきた記憶


過去世での原体験を繰り返す理由

 初めて訪れた土地に足を踏み入れた時から何かしら懐かしく、以前にも来たことがあるような特別な親しみを覚えることはありませんか。あるいは逆に、何か重苦しい不安定な感覚に襲われることがあるかもしれません。見知らぬ土地ばかりではなく、初対面の人にも、遠い昔に「私はこの人を知っている。しかし具体的には思い出せない」といった「親しみ」や「懐かしさ」を感じた経験も多いことでしょう。

 なぜかと問われても、今の自分には理由は見つからないものです。それは遺伝子に記憶された潜在意識の部分なのかもしれません。前世紀においてヒトの脳科学の研究が進んだとはいえ、まだまだ未知なる領域であることは確かです。ほとんどの人間は、生まれて死ぬまでに、脳細胞のほんの数パーセントしか活性されていないといわれます。はたして、人間の脳細胞(DNA)には、過去世における体験的感情や、思い癖のようなものが記憶されているのでしょうか。今後の科学者の研究成果が待たれるところです。

 私はこの件について、過去1万人におよぶ方のカウンセリングや、自らの体験などを通じて、地球人は人間が持つ本来の宇宙意識(バランスのとれたエネルギー状態)に戻るまで、何度でも過去世での原体験を今世で繰り返しているのではないかという確信を持つようになりました。この地球に生まれ変わり、肉体と感情をフルに使ってこそ獲得できる凄いシステムなのです。

 人間関係の中で発生する「感情」のリアクション(反応)がなければ、地球人類が目指す進化の目的地へ至ることができません。つまり、いかに自分自身の本音で語り、行動できたか否かが肉体細胞に投影され、毎日の生活現象にも反映されます。我慢による自己抑圧で生じる否定的感情エネルギーとして、また思い癖として次世まで持ち越されてしまいます。自分自身が神の表現体であることを知る時、元来、恐怖は存在せず、自分が「永遠なる存在」であることに気づくように仕組まれています。

 こうして地球の転生輪廻というシステムが出来上がったようです。自分が自分自身に課した想いの呪縛から解放するまでの期間、私たち地球人は生まれ変わりを続けているのでした。そして、この時代に至り、ようやく多くの人たちが目覚め始めたようです。

 最近では、過去世の記憶を持ったまま生まれてくる子供たちが増えています。決して珍しくはありません。ただし、残念ながら、そんな子供たちも、親たちによる○×式の「常識観念的教育」優先のために、5〜6才くらいまでにその記憶を失ってしまっています。また、自然に自由に何でも話せる環境に育つ子供たちの中には、母親の胎内にいた頃の感覚などについて喋ることもよくあります。まさに胎教が後々まで大きく影響を及ぼすといわれるゆえんです。

 今から6年ほど前、4才の男の子を連れた母親が私の所を訪ねて来ました。「私たち夫婦には、この子が話す内容がよく理解できないので診て欲しい」という相談でした。私がその子に話しかけると、その男の子はとても無邪気で、普通の同年齢の子供たちとなんら変わりない可愛い利発そうな坊やでした。しばらく部屋にあったオモチャで遊んでいましたが、突然、私の椅子に坐ってデスクに向かうと、「ボク、バクスター。今はちがう名前だけどね。イギリスにいたの。歯医者だったの」と言うので私が、「どうして、お母さんのお腹に入って来たの?」と尋ねると、「お父さんとお母さんはその時、ボクの病院で働いていたのよ。でもボクが早く死んじゃったから、とても悲しんでいたの。死んでもずっとボクに会いたがっていたから、今度はボクが子どもになってきたのよ」と大真面目で答えます。

 その子の母親は、子どもの持つ潜在能力開発教育の熱心な研究者であり、自らも教室を持っていました。「この子が生まれてきて、とっても嬉しかったし、なぜかとても懐かしかった」と述懐しています。そして、その子が時々偉そうな態度で話すのでおかしかったとも言うのでした。こうして、過去世で縁があり、感情的に繋がった人々が必然で親子になったのは、各々のカルマ(バランスを失った部分)の要因を組み込んで、今度は地球上での役割(母と子)から本当の自分自身の感覚に目覚めてゆく最適な相手だからです。


ケンブリッジ この土地を深く知っているという感覚

 さて話は変わりますが、イギリスという国は、私自身にとっても、善きにつけ悪しきにつけ、自分の過去世において深いカルマを創った土地でもあったようです。1987年の初夏、夫の仕事で私たち家族は初めてイギリスへ向かうことになりました。ヒースロー空港で税関手続きを済ませ、向かう先のケンブリッジ行きのバス停に着くと、予定時刻を40分も過ぎたというのに、バスは一向に姿を見せる気配がありません。しびれを切らして、バスセンターの案内所で聞いてみると、「遅れている理由はわからないけれど、待っていれば、そのうち来るからだいじょうぶ」と繰り返すばかりでラチがあきません。

 イライラしているところにやっとバスが来ました。遅れた理由を尋ねると、「たいした問題じゃあない」と言わんばかりの表情で、「昼寝で遅くなったんだ、仕方がないよ」と答えるドライバー。私は思わず不満の視線を返してしまいました。「スミマセン」の一言もないことが不思議でした。日本では「すみません」「ありがとう」「お疲れさま」という、相手を思いやる言葉が日常生活の中で人間関係を優しいものにしていることに改めて気づかされ、日本人であることを意識して嬉しくなりました。

 しかしまた、イギリス人にしてみれば、たかだか30〜40分を急いでみても、たいして問題にはならないという感覚なのでしょう。いつもスケジュールを立てて動いていた当時の私にとっては、まさにカルチャーショックの一つでもありました。

 その後、バス停でも店の前でも、郵便局で2時間の昼食時間をとられても、誰ひとり文句を言う人もなく、延々と列を作って並ぶイギリス人には別の意味で頭が下がりました。なるほど、これが「紳士の国」と言われるゆえんなのかもしれないと考えていると、すぐ後ろで同じバスを待っていた中年夫妻から、「日本人ですか。あなたは人生(生活)を愉しんでいますか?」と笑顔で問いかけられました。つい反射的に「ええ、とっても」と答えてしまいましたが、実はこの「人生を愉しむ」という言葉こそが、私の人生テーマであったのです。そして、ふと見上げた空の青さに吸い込まれ、何か熱いものが胸の中に広がってきました。その瞬間に、それまでのイライラが消え、いつもの自分の笑顔に戻れたような気がしました。

 イギリスでの生活の第一日目は、こうしてこの象徴的な言葉で始まりました。そして、この些細な体験は、後にこの国で自分自身のカルマと対面するための予兆でもありましたが、その時は、そのことに気づくはずもありませんでした。さて、ようやくケンブリッジ行きのバスに乗れた私たちは、ホッとした安堵感と長旅の疲れで誰も口を開きませんでした。しばらくはただ、車窓の景色をボンヤリと眺めるばかりでした。

 時折、風に波打つ麦畑の上空を飛び交うヒバリの親子の姿がありました。きっとワーズワースも変わらぬ風景の中で詩を口づさみながら、あの美しい詩を書いたのかもしれないと思うと、19〜20世紀にかけて、イギリスからは多くの天才詩人たちが輩出されたことも頷けるところです。そんな想いを胸に、目の前の見知らぬ風景をゆっくりと、ボンヤリと眺めていた時のことです。「ちょっと待って、私はこの土地を知っているわ。前に来たというよりも、もっと深く知っているはず。懐かしくもあり、何だか少し恐い気もする」という不思議な感覚に突然襲われました。また、何かしら胸が押し潰されそうな、切ない気持ちにもなりました。しかし具体的なことは何一つ思い出せません。そのうち、ハッとして周囲の乗客を見回しました。すぐ近くの席で夫と子どもが疲れてグッスリ眠っている姿を見て、やっぱり、これが現実なのだと我に返りました。

 新しい住居に落ち着いた数日後のことです。さっそく町中の生活ゾーンをチェックするために出かけた折、歴史を感じさせるレンガ造りの建物群の中に、ひときわ古くて崩れかかった教会が目に止まりました。珍しく扉は開かれたままで、外から中の様子がうかがえました。誘われるように中に足を踏み入れると、誰もいない室内はヒンヤリとして薄暗く、古ぼけたステンドグラスの窓から差し込む頼りない外光だけが、祭壇上に掲げられた十字架上のイエスの姿を寂し気に映し出していました。

 入口には、再建のための募金箱とポストカードが束ねて置かれたまま、訪れる人の関心を待っている様子です。「もっと明るくて、元気な姿の教会になればいいのに」と、2000年近くもあの姿で飾られてきたイエスを気の毒に感じながら、3枚のポストカードを手にした私は、1ポンドを募金箱に入れて、そこを後にしました。

 そして別の通り沿いにある、400年も昔の建物が未だに現役として使われているカレッジの中庭に出ると、青空の下、青々とした芝生の中に植えられた樹木の間から、美しく豪華なピンクやクリーム色のバラがいくつも顔を覗かせ、まるで異国で知人に会ったように嬉しく微笑みがこぼれてしまいます。すぐ脇に置かれたベンチに腰を下ろし、しばらくあたりの雰囲気に浸っていると、何だかタイムトリップしてしまいそうな感じに襲われるのでした。日本にいる時とは全く違った、味わったことのない感覚です。「忙中閑有り」とばかりに、珍しく子どもを夫に預け、独りの時間に浸るひと時です。



誰もが例外なく、自分および多くの人の心の解放のために約束の地に生まれ変わるのです。


現実となった理不尽な出来事

 実をいうと、今回イギリスへ来ることに対しては、理由もなく珍しく抵抗を示した私でした。でも本当はあることについて自分の霊的ガイドに忠告されていたことが原因だったのかもしれません。いいえ、正確には離れた場所にいる友人が出発直前に、とてもリアルな夢を見たので忠告しておくと、言い残した言葉が心のどこかにひっかかっていたのでした。

 当時、イエスのエネルギーで現れた私のガイドは、夫との関係があまり良くなく、行先に不安を感じていた私に向かって、「心配はありません。その地に向かいなさい。私が必ずご案内いたします」と言うと消えてしまいました。それでもまだ心の整理のつかない私に、例の友人から電話が入りました。「今度のイギリス行きは、あなたの過去世で、ある時代、イギリスの女性統治者として国民のためには貢献したものの、当時、側近として仕えていたご主人の魂に対しては、裏切り行為による罪をつくったのだから謝罪のために行くのよ。たとえ、どのように理不尽なことが起こっても、ご主人に逆らってはいけない」という内容のメッセージであったというのです。

 それを聞いた私は、罪悪感を飢えつけられたようで反発を感じながらも、仏教に出てくる因果応報の話を思い出していました。「じゃあ、昔、過去世で夫を裏切ったから、今こんな苦労をしているってわけ?」「それでは永久に仇討ち合戦が続くことになる。どこかに真理へ至る道が隠されているはずだ」と腑に落ちないものを感じながら、何かしら空しさだけが広がっていきます。悲しいかな、その友人の言葉は、その後、私の潜在意識に残ってしまうことになったのです。

 そして、この気になる想いが強烈な磁力をもったエネルギーとなり現実を作り上げることを、嫌というほど体験しなければなりませんでした。しかし、気分的にはそれまでの時間に追われる日本での仕事から解放され、ロンドンまでの片道1時間20分の鉄道の旅を何度も往復するほど、元気に楽しい時間を過ごしていました。こうして、いつのまにか日本を出発する前の、あの憂うつな気分はすっかり影を潜めてしまい、すっかりケンブリッジでの生活にも慣れ親しむようになったある日のことでした。本当に理不尽なことが起きてしましました。

 当時、夫が師事した世界肝臓移植学会の最高峰といわれた、イギリス国籍のユダヤ人、ロイ・カーン博士がその功績に拠り、現エリザベス女王から、サー(貴族)の称号を授与され、その返礼パーティーが国内外の科学者を集めて、かつてニュートンが「万有引力」を発表した有名なトリニティホールで催されることになりました。

 私たち夫婦もその席に招かれることになり、当日、和服で出席する準備をしているところへ夫が帰宅しました。その姿を見た夫は、「そのヘアスタイルも和服も気に入らない」と突然、怒鳴り出し、不機嫌さを露わにしました。「相手に対する敬意のための装いです」と私が言うと、夫は、「お前だけが目立ってどうするんだ」と着古した木綿の服を取り出し、「これにしろ」と命令するのでした。あまりの大声に驚いた隣室の人が子どもを預かりにきてくれました。私はとても情けなく、ショックでトイレに逃げ込み、しばらく坐ったまま動けませんでした。疲れてボーッとしていると、先の友人の忠告が思い出され、「もしかしたら、このことかしら」と気を取り直し、再び夫の前に立ちました。

 するとベッドの上にあぐらをかいて坐った夫は「土下座して謝れ」と詰め寄ります。その時は、「理由もなくポーズだけで謝るなんて絶対できない」という強い拒否感がありましたが同時に、子どもの時から「いつも私ばかりが叱られた」という、「こだわり」があって謝れなかった自分を思い出していました。また、いつも父親や夫に対してビクビクしていた自分がいたことも認めました。

 自分の内に恐怖心があれば必ず自分の外から「攻撃」を受ける、つまり「恐怖を与えられる」というのがエネルギーの法則です。次の瞬間、不思議なことに事実がどうであれ、過去世で何かがあったのなら、ただシンプルに「ごめんなさい」と言ってもよいと思いました。相手の「辛かった」という事実を認めようと考えたのです。その言葉を口に出すと「これでもう終わりなのです。良かった、良かった」と心の内で別の音が響いていました。ふと気がつくと、目の前の夫の顔から先ほどまでの怒りは消え、普段の表情になっていました。

 そして、木綿の服でパーティに出席した私に、カーン博士が笑顔で話しに来られ、「皆さん、今日、日本から来られたドクター夫妻に乾杯!先月、私は日本の長崎に行き、大変感銘を受けて帰りました。彼女はそこの出身です」と紹介を兼ねて祝杯をあげてくださいました。その日以来、確かに自分が変わったと感じていました。


過去世の清算のために連れ戻されて


 ケンブリッジの夏は、夜10時くらいまで外が明るいのでカメラを持って散歩に出かけた時のことです。ある古びた教会の裏のレンガ壁の色に魅せられ、思わずカメラのシャッターを押してみました。後日現像してみると、肉眼では見えなかった光の柱の中に黄金の人影が写っていました。更によく見ると、あの1ポンドを寄付した教会でした。日本を出発する前に約束した例のガイドが写真上に現れ、私のカルマの清算の祝福に来てくれたと解釈したのです。そして自らを静かに省みると、自分の思い癖がいつも悲惨な結果を導き出していたことに気づいたのです。

 「何でも自分がすべての責任を負い、自分がやらねばならない。当てにならない夫に代わって、何でも完璧にやらめばならない」という思い込みが、他人の成すべき仕事まで取り上げ、その上、自分にはプレッシャーをかけ過ぎていたのでした。そのため、私の魂は、その考え方の波動を持ち越し、いく度も転生し、残念な死に方をした最も強烈なエネルギーの場所に、肉体をもった私を再び連れ戻し、カルマの清算をさせていたというわけです。

 しかし、過去世で相手に悪いことをしたから、今世で相手の魂からリベンジ(仕返し)を受けるという意味での「因果応報」は決してありません。自分のエネルギーを相手に投影したものを、自分が受け取っていたにすぎません。私がかつてのイギリスに幾度も転生していたことは間違いありません。私はロンドン塔の中に入ることがなぜかできません。また北部のスコットランドや湖水地方のカーライル城でも気分が重くなってしまいました。その他にも、イギリスの北部で「自由」のために戦い惨死した男性の時代の過去世もありました。

 若干20才の時、突然どこからともなく、英語で手紙を書くアルバイトが入ってきました。相手先は現エリザベス女王陛下宛でした。またチャールズ皇太子、ダイアナ妃との手紙のやり取りの仕事も2・3回ありました。後日、先の夫とは何度も、身内や敵として転生していたことが分かりました。アフリカの北部、ヨーロッパ、中東、中国、そして砂漠の民として、いつも対立する立場をとりながら、各々激しい時代を生き抜いた仲間でもあったのです。その度に、私は自分自身に対する抑制と強い枠組みの中での生き方のために、相手から追い詰められることが多かったようです。

 今度こそ、過去世の体験から、自分および多くの人々の心の解放、自由性の回復のために、約束の地である日本に生まれ変わりました。こうして誰もが例外なくさまざまな国に生まれ変わっているのです。


 <次回 第11章 子どもが育てる親の心>