水

●進化への旅-松尾みどり●

 このコーナーでは、ヒーリング・アーティストとして「意識の科学」という分野に取り組まれ、現在各地で活躍されている松尾みどり先生の講演内容をお伝えしたいと思います。この話は、みどり先生の不思議な体験を通しての話ですので、その体験がどういうものであったかに興味がある方は、『宇宙意識への扉』(中央アート出版社)という吉田信啓氏(日本ペトログラフ協会会長)との対談著書がありますのでそれを参考にされてください。

 講演内容を掲載するにあたり、松尾みどり先生ご本人には内容をチェックしていただき、このサイトへの掲載も許可を受けております。みどり先生のご厚意に深く感謝いたします。

 ※<生と死>では、みどり先生が改めて書き直してくださった原稿内容も含まれております。





   松尾みどり 最新情報 




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 <歓びの人生> 松尾みどり ('02.08.03)



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<生と死>

 地球と人類の誕生の秘密   人類というゲーム   内なる自己 

 「生きる」という意味   魂の使命   魂の約束


 

 私達は何故この地球上に生まれ、そして死んでいくのか…というような事について、私達は長い間疑問に思ってきました。その中で何故今の家庭環境・周りの状況や人間関係…例えば身近に接している人々の魂と縁があって生活をしているのか…そして様々な問題が起きてくるのか?その解答を今日は皆さまにお伝えできると思います。

 人間にとって確実だと思われること…それは「生まれたら必ず死ぬ」ということです。このように「生と死」はいつも背中合わせで存在しますが、これは長い間に人間が創り出した条件反射的なイメージなのです。これは私達の概念(考え方)が関係していて、その考え方というのは理性や知性で改めて考えるという事ではなく、最初に閃きのようにイメージしてしまうものの事を言います。

 例えば「癌」という言葉を聞くと一つの名前ですから「風邪」と同じようなものなのですが「癌」と聞くと助からない…または死を想定する人もいるかも知れません。重い病気になると祟りだとか家相・墓相・方角が悪いからだと思う人も現われます。たった一言その言葉を聞いた時にイメージしていまうもの…「癌」と聞けば多くの人が恐怖心を抱き、その恐怖心はどうして湧いてくるのか…実はこの現象が<自分>を解く鍵になるのです。何かを聞いた途端にイメージが湧く…このイメージこそが私達が自分の生き方として創り上げているものなのです。

 病気という本当の意味(これまでの自分の生き方に対する方向転換のチャンスやメッセージ)を知らないままに、病気とは勝負のように闘うものだと今まで感じていたと思います。しかし、最近では不思議なことにだんだんと自然回帰現象と同じで、自分の内側(本当の自分)に戻ろうというエネルギーが流れ始めているのです。

 西暦2000年前後になると何か大きな変動が起きると過去にエドガー・ケイシーやノストラダムスをはじめとする様々な予言者達がいろんな言葉を残しています。その意味がどういうものであるか…これは私達が<かたち>として自分の目の前で見ることはできません。しかし、確実に何かが変化していることは感じることができます。それは自分の中の意識・物事の捉え方で、従来の考え方とは全く違ってきたと感じる方が多数現われてくるということです。

 

地球と人類の誕生の秘密                                 

 私達人類はどのようにしてこの地球上に生まれてきたのでしょう。実はこの宇宙と思っている大宇宙は、この宇宙空間の中に多数存在しています。その中の一つの宇宙に属していますが、宇宙にも様々なグループがあり、多くの銀河系宇宙があるのです。銀河系宇宙というのは、爆発や収縮というエネルギー運動によって発生し、できたての銀河は熱あり光ありでとても流動的です。その中でグワァン…グワァン…と音が発生し、光と音が共鳴した瞬間に意識コード(記号)が埋められていきます。

 それが私達のDNAにあたります。爆発時に出現する多次元空間の中にこの三次元スペースもわずかに出現しました。この縦・横・高さの物質次元として機能する地球を生み出し、熱と光を使って創造主達(宇宙を最初に創造したといわれるエネルギー体)の意図をある幾何学文様の記号としてコード化し、この大自然の海や山や河や岩や植物、そして人間の遺伝子に情報として組み込んだのでした。

 特にこの地球は全体が水で覆われた「水の星」として三次元に出現した惑星であり、この銀河系宇宙では極めて珍しい存在でした。他の星々にも水は存在していると聞いていますが、その水量の多さと海と陸の割合が7:3に保たれ、私達人類も体内水分量がまったく同じ割合で生きていることでは他に類を見ません。この地球には外宇宙の様々な星から持ち込まれた数百万種の原種が、長い期間水の表面に浮かび発芽していく行程を経て、生命が水の中から生まれたことはまさに銀河宇宙の奇跡でした。

 そしてその種の中にこそ、宇宙リズムでエネルギーが働く創造主のプログラムとして遺伝子に組み込まれていたのです。あるプレアデス人達の情報によると、この地球は創造時には今のような三次元物体ではなく、創造主達の意識の中から生み出された四次元光体として出現した直径わずか30cm程の光球体であったということです。したがって引力のみで質量はありませんでした。それから百数十億年が経ち、三次元球体として出現した地球は、100日前後で太陽の周りを公転していたようです。やがて様々な要因で質量・重力が増大した今では、太陽の周りを365日(1年)かかって周るようになりました。このようにして私達すべてを創った創造主達は、やがて高度な知性体として出現してくる人類にある魂の目的を持たせ、それを完成するべく環境を整えたのです。

 その目的を果たす初期の段階として、創造主達は発達途上にある類人猿達に自分達(宇宙的存在)の遺伝子を組み込んだりしながら遺伝子操作を繰り返し、様々な種を生み出していきました。その中には神話やSFに登場する半人半馬や半人半獣、十数メートルもの巨人・巨獣が実在していました。その痕跡は人類考古学の発掘資料の中に見出す事ができます。しかし、その多くはあまり長生きできずに死滅してしまいました。その中で創造主達の理想的な形として生き残ったのが私達人類なのです。

 やがて人類は高度な知性を持った種へと進化していくのです。その進化にとって必要なことは創造体験を繰り返すことでした。その創造体験こそが智慧を生み出し、遺伝子の中に情報として記憶され、それが高度な知性を持ったより新しい人種の誕生となっていくのです。この創造体験とは概念といった思考に基づいた体験とは異なり、自己の内側からの感覚に基づいた体験のことです。それこそが内なる神と一つになるという創造主達の人類創造の目的であったのです。

 人類に限らず、あらゆる種の進化において高度な知性、新しい種を生み出すために様々な体験が必要とされます。その情報を貯蔵するための星として誕生したのが地球なのです。ある意味では高度な知的生命体を生み出すために用意された舞台こそが地球でした。進化の途上にある私達にとっては、それは未知数ですが実はこの地球を創った創造主達にとっては初めてのことではありません。過去には別の宇宙ですでに完成・完了したケースもあるということです。つまり今のような地球の段階を経て、はるかに進化した星もあると聞いています。

 今回の地球での進化プログラムの目的は、本来一つのものを二つの相(例えば陰と陽・男と女・闇と光)として体験しながら、また元の一つのものとして統合完成させるゲームでもあります。もとより私達はある二つの宇宙を統合させるべく計画された存在です。その二つの宇宙はこの極性の宇宙に属しており、各々の宇宙はまだ完全にネガティブ(否定的感情)をクリアできない状態なのです。

 一つの宇宙から来た遺伝子は、ネガティブな部分がかなり多く存在し、もう片方の宇宙は比較的ネガティブな部分が少ないものの完全にクリアな状態ではありません。この二つの宇宙を統合して完全にネガティブな部分を除去し、次なる次元へと進化させることが目的なのです。その二つの異なる特徴を持った情報が私達の遺伝子(DNA)の二重螺旋構造として表わされています。

 洋服に例えると一度完成した服を解体してバラバラにし、再びその服を縫い直し元の服の形に戻すようなものです。しかし、縫い直された服は前と全く同じコピーではなく、前にやった経験から「今度はもっとこうするとうまくいく」というように、そこには智慧が加えられ前の時よりも良いものが出来上がるというものです。こうして地球も元々は完全に統合されていくプロセス上にあり、元の光体に戻るということで次の時間軸に移行させる…つまり私達の意識を新しい意識感覚の中に移行させるという意味でこれをアセンション(次元上昇)と言います。

 簡単に言うと今の重い質量を持った地球のようにネガティブな感覚の魂を持つ人々が住む地球の意識状態と、それらをどんどん手放し全ては「私」を見るために必要な人間関係だという事に気づき、本来軽い光体である(元々の地球と同じように)自分自身の魂の世界へ還っていこうというポジティブな意識を持つ人々とが大きく二つに分かれる時代がやってきます。意識の変化は’90年代から徐々に始まっていましたが、その大きな変化は’99年8月後半を境に大きく動き始めます。

 動くという事は自分自身の本質を知って自分の内面(意識)を変えていこうとする人と重い意識を持ったままじっとしている人々とでは、同じ場所には住めなくなるということです。例えばどぶに生息する魚と清流にいる魚とは一緒に呼吸することができません。それと同じようにどちらが良い悪いという世界ではなく、自分がどの世界に住むかを自然と選択していくかたちとなり、同じ地球に住んでいるのに不思議な事が起こってきます。そしてネガティブな波動を持った人は磁石のようにネガティブな波動を持った人々を引き寄せるようになり、ポジティブな人はポジティブな人同士が出逢いをしていくというわけですが、こうなってくると当然現実の生活の中で組み替えというものが起こってきます。  


人類というゲーム

 従来の人間の教えは良い悪い、正しい正しくない、勝ち負け、成功失敗…といつも物事を二つに分け、そのどちらかに自分を当てはめ常識化している二元的発想の価値観に相当苦しめられてきました。この宇宙は極性の宇宙ですから、この私達の所属するグループは何を持ってこの私達のDNA(意識の遺伝子)を組み替えていくかというと一つは陰と陽という世界です。例えば男性と女性・月と太陽・闇と光というような感じですが、闇というと真っ暗なイメージがあり良くない感じがします。このように重い意識を持った世界を闇と呼び、光の世界はその反対側です。しかしこれは闇と光を両極性のように分けてありますが、私達の考えでぱっと瞬間的に分けているだけのことで実はそうではないのです。時間も同じで往きの時間と還りの時間というふうに循環しています。

 戦国時代の武将達は敵国へ行って多くの人々を殺してくると英雄として崇められ憧れの的でしたが、時は変わり平和な時代を迎えるとそういう人達は戦犯として裁判所に送られます。殺人という同じ行為をして時の英雄となるか、時の戦犯として成り下がるか…もしお互いがワープしてお互いの時代にいくと今まで正しいとされていた事は正しくなく、正しくないとされていた事が正しいとされるのですから英雄も戦犯も混乱してしまうでしょう。こういう風に正反対と思われている両極のものが循環することは、地球上ではしょっちゅう起こってきましたが、どちらが正しいとかではなくただ宇宙のエネルギー運動にすぎないのです。しかし、何故こういう状況に置かれた時に私達は一体どちらが正しいのか?と頭を混乱させてしまうのでしょう。それは私達がどちらが正しい正しくないというふうに物事を二つに分けてしか考えられなかったからです。

 私達人類は天地創造の随分後に出現しますが種は全部用意されており、私達は意識の中に宇宙時代からのその種を持ってずっと今日までやって来ました。ということは宇宙的に物事を見ることが本来の姿なのだということを自分の深いところで知っているからです。つまり今まで物事を分けて考えていたものを一つのものとして捉える…太陽が当っているかいないかで光と闇を分けるのではなく、光や闇があっても元々地球は一つだったと思うのと同じです。このように私達は自分の姿も人の姿も一つのものとして見ることができるようになるまで…その意識を取り戻すまでこのドラマを演じていく…そのドラマがこの地球で行なわれるという計画が成されたのです。

 ですからこれを一つのゲームと言い、これを創ったもの達をゲームマスターと呼びます。そのゲームマスター達はいろんなゲームをこの中に組み込んでいき、私達の中にある意識もある日遠い昔に彼らによって組み込まれたプログラムだったのです。そして個としての私達の魂がいろんな星からこのようにして遺伝子を持ち、この地球に地球人(人間)としてこの地上に生まれ、地球の体験をするという目的を持ってやって来ています。

 私達の遺伝子(DNA)は、二重螺旋構造の中に4つの塩基を持っており、それを組み合わせていろんな情報が組み込まれています。そこで私達がもっと自分の内側に向かいオープンにしていくことで、その中から深い叡智が引き出されることになります。自分自身の意識の中からそのコードを自分で引き出すというふうにプログラムされているのです。ですから人を幸せにしたいと誰もが思うのですが、本当にそれができるのは自分自身で、自分でしか自分を幸せというかたちにはできないのです。幸せというかたちがどういうものであるかは、私達の遺伝子はちゃんと知っています。

 この地球は三次元という物質の世界ですが、この世界こそが私達には必要で今回の<人類>というゲームは三次元を活用するということでした。このために地球という惑星は特別に創られたのです。そしてこの三次元において私達は次の時間軸というところへ移行しようとしており、まさにこの地球はその境となる時間軸の上に今いるのです。


内なる自己

 今の地球は意識の世界においては13層の時間軸の中に存在し、12までは同じ枠の中でカレンダーでも時計でも12…となっています。13番目から次のステップ(軸)に上がります。ですからマヤのカレンダーも13の月というのがあります。そしてこの地球では、13番目の時間軸の上に今います。次の地球へ移行するために、今までの二元的思考で重くなった地球と同じ地球なのに全ては一つなのだという一元的思考で軽くなった地球…私達はちょうどその真ん中にいるのです。そして完全に移行しようとする時に新たな宇宙の時代がやって来て、人間でいうとある時代から次の時代へといく時に何かが起こり、それは戦争や革命だったりします。

 しかし、今回のそれは私達が新しい世界へ行くという<意識の爆発>でそれがこの西暦2000年前後に起きると言われています。そしてフォトンという細かい光の粒子のゾーンへと入り、’99年8月がピークでその真ん中に位置しますが、その年の後半にかけ目に見えて台風の目が去って行った後のようなことが起きるかもしれません。しかし、これは恐怖という意味とは全く違います。人間がこのような状態に移行しているという一つのかたちが現われて、過去の重い世界から軽い世界へただ移ろうとしているだけのことです。

 そして長い間、生きて死んで…を繰り返すこの地球人を体験するというプログラムが私達には成されていて、各々が本当の自分を探す…つまり内なる自己、自分の中心に還っていくことが役割として与えられています。そしてその内なる自己のことを神と呼び、これが本来の神で私達自身のことです。その自己の中心にはゲームマスター(地球や人類の計画を創造したエネルギー体)の種を持っていますから、それぞれが創造主ということになります。これこそが生命(光)の源ですので神と創造主と本当の自分というのは全部同じものです。

 また宇宙意識・仏の知恵・キリスト意識と呼ばれるものも生命の源のことで、呼び方が違うだけの横一列の同じもので自分の内側に存在します。ですから自分の内側に還ってくることができなければ…今回大変です。何故かというと自分が自分へと還った時のみ本当にこの世界が調和(愛)という世界になるのです。今まで調和というとお互いが我慢し合って生きよう…これが調和の世界だと思っていたと思いますが、これは調和とは言いません。そしてこの調和の世界へと還ってくるまでの歴史が私達人類の歴史であり、一人一人の魂はこの途上にあったわけです。

 皆さんはあともう一歩というところで今、自分探しの旅の途中ではないかと思いますが、私は私で良かったんだ…と確認が取れた時にとても軽くなります。自分の内側の中心である意識の組織(DNA)には宇宙情報が全部あり、そこは自分で内なる自己へと還って来た時にゲームマスター達によって組み込まれたプログラムとアクセスできるセンターでもあるわけです。ですから取り合えずの私達の第一関門は、自分で自分を信じられるようになるということです。そこに到るまでの間、ある人は宗教に…ある人はヨガや気功・瞑想をやり、これをやれば…と思っていたらそこから先には進めません。

 このパターンは多くの人達が自分の内側に神が存在するにもかかわらず、外に向かって神様…仏様…どうか私を救って下さいと願い、人に奉仕をすれば救われる…努力をすれば…あるいは我慢すれば…頑張れば…親切にすればきっと良いことがある…と本当にやりたくてやるのではなく、自分の本当の気持ちを犠牲にしながらやって行くことの方を教えられてきているのです。これが今までの三次元の人間社会の常識だったわけです。

 しかし、これでは私達の内なる自己は空洞のままで、どんなに努力しても心の調和が得られずに幸せになれないのです。このように自己犠牲の気持ちで宗教に一生を捧げた生活をしたとしても神仏に期待している間の結果は挫折に終わってしまいます。というのは内なる自己はそれを自分のためにやりたくてやったとは思わないからです。基本は自分が自分を認めた時にしか満たされないのですが、何故期待するかというとこの場合、人が喜べば…というふうに自分の外側に自分を合わせて生きていこうとするのでその結果、人が喜ばなかったら不満(満たされず)を感じるというわけです。

 こうなると内なる自己は創造主(神)でありながら何一つ創造できない…つまり自分で思ったことを外に表現できず<私>というのがなく、本来の<私>がどこにいるかさえもわからないことになってしまいます。ところがこの宇宙エネルギーというのは、自分自身の内なる自己が今どういう状態であるかを報せてくれるのですが、どういうふうにかと言うと自分の内なるエネルギーが自分の現実にそっくりそのまま現われる…つまり自分自身が今置かれている環境・状況・人間関係などのことです。

 ですから、現実を見ることによって自分が自分をどのように扱っているか見ることができる仕組みとなっています。現在、一生懸命生きているにもかかわらず自分の中で何らかの不満や思い通りにならないものがあるとするなら、それはまだ方向違いの外側へと意識が向いているからで、本来の内なる自己を無視しているということなのです。そしてその内なる自己を無視した分だけ現実の生活の中であなたを無視する人がでてきます。自分自身を無視し続けると希望を失い、ついには自殺を考えてしまいます。

 自分の内なる声…これをやりたい・やりたくない、これは好き・嫌い、何が必要で何が必要でないか…自分が内側から感じるものを言葉に出していくというその行為が必要だったのです。しかし今までは、そうすることで相手の反応を気にし、その反応への恐怖から結局我慢して内なる自己を圧縮し続けてきました。あなたの内側が思う事を言葉にだし、それを本当にやりたくて行動に移す…やりたくない事はやらない…これで初めて自分の内側に繋がることができるのですが、とにかく意志表示をしていくということが今までの常識と違います。

 今までの常識が正しければ、とっくの昔にこの地上から犯罪・戦争はなくなっているはずで自分の中にも空洞はありませんでした。しかしその常識を信じてきた結果、今の私達は大変な状態になっています。生きがいがないという人達は、この内なる自己(神)が満たされていない…自分が自分を裏切っている…自分の音つまり内側の声を聞こうとはしていません。すると現実にはあなたを裏切る人が出てくるのです。自分を認めた分しか出来事として現実にはでてきませんが、これが何と私達の体にも現われるのです。それが病気というものなのです。


「生きる」という意味

 自分が自分を信じ、満たされていれば健康で免疫力もバリバリです。言いたい事をはっきりと言っているにもかかわらず、人間関係はとてもスムーズで信頼もされます。何故なら自分を信じた時に初めて人に信頼されるのです。そして自分の内側が満たされた時に全部(環境・状況・仕事・人間関係・お金・健康)が満たされ、どれか一つが満たされないということはありません。ですから自分への信頼度がどれくらいなのかをこの現実にでてきたものでわかるように、宇宙エネルギーというものは私達に知らせてくれているわけです。
 
 病気になったり、思うように事が運ばなかったり、不幸続きだったりすると人は「現実はきびしい…」と言いますが、実は自分の考え方の方向性が違っていた…だけなのです。自分が自分にどれだけ我慢させたか…宇宙エネルギーはその通りにでます。私達のその時の想念(エネルギー)状態が現実に、そして体にでてきているだけなのです。ですからそのことがわからないと方角や土地・名前が悪い、悪霊が憑いているなど自分の外側に原因をもっていくわけです。中にはお清めや浄霊をする人もいますが、本当のお清めという意味は<我にかえる>私が私であるという…私が主観者であると認識することです。

 今まで私達は相手の反応を気にし過ぎるばかりに自分の気持ちを正直に言えないで、人任せにし自分自身を無視してきたことが多かったと思います。すると自分の内側は空洞でそこにガンガン入ってくる人が現われます。これが国なら他国に攻め入られ、侵入され自国の方向性(自分で判断する力)を持たないのと一緒です。自分がどの方向に行きたいのか、どういう風に暮らしたいのか、どうなっていきたいのかというような意識のない人は必ず外から攻めを受けます。

 ですから、もし地球民族が地球の行方について放棄したらエイリアンから攻撃されますが、今回はその心配はありません。このように自分の内側へと目を向け、自分の所在をはっきり確認する時から私達の世界は全部変わっていきます。今まで自分がどういう人生を送ってきたか…見つめ直してみてください。すると私達は方向違いの考え方で一生懸命生きてきたことがよくわかります。

 一番良い例が人間関係です。自分を取り巻く人間関係(伴侶・親・子供・恋人・友人・上司・部下など)には様々な人がいます。Aさんは優しくて良い人だから好き、Bさんは意地悪で自分にとっては悪い人だから嫌いというふうに、周りの人を品定めしていきます。ところが全部自分の中にある意識をその人を通して投影して見ているだけなのです。人間関係というのは、いろんな人に自分を投影させて自分を知るためのものだったのです。

 花を見て美しいと思えるのは、その人の心にその美しさがあるからだと言いますが、このように自分を投影してくれているものは人だけではありません。自分を取り囲んでいるもの全てが自分を投影し反射して、自分というものを教えてくれているものなのです。その反射してくれたAさんですが、Aさんを優しいと思うのは自分の中にあった優しさを投影させて(もちろんAさん自体優しい人でしょうが…)あなた自身にもその優しさがあるということを思い出させてくれた触媒ということです。Bさんにも逆に同じ事が言えます。

 ですから自分を正直に素直に表現できないで、我慢に我慢を重ね過ぎるような人生を送り続けていくと怒りというエネルギーに変わります。怒りにもいろんなかたちがあり、罪悪感(自分への怒り)・憎しみ・自己憐憫も怒りの一種です。これを自分の中にため過ぎると霊障というかたちで現われ、恐ろしいものが見えたり聞こえたりするのです。

 この現象は自分の中から出てきているだけのものであって、決して外から来るものではないので、いくら浄霊・除霊をしたところで本人が自分を自由にし、あらゆる怒りを解放するということをしなければ他人が除霊をするということなど完全には誰一人できないのです。よく自分は霊媒体質でいろんなものが見えたり、霊に憑かれやすいという人がいますが、そういう霊現象などは全て今まで自分が自分をどれだけ我慢させてきたかというエネルギーの現われであるということです。そしてそれが理解できた瞬間、その現象からは解放されます。

 自分で自分に我慢させる(言いたい事が言えない・周りの反応に対する恐怖心を持つ)ということは、心の中が圧縮されその意味がわからなければ、霊障の多くを受けて自分自身を殺すことになります。自分の音を聞かない、自分の内なる声を聞かない…その極みが自殺です。そしてその音を聞かずに無視し、心を空洞化させたまま生き続けると、最後は孤独の中で死を迎えるということになります。この死というのは、いかに長い間自分を振り返らなかったか…本当の自分の気持ちを聞かなかったかという結果が最後にでるのです。

 死にも病死・事故死・自殺…いろいろありますが、なんであれ魂としてはこれ以上空洞化されてはたまらないので(特に今期は絶対に次の時間軸に移行しようとしているため)もうこれ以上はちょっと無理かなぁと自分の魂が決めた時に<死>が訪れます。そういうわけでその人が「もう生きたくない、もう創造したくない…」と創造主でありながら創造をやめるということが<死>を意味します。ですから<生きる>ということは、逆に創造するということなのです。次から次に自分はこれをやろう…あれをやろう…これが生きるという意味です。

 私達にとって一番大きな創造は、自分で自分の人生をこういう風に生きていこうと次々にプログラムしていくという作業です。もし失敗したとしても、じゃあ今度はこうやってみようとどんどん創造していくことです。本来の意味は、まずは私達の<想い>でその内側からやって来る直感に従うということです。その直感というのは、空洞ではなく創造主からやって来るものですから、その想いを取り合えず口に出すということがとても大事なのです。


魂の使命

 今まではこういう事は言ってはいけない…と自分自身をずっと抑制し続けてきましたが、そうすると大体喉を病みます。喉は創造のエネルギーを通すところですから、抑制されたままだといつも喉の調子が悪いということになります。自分の想いを声に出すというのはとても重要で、宇宙の創世時のように物事を実際に現場へ出現させる(現実化する)ために必要な波動なのです。宇宙創世の時も根本創造主はまず音を出し、その音から光を創造しました。三次元では、雷のように光があって次に音…のような感覚ですが物質次元ではない音…つまり私達の意識の内側ででき上がった最初の声・音は創造された瞬間、どちらの方向へと進むのかという幾何学文様(DNA)を持った光となり、それで自分達の現実が生み出されているというわけです。

 ですから本当に自分が望む現実を創るには、思っているだけじゃ駄目だということです。観音様の観音とは、自分の内側の音を観るという意味で、音は創造の源ですと伝えてくれているのです。神様や仏様にお願いばかりしていても前へは進めません。自分の内側にある音をしっかり聞いて、それに従って行動に移すことです。自分の外側に意識を向けて望みを達成しようとしている限りは、その望みは達成されることはありません。そして自分の内側の状態が今どうなのか…ということで人とも出逢っているわけです。ですから音(波動)というのが、最初の原理なのです。

 今世で創造すること(例えば音楽などの芸術分野等)に携わっている人達は、今まで自分を創造できなかったので今世こそは表現していこうとまさに創造を始める、本当の自分に戻ると魂が約束をしてきているのです。そしてほとんどの子供達がモノを創る…という行為が大好きです。というのもこうやって肉体を持って生まれてくるということは、前世でやり残したことがあるからでこの地上に生を受けて間もない子供達というのは、すぐにやりたいことを無心でやり始めます。音楽が得意、絵が上手という技術の問題ではないのにもかかわらず、大人達はそのことに優劣をつけ、差別化という二元的な思考を与えて自分自身を創造することを狂わせてきました。大人達が悪いというわけではなく、その大人も子供の時分にはそのように育ってきているだけなのです。

 私達が本当に感動し、生きてて良かった…と思えるのは自分が自分らしく誰の邪魔もなく、自分の世界を表現できた時です。その表現の第一歩が自分の想いを言葉にするということで、次にこの言葉を行為で示すということになります。言葉にして行動するということで、私達は初めて<体験>というのができます。魂にとってこの<体験>こそが必要だということは、『地球と人類の誕生の秘密』でもお話しました。しかし、人々はこの<体験する>ということをいろんな都合の良い理由をつけては体験しないことの方を選択することが多いのです。

 それは体験するにあたっての状況や結果を恐れて(恐怖心)いるからです。自分が実際に体験してみることで私達は深い叡智を得ることができるのです。ですから成功・失敗を繰り返しながらも、とにかくたくさんの状況を<体験する>ということが今回の私達の魂の使命だったのです。私達はたくさんの体験をするために、この地球へとやって来ました。そしてその体験から得た叡智は、これから後に続く人類のDNAの中に組み込まれていく仕組みとなっています。ですから体験がなければ宇宙の情報は得ることができませんし、その体験が成功しようが失敗しようが全く関係なく、ただただ<それを体験する>ということだけが必要なのです。

 ところが私達は今まで…してはいけない、…いなければならないと自分自身に枠を架けて生きてきました。そしてその枠の中にいる時は安心し、何か新しい体験をすることを怖がってきました。このためにどんどんと重い地球となっていったのです。ですから体験を積むということがなければ次なるドアは開かないということです。しかもその体験は人に聞いて開いたものだと結果的には落ち込むことになります。大事なのは自分の直感を声に出し、行動に移す…でしたが直感を声に出した時点で私達の創造は半分完成したのと同じなのです。今まで私達はこの直感を声に出すということを大変怖れてきました。これを言うとあの人に恨まれるかも、こうすると憎まれるかも…と人の反応ばかりを気にして、そういう恐怖心を抱きながら我慢して生きてきました。

 このように私達は人の反応に合わせて生きていこうとしますが、人の反応というのは相手の意識(考え方)のようにしか物事を受け取れないのです。ですから意識の波動が低いと人を悪いようにしか受け止められないのです。悪く取られたからといって誤解を一つ一つ取り除くような責任は持てるでしょうか?ほおっておけば良いのです。相手が良い悪いではなく、その人がどのように受け止めるか…とその人自身もステップを踏んでいるのですから、その人はその人の<体験>であり学びなのです。肝心なのは、私達が自分自身をどのように思って行動しているか…だけが自分の魂にとってとても大切なことです。

 自分がどのような想いでそれをはっきり口にすることができたかどうか…例えば会社側の意向と自分の考え方が違っていても問題はありません。自分とは考え方が違うと自覚できていれば大丈夫で、それでもいやなら辞職する…もしくは状況を見て次のステップを探せば良いのです。ですから何もこのことで落ち込んだり、悩んだりする必要はありません。人は仕事を一番エネルギーの出しやすい通路として選んでいるだけで、仕事の内容は何でも良いのです。それが自分の意志で決めたことなら、仕事を転々としていても決して恥ずかしいことではありません。自分で決意したのなら物事がそのように進むだけのことです。これができる時に私達は物凄く生き生きと創造性に満ち、やる事成す事に本当に不思議なくらい人の協力が得られ、しかも健康で生活には困らないというふうになっていくということです。


魂の約束

 そして私達の魂は、ある約束をしてこの地上へと生まれて来たのです。私達は今までにたくさんの前世を体験してきましたが、今また肉体を持って生きているということは、まだやり残したことがあるからです。いつの前世においても私達は自分の内側を観ることなく、方向違いに一生懸命生きて来ました。ですから前世での死に際のパターンはいろいろでも、ほとんどが残念無念の想いを持ったまま死を迎えてきたのです。死を迎えると肉体を離れるわけですが、その後意識だけの存在になった時に、初めて自分は今までこうしてきた…ああしてきたと気づくのです。そして自分の本質はそうではなかったと理解し、意識がクリアになるのです。

 私達は地球にやって来る前にいろんな星からゼッケン番号をつけて来たわけですが、その時にそれぞれがある約束をして地上に降り立ちました。それは人間としてこの三次元ではっきりと悟るということを…つまり自分が神であること、私が自己の本質でその私に従うということなのだと目覚める…という約束です。ですから、もう一度肉体を持ったレベルで覚醒するということがなければ、今回の仕事は果たしたことにはなりません。したがってこの時に、私は本当の自分に還ることが使命だった…それが大事だった…しまったと思い、今度こそ同じ失敗や役割を忘れないために、いくつかの予防と対策を練ってきました。

 その中の一つに名前があります。よく名前が悪いと言って改名される方もありますが、本当の意味がわからないまま改名しても人生が変わることはありません。名前は自分が生まれて来る前に、両親や祖父母など名前を付けてくれる人にテレパシーで「私はこんな名前にしてください。今度生まれて来た本当の意味を忘れないために、この名前にします。」と自分で名前を付けてきたわけです。ですから一番最初に付いた名前というのは偶然ではありません。自分の名前をよく考えてみてください。

 それともう一つ…今世で絶対に忘れまいと練ってきた対策があります。自分の周りに脇士(わきじ)を要請しているのです。脇士というのは、仏教用語で薬師如来の脇に日光菩薩・月光菩薩が控えているのと同じように、自分の周りにその役目を果たしてくれる人を依頼しているのです。月は光を反射します…ということは外側に向いている状態、つまり自分の内側に還って来ないで外側にいる誰かに期待と依存の人生を送り、自らが光とならない状態です。逆に日は内なる宇宙ですから、自分を信頼し自分の感じたままに思い行動する…そうするとマイペースになり、淡々と我が道を行く…で我ままの本当の意味は、我のままに生きるということです。このようにこの脇士を必ず一体ずつ協力者として要請していますが、自分にとっての月光菩薩にあたる人は誰か?ということです。

 もう私達は過去世でのあやまちを繰り返したくはないのですが、それを思い出さなければ今世は何をしに来たのかわかりません。人生の生まれてから前半(自分が前半だと思う時期)は、過去世で感じた同じ気持ちを再び思い出すという作業が必要なのです。そのために脇士という協力者を要請し、その環境に身を置いて「私は自分のために生きる」と思い出すまで、その作業は続きます。例えばAさんは自分の過去世を演じてくれる人、Bさんはマイペースで淡々と我が道を行く人と最低二人は自分の側に置きます。しかし、過去世であまりにも期待と依存の生活を送ってきた人は、自分に自信がないのでAの過去世タイプの人を2・3人用意します。このように絶対忘れないように肉親や身近な人あたりにお願いしておきました。この人達は本当に真面目に自分の過去世を演じてくれています。

 ところが私達はこの自分の過去世を演じてくれている人に、まるでエネルギーを取られるかのように一生懸命この人を何とかしなければ…と思うわけです。自分はいやなのですが、その状況をほおっておけずに期待と依存に応えようとします。しかし、状況に変化はなく自分も疲れるしやるだけの事はやったから、自分は自分に戻ろうと思ったとします。するとどうでしょう…こう思い始めると、この過去世を演じていた人も同時に立ち上がるシステムになっていて、相手を何とかしようと手をいれている間は同時に倒れています。

 Aタイプの人は、あなたに何とかしてもらいたくて登場したわけではなく、あなたの過去世を見せるというだけの役割ですから、ここであなたが自立するのを待っているわけです。そしてこの人が本当に自立(自分の感覚を信じて歩く)できた時に、過去世を演じてくれた人は「やっと気づいてくれた…」ということで、あなたが直接その人に関わらなくてもよいような状態になります。ですからこの事に目覚めない間は、それがずっと続いて思うように手が切れないというふうになります。

 もう一方のBさんは、マイペースで自分の事しか考えていないようですが、これこそがまさに自分が向かおうとする方向を示す人だったのです。自分の身の回りを観察すると必ずAタイプ・Bタイプがいますが、このことが今までわからなかったのです。自分がこの人で一番苦労させられると思っていた人こそが、自分の過去世をそのまま演じて見せてくれている人なのです。今の自分は自分の意志で動けているかも知れませんが、困ったと思っている人がまだいるという事は自分の方向性を見出せてはいません。

 そして困った人に対して怒りという感情を持ちますが、それは今まで自分を我慢させてきたのと同じ分だけを怒りという感情で味わっているだけのことです。ですから困った人というのは、過去世の自分と同じような人で、前世から今までの自分に我慢をさせた分量を教えてくれている人なのです。前世のあなたを思い出させるためにあなたを触発しているだけです。とすると困った人は悪い人ではなく、内なる自分がその事に気づきたくて自分が引き寄せた人ということです。そしてその人と接することによって、あなたは自分の中にどのような感情が湧いてくるかをただ観るだけなのです。

 ところが私達は自分の中の怒りや嫉妬、劣等感を人のせいにしますが、いかに自分が自分を振り返らなかったかということです。こういうことが私達の人間関係の中に組み込まれています。この怒りを手放すには、今まで自分を自由にしなかったことを嘆くのではなく、自分の中にこういう怒りがあるということを<知る>だけでいいのです。知ってしまえばとても自分自身が軽くなり、誰を責める必要もありません。「そうか…私は私で良かったんだ…」と思えた時に、内なる自分と一つになり、思った事をはっきりと口にすることができます。

 こういうふうに私達は必ず、何故今度生まれて来るのかということをちゃんとプログラムして誕生しています。ですから今までの自分の環境をじっくり見つめ直してみてください。そして良い人悪い人と決めるのではなく、その人達との関係を通して自分が自分をどのように扱ってきたかということを知ることが大事だったのです。

 私達一人一人は全部自分の過去世を思い出す作業で前半を暮らしてきました。そして今度は自分がどのような人生を創造するか…必ず自分の内側から涌き出た直感を信じて、自分と繋がってください。この繋がりを愛と言いますが、この自分の直感を無視し始めると危険が迫ります。自分の直感を信じるには本当の勇気がいりますが、その勇気を持って自分と繋がることができた時に、全ての人とも繋がっていることを感じることができます。自分の内側を観て、それに従うということは自己中心的のようですがそうではありません。周りの人には自分の内側を投影しているわけですが、自分の内側が満たされて外側の自分との差を感じることなく一つに思えた時に、これを愛と呼びます。

 愛するということは繋がるということで、「I Love You」は私はあなたと繋がっています…ということです。この言葉は恋人同士の特権のようですが、本当は今の自分が内側の自分と繋がるという意味です。「私がこれだけ愛しているから、あなたも愛して…」というのは愛情で、情のやりとりが悪いわけではなく、この感情によって自分がどんな人生を送って来たかを知るわけですから、この感情もとても大切なものです。こうやってゲームマスター達は全部必要なものを私達の中に埋め込んでいます。

 自分の内側と外側の一体感を感じ始めると、体の中の遺伝子レベルが上がりますから細胞が異変を起こし始めます。めまい・下痢・吐き気・熱などの症状が現われますが、これこそが13番目の時間軸の方向へ行くための光体化で、自分の中の細胞を変化させるために一旦解毒し始めます。ですからちょっと体調不良のような感じがしても全く心配はいりません。

 病気に対しては、自分の過去の清算をしていると思えるようになった時、薬は全く必要がなくなります。これから1年の間にこういう事に興味のある人・ない人にかかわらず、ほとんどの人が物凄いスピードで変化していきます。体の中で大きな揺れや振動などの違和感があるかも知れませんが、病気ではありません。自分の意識に何か本当の自分を思い出させるような体験をすると突然加速されます。体が追いつくために反応しているだけで、病院に行っても原因がわからない時は自分が変化している証拠ですから喜んでください。こういう時は体を休め、高分子の良い天然水を多めに摂ってください。

 そして自分が本当の自分に戻って自分の中心にいる限り、目の前でどんな状況が起きてもビクともしません。それは必要上起こることなのです。’99年の後半はフォトンの影響でいろんな事が起こってきます。それは経済や社会情勢の崩壊に見えますが、私達が自分を見失わない限り新しい道が拓け、新しい仕事・出逢い・場所へと移行していきます。それから先はもう自分とは合わないという人とは会わなくなりますし、あの人はどこへ行ってしまったのだろう?とさえ思わなくなります。つまり自分の周波数に合った人同士が近くにいるという感じです。

 これから新しい地球へと移行していきますから、私達が自分の意識をどのように持つか…ということが、今の段階で加速度的に行なわれるということです。この地球上で核戦争などの大変な事が起こるのでは?というような恐怖を持っている人がいますが、自分の内側に恐怖の塊を持った人には、多少の影響があるかも知れません。しかし自分の内側にないものは絶対に体験しませんし、怖れがなければ怖れを体験することはありません。自分との繋がり(愛)があれば、どんな状況の中にも必ず全てのものと繋がることができ、とても幸せな生活を送ることになります。どうか何も心配しないでください。

 そして自分自身がそのようになってきたら、本当に自然なものしか口にしないようになります。体が光体化すると様々な抗生物質入りの飼料を食べさせられた肉などを食べられなくなります。肉が悪いわけではなく、そうやって人々が飼育し愛情のかけらもなく育てられた牛や豚の断片には、その動物のストレスの波動(エネルギー)が含まれ汚れています。そしてそれを口にして自分自身をもまた汚すのです。

 ですから極力大地の恵みを受けて、光と水、人の喜びで育てた食物を体が欲しがるようになり、ほおっておいてもどんどんと食物の嗜好が変わってきます。全ては自分の意識に従って食すること、絶対に体が欲しがらないものは食べる必要はありません。そして、こういう大地の恵みに感謝しながらの食生活は自分自身を急速に若返らせていくことでしょう。

 今回の話はこれで終わりですが、私はどの人ともどの人とも…皆さんとしっかり繋がっています。そして思い出してください。私達はバラバラではなく、この地球に自分というものを体験するためにやって来ました。自分自身が創造主であったことを思い出してください。それが目的だったのです。私のことを思い出してくださる時は、いつでも私のエネルギーは皆さんと繋がっています。どうぞ、あなたの人生を思いのままに楽しんでください。

∞ 松尾 みどり ∞



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