愛と自由への旅立ち 

松尾みどり


私たちの友達として、あるいは家族の一員のように
犬やネコや小鳥たちが飼われてどれくらいになるでしょうか。
楽しみや安らぎ、生きる喜びすら与えてくれるペットたち。
そこには今まで語られるこのとなかった人との深い繋がりがあったのです。


第5章 身近な癒しの存在

虐待される子供と親の心理

 親に身を預ける以外に術を持たない幼児が、親からの非情な虐待でその生命が奪われてゆく事件を知らされるたびに、何かしら他人事とは思えず、胸がつまる想いに襲われます。虐待を受ける子供たちの悲鳴や恐怖心、そして何処へも行くあてのない不安感は想像に難くありません。私もまたある時期その物理的・精神的不安を抱えた子供時代を体験した一人でもあるからです。しかし同時に、そんな親たちのどうしようもなく辛く、苦しい自己嫌悪に苛まれる気持ちも今ではよく分かるのです。そんな親たちの子供時代もやはり、親の愛情に飢え、癒されることなく、人間不信や自責に陥った経験があったに違いありません。

 子供の頃の心の傷を抱えたまま、癒されたくて恋愛に走ったり、半ば辛い環境から逃れるための手段として結婚を選んだり、女性の中には自分から離れてゆく恋人や夫の気持ちを繋ぎ止める手段として子供を産んでしまうケースも少なくありません。あるいは自分自身の意志で結婚や出産に臨むことのなかった人々の中には、婚家に対する責任を果たすためだけに子供を生み育てる母親もいます。

 また母親としての責任感が強すぎると、育児書などに固執するあまり、ついつい他の子供たちとの比較の中で一喜一憂を繰り返すことになります。期待通りの発育が認められないと、とても不安が募ります。したがって自分の子育てに自信が持てなくなり、自分の恵まれなかった子供時代の嫌悪感などが重なることもあります。自己嫌悪のプレッシャーはやがて、気がつくと子供を虐待していたことになったりするのです。自己嫌悪が強いほど自制心が働かなくなります。望ましいのは、両親の愛の中で豊かに朗らかに育った女の子が母親になることです。両親共に自分自身の愉しみを持ち、健康で個性豊かな人生を創造してゆく親の姿をみて育つことに他なりません。

 しかし、親子で生まれてくる背景には、その役割を通してお互いにどの部分を解放してゆきたいのかを映し出し、学び合うことを魂は約束してきたのです。特に赤ん坊や幼児は母親の気持ちや母親の隠れた意識を体や行動で表してみせる役割を担っています。そのことに気づくまでは親も子も苦しい道程を歩むことになります。そして時には犯罪に至ることもあるというわけです。単にそんな親たちの刑罰を重くするだけでは犯罪はなくなることはないでしょう。もちろん、虐待を受けている子供たちは一日でも早く保護されなければなりません。

 しかしまた同時に虐待に走ってしまう母親や父親の癒しも必要不可欠なのです。そんな母親たちは心の中で「誰か我が子を虐待してしまう恐ろしい私を助けて!」と叫んでいるに違いありません。そんな親たちの心の中では(傷ついたままの子供)が暴れています。そんな時、人間として愛情を受けたり、静かに一人になれたり、また安眠や癒しの教育を享受できる環境が必要なのです。今、まさに国や地方自治体などによる人材教育や場所の提供こそが急務であると考えます。多くの、悩みで苦しんでいる母親たちを救済することが幼児虐待をなくす鍵であるのは明らかです。

イルカや子ネコに癒された体験

 ではいったいどのような方法で、永い間の深い心の傷を癒すことができるのでしょうか。もちろん、様々な療法(セラピー)が有効ですが、特に恐怖心の強い人々には優しい動物や水に触れることが癒しを促進してくれます。中でも犬、ネコ、小鳥やイルカなどは人間の愛情に応えてくれるので、自分自身との繋がりを取り戻しやすいのです。

 特にクジラやイルカは人間がこの地球に出現する遥か昔から、海を回遊し、想像も及ばないほどの宇宙の智慧や地球情報を内蔵する高度に発達した知的生命体でもあります。あるクジラの研究家の話の中で、太平洋にクジラが六頭均等に並ぶと、全ての情報が伝わるほどにテレパシー能力が高いということを知りました。イルカは水中音波探知能力で人の意識状態を読み取ります。イルカはまた何よりも人間の恐怖心を解放する手助けをするのが特徴です。自閉症の子供たちがイルカに触ったり、いっしょに泳いだりすることで心を開いてゆくのも知られています。

 七年前の夏、私自身がイルカに癒されたことを思い出しました。アメリカのバージニア州で大西洋に面したホテルの窓から目の前のビーチに続く真青な海を眺めていた時のことです。突然、自分の口から古代語が出てきました。言語の意味は不明でしたが、遠く対岸に向かって何か必死で呼びかける内容の切ない気持ちが込み上げてきます。「…やっと終わって嬉しい。」その直後に歌っているような美しい言葉も次々に出てきます。ふと気がつくと前方の海の波間にイルカの群れが見えます。イルカはとても楽しそうにジャンプしています。しばらくボーッとその光景を眺めていると、何かがスーッと体から抜けていきました。わけもなく涙が流れてスッキリしてきました。それ以来、二度と古代語を口にすることはありませんでした。ただ深い歓びが心の奥の方から湧きあがってきたのでした。

 しかしながら誰もがイルカに会えるわけではありません。でも大丈夫。私たちの身近にいる動物や小鳥たちが実は私たちに「愛」を教えてくれる存在だったのです。

 私がまだ六才の頃、短気な父親に私の反抗的な目つきが気に入らないと言われ、顔を殴られたことがありました。大寒の寒風吹き荒ぶ中、裸足で家を飛び出したものの行くあてもなく、家の裏にあった共同浴場の板塀にはりついて暖を取ろうとしました。ふと夜空を見上げると、凍てつく澄んだ空気の中にひときわ大きく美しく輝く星を見つけ、「他所の子になりたい」と祈り続けました。涙と鼻水で冷たさが限界に達した頃、どこからともなく一匹の子ネコが忍び寄ってきて私の足元に蹲りました。私は思わず子ネコを抱きかかえてヒザの上に乗せてみました。その暖かさが嬉しくて、子供ながらに有難さが身にしみて、その時ばかりは大泣きした記憶が残っています。後で母が迎えに来てくれて家の中へ入れたのでした。

 また別の日の夜遅く、父の命令でお使いに出されました。その夜は曇り空で、月明かりのない田舎道が恐くて家の軒下でしゃがんでいると、また近くの物陰から例の子ネコが現れたのでした。時には母ネコまで同伴でやってきて、少し離れた所でこちらの様子を伺っています。「ニャオーン」と鳴くので私もマネをしているうちに、夜道は歌いながら行くことを思いつき、少しずつ元気がでてきました。やがて夜道も平気になった頃、何時しか隠元畑からのっそりと現れるネコの親子の姿を見かけることもなくなってしまいました。

 こうして人間の魂が「癒し」の存在をも、身近な生物や動物を使って創造していることに気づく人はほとんどいないでしょう。恐怖も癒しも自分自身の中から創り出しているのです。



第6章 動物たちとの愛の交歓

ペットは自分自身を投影した姿です。愛情をそそぐことで自分の内側に存在している愛情を確認できるのです。


娘が買ってきたセキセイインコ

 さて、もう一つ、「小鳥と人間の癒しの関係」について思い出されるお話がありました。娘がまだ高校一年の頃でした。私は当時、仕事で日本の各地に赴き、東京の家を留守にすることが多く、娘はたった一人で毎月半月近くも一人暮らしを余儀なくされていたのでした。中学二年の夏に福岡から転校してきて、慣れない生活環境と友達関係が上手くいかず、とても精神的に疲れていたようです。ストレスからアトピー性皮膚炎に悩まされ、首の周囲はいつも血が滲み出て、顔も浮腫で体もだるく、学校へ行けない日々が続いていたある日のことです。いつになく嬉しそうな顔で、生まれて間もないセキセイインコを小さな白い箱に入れて大事そうに持ち帰ってきました。それまでに何度かインコ類を飼っては、その度に逃げたり、死んだりして育てられなかったです。しばらく物置にしまっておいた鳥カゴを急いで取り出すと、その中にそのセキセイインコをそっと入れてやりました。

 「お母さん、この子、何て名前にしようかしら?そうだ、たくさんの恵みを与えられますように、『メグちゃん』ってどうかな。」「あら いいわね、メグちゃん」私も大いに気に入りました。「メグちゃん」はその日以来家族の一員になりました。メグちゃんは淡いイエロー、ブルー、グリーンのパステルカラーで、何ともいえない優しい美しい羽色の持ち主でした。ただ一つ残念なことは脚を丸めたままで、よく歩けない様子です。先天性の脚弱症だと知った上で、わざわざお小遣いを叩いて買ってきたのでした。なぜ元気なセキセイインコを選ばなかったのかしらと不思議に思い、「どうしてまた脚の弱い子にしたの」と尋ねると「どうしても…」と言って話は途切れてしまいます。この様に「弱い子や可哀そうな子」ばかりなぜか気持ちが引きつけられる時は、必ず自分自身が寂しくて、自分を不憫に感じている時なのです。人は必ず自分の心のようにモノをみるのです。彼女は一人っ子で誰も話す相手がいませんでした。根は明るい子であるはずなのに、周囲に気を遣い過ぎて他人と会うと疲れてしまうのです。植物や花の精霊達と話したりする他は、ひとり黙々と絵を描いているような子供でした。

 それでも描くことで自分の世界を表現していたようです。その色使いはとてもカラフルで、何となく黄色が目立っていました。この黄色や橙色は自分の内側の「エネルギーを表現したい、元気になりたい」というサインです。「動き回りたい、行動に移したい」というサインでもあります。そんな気持ちがよく伝わってきます。しかし時折、感情的に激しく怒り、突然しくしく泣き出す時もありました。それでもメグちゃんが我が家へやって来てからは、彼女の表情が少しずつ優しくなってきました。小鳥(ペット)は自分自身を投影した姿です。したがって小鳥に愛情をそそぐことで自分の内側にある愛情が確認できます。愛情に素直に応えてくれる、つまり自分を必要としてくれる小鳥に繋がり(愛)を感じてゆくのです。

同時に違う形で癒しを与えるペットたち

 こうして小鳥は彼女に愛のエネルギーを感じさせてくれる「癒し」を与えてくれました。可哀そうな小鳥が元気になることは、自分自身が元気になってゆく証であるのです。「お母さん、お願い、メグちゃんの脚を治してあげてよ。どうすればいいの」今までになく真剣な眼差しでした。「そうね、この子はまだ赤ん坊だから、むき餌に家で使っているR核酸の錠剤を砕いて混ぜて少しずつ与えるのよ」と指示しました。そして二週間目には信じられないほど元気になり、よくさえずるようになりました。そして二ヶ月たつと全くの健脚となり床を走り廻り、驚異的に言葉を覚えていきました。昔から「可愛いーメグちゃん」と言われると、ソックリ覚えて、誰も相手をしなくなると、自分で「メグちゃんカワイイー」を連発します。私の電話が鳴ると「ハイハイ、コンニチワ」と挨拶も上手です。すっかり別人、いえ別鳥になってしましました。

 その間、彼女はメグちゃんを両手の中に入れハンドヒーリングエネルギーを注ぎ、祈るような気持ちで毎日世話をしたのでした。その愛情と祈りが通じたのか、毎日変化を見せ始めました。メグちゃんは彼女をすっかり母鳥と思っているようで、彼女の後から「トコトコ」とどこへでもついて歩き、外出時は肩の上に乗っていくありさまです。歌をうたい、アクロバット演技で皆の拍手をもらいました。こうして気がつくと、共通の話題で私たち親子の間には、前にも増して会話が増えてきました。それに娘の顔に笑顔が戻り始め、気がつくとメグちゃんの脚が治り始めると同時に、彼女の首周りの出血も少なくなり、明らかに治ってきたのが分かりました。

 私も仕事から家に帰ると、誰もいない時でさえ、つい声に出して「メグちゃんただいま」と言っている自分に嬉しさを感じました。ふと自分が子供の頃、やはり淋しくなって、親に恐る恐る、何度も「子犬」を飼ってほしいとねだったのを想い出しました。一度も願いが叶ったことはありませんでした。しかし今は娘にペットを飼うのを許可することで、子供の頃に自分に与えられなかった自由を与えているのと同じ気持ちになれ、心が安らいできます。娘はペットを使って自分を解放しているわけです。こうしてペットは私たちに同時に違った形で「癒し」を与えてくれたのです。

 私は幼い時から「我慢と警戒」の中に身を置き「泣かない」ことを自分に強要していたので、ちょうどこの時期はメグちゃんによって私自身も癒され、涙腺が緩み放しになりました。この期間のお陰で私の内にとても暖かい優しさが取り戻せたと信じています。「泣ける、眠れる、忘れる」ことは神様が人間に授けた三大癒しです。思い切り「泣く」とスッキリするはずです。すると、自分の過去のすべてが自分の成長に必要であったことを受け入れられるようになり、次のステップへの扉が見えてきます。また感動の涙はハートがとても美しく暖かくなれますし、スッキリ泣けるほど、自分を好きになれるのです。人は気づかない所で様々な「癒し」を体験しているんですね。「癒し」の素晴らしさは他の人や動物や植物など、あらゆる存在を心から好きになり、愛せるようになれることです。そんな自分に感動して、また感謝の涙が溢れます。こうして他人に対しても心からの思いやりが生まれ、本当に美しく輝きを放つ人間になってゆきます。

意識の解放を助けようとする動物たち

 さてすっかり元気印になったメグちゃんによって私たちも各々に学び、楽しみ、明るさが戻ってきました。こうしてあれから二年が経過した頃のクリスマス・イブのことです。私は仕事で福岡へ行き、翌日娘と福岡で合流する予定になっていました。彼女が年末のゴミの整理のため、四階の外のベランダへ出ると、いつものように肩に乗っていたメグちゃんが手擦りの向こう側の樹木の葉の上に飛び移りました。娘は少し驚きましたが、すぐ戻って来るものと思い、いつものように手を差しのべて「さあ戻っていらっしゃい」と呼びかけました。

 しかし、様子がいつもと違うのです。全く戻る様子もなく、ただ風にゆれる葉の上から、ジーッと彼女を見つめています。そして、くるりと後ろ向きになり、、後方を再び振り返ります。別れを惜しむかのように見つめた後、屋根を越えて空を目がけて飛び去って行きました。少しばかり羽を切ってあるので恐らくもう餌を取ることは出来ないでしょう。彼女は茫然としてその場に立ちすくんでしまいました。しかしいくら待ってもメグちゃんは戻ってはきませんでした。それからしばらくして、九州にいる私の元へ電話をかけてきました。

 「お母さん、メグちゃんが、メグちゃんが…外へ飛んで行ってしまったの…もう帰って来ないと思う…」その声を聞いた私の方がうろたえてしまいました。「えーっ、どうしてまたそんなことになったの」と聞き返しましたが数秒間沈黙が続いた後、少し落ち着いた声で彼女は話し始めました。「お母さん、実はね、私はメグちゃんがこうなることを一週間前に予感していたのよ」「それで?」と私が聞くと、彼女は続けて「一週間前に、私は何となく最近、自分独りでも決断して行動できるようになったんじゃないかと思えるようになったの。不思議なんだけど何となく、自分の内側に寂しい気持ちがなくなった感じなのよ。お母さんがいなくても、前と違って、どこかで大丈夫だと思えるようになったの。そしたら急にメグちゃんがどこか遠くへ行っちゃうのかなって思ったの。」と言うのです。

 そこで返答に困った私は慰めの言葉を慌てて探していました。「そうなの、残念だったわね。あんなに可愛がっていたんだもの、とっても辛いよね」というのがやっとでした。すると落ち着いた声が戻ってきました。「お母さん、もういいの。あのメグちゃんはね、実は私自身だったのよ。私の心の中の神様が、私が自立できる時まで小鳥の姿で励ましてくれるために、家にやってきてくれたことを心のどこかで知っていたの。だから、私が元気になって独りでも寂しくなくなったら、あの姿で側にいる必要がなくなったのよ。メグちゃんはどこかへ飛んで行ったんじゃない。やっと私の内側でいっしょになって生きれるようになったの。それを教えてくれたから、もういいのよ、心配しないでね、お母さん。アヤカはもう大丈夫だから」と淡々と答える我が子に対して、親の知らないところで、いつの間にか子供なりに辛い経験を通して成長していたことを知って、目頭が熱くなりました。そして正に動物や小鳥のようなペットが、人間にもたらす大きな癒しと成長の真髄についての解答を聞かされた感じがしました。

 幼い時に虐待を受けた人、孤独な時間で苦しんだ人、現実を受け入れるのが怖くて痴呆症(アルツハイマー)になった人、自閉症、我慢ばかりで自らの本音で語れない人々などの多くが、ペットのエネルギーで癒されています。そして、娘がなぜ脚弱症の小鳥を持ち帰ったのかという原因については、つまり「脚」は「行動」を表わす体の部位です。当時の彼女は自分自身を信頼できず、自らの選択、決断、行動ができずにいたからです。その部分に彼女の意識が投影されていたという意味です。どんな人も偶然にペットを飼うようになったのではありません。ペットはあなたの心の自立の日まで、永遠の愛を伝える存在だったのです。

∞ 次回 第7章 性は聖なるエネルギー ∞