愛と自由への旅立ち 

松尾みどり


誰もが知りたいのに、親子や当人同士となると、
かえって話せなくなる話題ってありますよね。
時代と共に変わり、今も変わりつつある結婚や性について、
魂のレベルから読みといてみましょう。




第8章 性と結婚について


ある女子高生の質問と娘とした性の話

 数年前になりますが、ある公立高校の女子学生に「結婚」の意味について尋ねられたことがありました。「先生、うちの両親、離婚するかもしれないんです。もう10年も仮面夫婦なんです。父は建設会社の経営者なんですが父の会社の社員だった女の人が愛人で、父はほとんどその女の人と暮らしていて、自宅には戻りません。たまに弟と私に逢うために帰るくらいです。それに両親同士では一切、口をきかないんです。母は、子供たちのために我慢してきたけれども、父とは10年以上も夫婦関係がなく、夫婦としての意味がないので、近日中に離婚届けを出すことにしたのだと言っていました。私は『今さら何を言っているのか』とも思いましたが、何と答えていいのか分かりませんでした。」

 「私は今、複数の男子と付き合っていて、自分なりに楽しいのですが、将来結婚しなければいけない時期がくるかと思うと、両親の二の舞はしたくないと考えてしまいます。母には内緒ですが、正直言って彼氏とはHしています。母は私には早く結婚してくれと言うのですが、性的関係も、結婚しないで行なうほうが深く傷つかないのかもと考えたりします。母は自分が結婚に失敗しているのに、私には早く結婚するように勧めるのも納得いきません。もしかしたら、母は自分の心の負担を軽くするためにそう言ったのだろうかとさえ思えてくるのです。」

 「そんな母を見ていると少し可哀想だけど、好きにはなれません。私もあんまり家に帰りたくない。それに、高校生の性事情について、あるテレビ番組を見て、母は『あんな堕落した高校生たちが世の中をダメにする。高校生の分際での性行為は絶対に許されるべきではない』と厳しく批判しています。だから母とは、男女の性についても、自分のことについても何も話せないし、会話もあんまりありません。先生、人はどうして結婚するの?『結婚』にはいったい、どんな意味があるんですか。彼氏とHしたことは罪を犯したことになるのですか。」

 あまりの素直な質問に、いささか息をのんでしまいました。しかしながら、考えてみると、誰もがその答えを求めてきたのです。でも、この疑問にいったい誰がきちんと答えてくれるのでしょうか。

 娘が14歳になった時に、たまたま性について話し合うことがあり、万が一、事故にでもあって、心まで傷ついてはいけないと思い、男女の生理機能や避妊法について話すことにしました。また実際の避妊具を見せながらの説明は、親にとっても内心は緊張するものですが、子供は真剣に耳を傾けて聴いた後、「お母さんから話を聴けてよかった。」と感想を述べてくれました。

 性行為そのものが罪をつくる行為だと考える人たちがいますが、本来セックスそれ自体は罪ではありません。私たちは、その性行為のおかげでここに誕生できたのです。問題は、セックスという行為にのみ囚われてしまうことや支配される心の方にあります。つまり「性行為」を何の目的に使ったかが問題です。後に自分自身の潜在意識を探る鍵にもなります。セックス行為により、それまで気づかなかった自分の内側の歓びが表現できたり、逆に寂しさや不安など、さまざまな隠れていた感情が引き出されたりします。そんな自分なりの考え方を過去の体験を通して子供に伝えたいと思いましたが、なかなか難しいものでした。まだ14歳の思春期を迎えたばかりの子供に話した内容は次のようなものでした。

 「人間の身体はどの部分も、神さまに創っていただいた大切な器官。だから口や目や耳と同じように、性器だって大切なものよ。本来、身体は自然の中で育った食物を欲しがり、口は歓びと真実を語り、耳は心地良い音を聴き、手足は自分の意思を表現する最高に精密な道具として創られているのよ。だから『心や身体を汚す想いや食べ物は受つけられません。』って『痛み』で表現するの。もっと自分自身に優しくしてくださいってね。自分の本当の気持ちを裏切って、性器や子宮を傷つけては申しわけないでしょう。身体は自分自身が心から感動する気持ちを表現するために使いましょう。そして、子供を育てられる環境を整えてから(つまり、心も身体も喜んで赤ん坊を迎える準備ができた時に)妊娠するのが望ましいわね。でも、その間に、他でさまざまな性を経験することがあっても、相手と真剣に向かい合った結果であれば、何も後悔することはありません。そこで学んだことを次に生かすことこそが最も大切なのよ。」と説明しました。

 

見失っていた私自身の感覚

 どこまで子供が理解したのかは分かりません。しかし、このように話した背景には、私自身の苦い体験があったからでした。私は24歳の時、半ば見合いで、相手の強引さに負けた形で結婚しました。結婚して2ヶ月で最初の子供を妊娠しましたが、当時、某国立大学の研究医師だった夫は、アルバイトで生活している自分たちには経済的にあまり余裕がないので、子供の妊娠に対してはいい顔をしませんでした。他にもさまざまな要因が重なり、結局、知り合いの産婦人科に連れて行かれて、そこで言い争いの上に、突然にも近い形で堕胎手術を承諾させられたのでした。

 ショックと夫への不信感で落ち込んでしまった私は、食事もろくにできないほどでした。そして、この結婚は間違いだったとつくづく後悔したのでした。加えて自分の意思をもっと明確にして、はっきり断っていれば良かったのに、と後悔が先立ち、自分を情けなく思い、責め続けました。そのためか、免疫力の極端な低下で、術後の経過が悪く、信じ難いほどの激痛に襲われました。40度を超える高熱が5日以上も続き、意識が朦朧とする中でも、激痛は続きました。手術中の器具による菌の混入かとも言われましたが、医者は自分には責任はないと言い張りました。その1週間後に、無理矢理、内診された結果、骨盤腹膜炎で生命にも危険ありと診断されました。その後、英国から取り寄せた高価な抗生物質も効果はみられませんでした。

 そんな時、1人の尼僧がお見舞いに立ち寄って下さいました。「病気(痛み)は心の深いところにある不安を表わしています。」と言われ、自分の内側を静観するようにアドバイスをいただいた私は、毎日ベッドの中で、過去の自分の考え方のクセや姿を省みることを続けました。その中で、自分はいつも他人のためには一生懸命話を聴き、できるかぎりの助力を惜しまなかったのに、自分自身への休息を与えず、自分自身が発信しているメッセージも無視してきたことに気づいたのです。そして悲鳴をあげている自分のお腹に思わず手を伸ばし、擦りながら「ごめんなさいね」と何度も話し掛けました。大量の涙が流れた後、あれほどの激痛がウソのように消えてゆくのでした。

 私はその頃、いつも自分が我慢しなければいけないと思い込み、この状態から脱却できないと嘆いていました。そのうち、横暴な夫にたまりかね、その存在が嫌になりはじめ、何よりも、性行為が苦痛になっていました。一方、夫からは、妻の務めであると責めたてられるばかりで、自分が女性であることが疎ましくさえ思えました。

 しかし、ある日「本当の私はどのように生きたいのか」はっきりしていない自分がいるのではないかと思いました。そして「もしかしたら被害者意識が先行していたのではないか」と自らに問いかけました。ただ、喧嘩を避けているために自分の言葉で表現しないことを決め込んでいた私は、まさに自分自身の感覚を見失っていたことに気づいたのです。また、こうして生命の生き死にに臨場してはじめて、「生命」の尊さや「生きていることだけでもスゴイことだ」「自分が生きるために、どれだけの人々が関わってくれているか」などと深く考えられるようになりました。すると周囲のどんな人々にも、心から「ありがたい存在」だと思えるようになったのです。

 この体験がとても私を成長させてくれました。そして自然と、心の中の神仏に手を合わせていました。過去のどんな異次元体験よりも、この魂の深い繋がりや、どんな人とも繋がって救われてきたのだという気持ちのほうが、はるかに思い価値があると感じました。また、被害者意識で、カッとなって感情的になればなるほど、自分のエネルギーは弱くなり、自分の想いは決して他人には伝わらないことも分かります。相手の言動や振舞いに腹を立てるのではなく「相手はなぜ、そのように振舞うようになったか」という背景が理解できると、とても心が落ち着いてゆくのが分かります。次第に不安や恐怖心から解放されるにつれて、明らかに私の身体はすっかり回復に向かったようです。



本来は一つであった「男性性」と「女性性」、この二つが統合されることを私たちはながい間めざしてきたのです。


体験の中から分かりえたこと

 あれから3年が経過していました。ある時、わずかばかりの出血によって私は切迫流産しかかっていることを知らされ、次の妊娠を知ることになりました。しかし病院では、過去の病歴からみて妊娠の可能性は難しい。医者は、束になったカルテを私に見せながら、「こんなに不妊症の女性がいるのだから、あなたも将来、何か自分の仕事をもって生きることを考えた方がよい」と言われ、私の流産は止められないという感じの口調でした。

 しかし、私にとっては、1人も子供を産まないうちから、子宮が全くダメになっていたはずなのに、妊娠したことだけでもありがたいと思いました。そして、「絶対この子供を産もう」と決意し、またそう願い続けました。その日から毎日お腹に(子供の魂に)話しかけました。医者からみれば、私は奇跡的な自然受胎の妊娠例だったのです。
 
 そして十月十日が無事過ぎる頃、時々、夢の中に出てきた顔の女の子が2960gで産まれました。私は最後まであきらめなくて本当に良かったと思いました。そして初めて赤ん坊に乳房を授けた時に、自分が「女性」として生まれたことを心から歓び、神に感謝しました。そして母性愛の優しさが内側から溢れてくるのを感じ、「自分の中にこんなに優しい部分があった」と涙が後から後から流れてきました。こうして発現された「女性性」と、どんなことでもあきらめることなく最後まで自分の力を出し尽くそうとする「男性性」が心の内側で統合されるのをはじめて感じた瞬間でもありました。

 私の古い過去世の中で自分が「女性」であることを否定し、嫌悪してきたカルマ(バランスを失った部分)は今世、このようなドラマの中で統合することに成功したわけです。ここに人間が輪廻転生をする意味があったのです。こうしてながめてみると、横暴な夫も、リスクを犯して生まれてきてくれた子供も、皆、私にとっての魂の協力者、つまりソウルメイトであったことが分かりました。なんというスゴイ仕組みなんでしょう。しかも誰一人、例外はないのです。魂は本当の目的が完了すると、やがて次のステージへと自分の居場所を変えてゆくのです。

 こうして、自らの体験を通じて分かり得たことを、先の女子高校生にも語ってみました。そして母親が結婚に失敗したからといって、彼女(自分)も必ず失敗するということではありません。この両親の存在や生き方が、彼女の過去世での姿でもあるわけですから、それとは反対の生き方をするために、演じてくれる大切な存在であったのです。そこから自分が「何を、どのように学んだのか」がポイントになります。

 元来、自分の内側の「女性性」と「男性性」は一つのものでした。男は女を外敵やその他の危険から守ったり、保護してあげる、あるいは迫る恐怖と戦いぬく自分自身の力を表現しようとする性質を「男性性」と呼び、それがセックスという行為の中では、そのような特徴として表現されるというものです。また、「女性性」というのは、自らの内なる神と繋がり、愛に満たされ、大海のごとくあらゆるものが許され、一つに溶け合う優しさと寛容さのエネルギーのことでしょう。そしてセックスという行為の中では、そのように表現されるといものです。自分自身に対して、プレッシャーをかけたり、隠そうとすることに対する怖れも何もない状態の中で、心の普段着のままに、お互いを受け入れることができることこそ、至福(エクスタシー)の状態であるといえるのです。

 形や格好やものではありません。完全なる両性の統合をめざして、2人で向き合って、歩むことを結婚という1つの枠の中でやろうとしてきたのが私たちの祖先だったのです。しかし、人間は長い間、結婚というシステムと「性」を混同して使ってきました。ではいったいどのように結婚制度をとらえていたのか、少し振り返ってみましょう。



日本と西欧社会の結婚制度の成り立ち



 遺跡に見る古代の日本には、結婚制度はなかったようで、一夫一婦制なるものは、実際、キリスト教や儒教の教えが公的教育機関で使われるまでは存在しませんでした。日本人の特質は、本来とても寛容で、自然と共に生きようとする智慧をもった民族でした。どの民族とも融合できる性質があるのです。古代、そして、平安時代の貴族社会でも、武家でも、農村でも基本的には男女の合意による自由恋愛が主流だったということです。また平安貴族は和歌の贈答による求愛が一般的で、男性が好きな女性に和歌を贈り、それに返歌すれば、それで結婚が成立したのでした。

 『日本の風習』という本によると、古代の天皇は、自ら妻を求めることはなく、気に入った女性がいると、然るべき側近を使者に立てて話をさせたとあります。仁徳天皇はアトリノヒメミコを妻に求めたいと思い、弟の隼別皇子(ハヤブサワケミコ)を使者に立てました。ところが皇女(ヒメミコ)は天皇の弟皇子に一目惚れしてしまいました。また皇子も皇女を好きになり、駆け落ちしたとあります。またその逆手もあったようで、使者が天皇になりすまし、媛(ヒメ)をものにすることさえあったとか。こうしてながめてみると「恋」は神代から今にいたるまであまり変わっていないようですね。それにしても日本人の感覚は、とても大らかだったようです。そして、「使者を立てる」ことが、後に「仲人をたてる」習わしになったのでしょう。

 これに対比して世界(西洋)における結婚制度はどのようなものであったのでしょうか。ある考古学上の研究によると、3万年前にはすでに、部族間での結婚が行なわれていたようです。その際、部族間で何代にもわたり、近親結婚が繰り返された結果、遺伝的病気が発現しやすく、健康な子孫の繁栄が困難になっていった経緯から、結婚制度の必要性がでてきたようです。近親相姦を避けるために「結婚」を選んだ人々は、異人種交配により、優良腫を繁殖させるために、女を近隣の部族に送り込むことにしました。恐らく、これが結婚の起源であると考えられています。

 やがて文化が成熟してくると、権力、財、女たちを手に入れた者と持たざる者たちの間に亀裂が入り、時には戦争に発展することもありました。しかし、自分の支配化の男たちのジェラシーを回避するために、女たちを譲り渡していき、やがて一夫一婦制が生まれ、後の民主主義の発展に繋がったようです。

 女をめぐる男たちの嫉妬による争いを最小限にとどめ、人との協力関係を安定させるためには「性」に関する規則を作り、宗教によって性を神格化し、法律の力で性の禁止事項を科し、「結婚」を社会の基盤としたことが分かります。残念ながら、そこには、女性たちが一人の人間として、自らの意志で人生を選び取っていった痕跡は見い出すことができませんでした。そして、男たちの作り上げた歴史の中で、ある時は人質や戦利品として、またある時は富や財の象徴として扱われてきました。

 そして、世界最古のハンムラビ法典には、女を含む、他人の所有物は、各々不可侵とし、所有する富を子孫に伝えてゆくことが許可されたと記されています。財をより多く手に入れるためには、より質の良い子供を数多く作る必要がありました。こうして、出産を神聖化し、法律で子供の保護に務めました。これは人権の保護ではなく、財産を守るための手段としてでした。もし、中絶する女がいれば溺死させ、子供を産めない女には、男のために相応しい奴隷女をみつけて買う義務さえありました。つまり数多くの子供を産める女にしか価値がなかったのです。

 また確実に自分の種を宿す女たちを確保するために、男が女をずっと保護し、生活の糧を与えると誓う代わりに、女の子宮を1人の男に独占させることが契約にまとめられ、この契約がバビロンでは、結婚のヒナ型となり、その後世界中の結婚がこの形に習ったのです。そして女性への純潔と貞節が過度に重視され、男たちは花嫁の処女性にこだわるようになってしまったのです。西洋における「結婚」の目的は主に近親結婚を避けるためと財産を子孫に残すための手段であったことが分かります。また、日本の武家社会でも結婚が攻略に利用され、そのため女性は出産を強要されたのでした。

 しかし、魂レベルの結婚は、過去世でのカルマをお互いに映し出し、自分に科した枠組みから自由になるための手段であり協力関係です。あなたが、自分の生きる方向性を決めることができるように、本音で生きられるように、しっかり向き合う関係なのです。「性」と「結婚」は別々の領域のものです。性は「生きる」生命エネルギー。あなたが「性」エネルギーを「よろこび」に使うか、「自責」に使うかでその結果が、自分の身体や人生に反映してくるのです。また「結婚」は義務ではありませんが、何でも話せるパートナーと出逢って、2人で楽しく人生を送るもよし、独身で別の道を探りながら、自分自身を解放するもよし、すべては、あなたの選択のままに…。

<次回 第9章 障害を持った天使たち>