最近、親子でお互いの心の問題をゆっくり話し合ったり、
聴いてあげたりしたことはありますか?
それはどんな話で、その時どんな気持ちになったでしょう?
深いところにある親と子の繋がりをもう一度、確かめてみましょう。
母親の精神状態を映し出す子ども ケース1「ママ、神様ってどこにすんでいるの」「アクマって、どこにいるの」「自分に素直に言うと、わがままって言われるんだね。大人に素直になろうとすると、ボクはがまんすることになる」「やればできるって分かったから、もうやめるの」「たくさん勉強してお仕事するお母さんになると、子どもは淋しいから、お勉強したくない。私はお家にいるふつうのお母さんになるの」「『良い子にしないと、笑われる』って言うけど、誰も笑わないで、ママだけが怒るよ」どれを取っても、子どもに言われてハッとするものばかり。多くの健全な保育園児や幼稚園児たちは、人間社会の規範に染まっていないため、何でも感じたままに発言します。
普段、大人が考えてもみないような質問を次々と子どもに浴びせかけられると、大人たちの頭の中はパニックになってしまいます。「大人の言葉は矛盾だらけ」と言わんばかりの本質を突いた質問に、苦戦する親は多いはずですね。その答えこそ、本当は親たちが求めているものでもあります。こんな質問ができた子どもたちも、やがて社会通念及び親たちの感情や都合を押しつけられてゆく中で、だんだん親や周囲の大人の顔色や態度に無言の制圧を感じて、自分の本音を出せなくなってしまいます。
特に、年令が幼いほど、母親の心の中を反映した態度や言葉に子どもは敏感に反応してしまいます。「母親と子ども」の関係は特別なものがあります。妊娠中の母親の精神状態は、胎児に大きな影響を与えているのです。
5年ほど前のことですが、ある母親が、4才の長女と生後6ヶ月の次女を連れてセッションにやってきました。相談は、次女のナツキちゃんが生後3ヶ月位から目ヤニが酷くなる一方で、眼科に通院しても治らなくて困っているという内容でした。日頃は愛想のよい笑顔でわりあい誰にでも抱かれ、皆に可愛がられているナツキちゃんですが、鼻づまりで眠りが浅く、寝起きのグズリと時々理由もなく泣きやまないことがあるので、お母さんも疲れてしまいます。どうしても原因が分からないということでした。言葉も喋れない赤ん坊なので、母親もついイライラしてしまうということです。
私がナツキちゃんに話しかけると、辛そうに目ヤニを手で擦りながら口は笑みを浮かべます。何となく不自然な笑みでした。何かありそうです。その原因を知っているのはナツキちゃんだけです。授乳されている子どもは母親との意識交流が密なので、赤ちゃんからお母さんへ直接意識伝達(テレパシー)してもらうことにしました。
「お母さん、原因はナツキちゃんしか分かりませんが、授乳しているお母さんには言葉を超えたテレパシーで語りかけているはずです。お母さんのハートで受けとめましょう」「さあ、ナツキちゃんをしっかり胸に横抱きにして、優しくゆすりながら、顔を見つめて、その原因をたずねてみてください。もちろん、赤ん坊といえども大人の魂と同じですから、声に出して優しく聞いてみてください」すると、お母さんは少し戸惑いながらも、言われた通りにやってみました。
「ナッちゃんの目が、どうして目ヤニで爛れているのかママに教えてください」私はさらに続けてお母さんに言いました。「そうです。しばらく、じっと赤ちゃんの顔を眺めていてください。すると、お母さんの心に何か、ふと思い出すことがあるはずですから、それをおっしゃってください」
初めは不安気な顔つきだったお母さんも、すぐにやってみられました。そこへ長女のA子ちゃんが、心配そうにママの側にやってきて肩越しにナツキちゃんを見つめると、途端にナツキちゃんの様子に変化が起こり始めたのです。みるみる顔が歪み、肩で息をしながら泣き出しました。その瞬間、お母さんはハッとして私の方を見て、ウンウンと頷きました。
「思い出したました。実はナツキがお腹に入った時、それまで子どもは長女だけでいいと思っていたのですが、『将来長女一人だけでは可哀想だから、この子のためにもう一人産んでおこう』と夫に話したことがありました。そういえば、無意識のうちに長女のことばかり気になってしまっていたかもしれません。この子は親や周囲に気を遣っているのか、誰に対しても愛想がいいし、眠たい時以外はあまり手がかからなかったので、ついつい後回しになっていました。それに、泣きやまないのは、長女が私の膝の上に坐って、次女を床に置いたりした時ですね。
正直言って次女の妊娠中は体にむくみが出て疲れやすかったので、時には『もう産みたくない』という感情もありました。他にも生後3ヶ月の頃、子どもを祖母に預けて『ママはお仕事だからおルスバンしてね』と声をかけて、私が同窓会に行く時のナツキの悲し気な顔が焼きついています」と正直に話されました。そしてナツキちゃんに向かって、お母さんは涙を流しながら、「ナツキ、ごめんね、お母さんを許して。お母さんはナツキが苦しんでいたことに気づかなかったのよ。これから、いっぱい遊ぼうね。お母さんは、ナツキが生まれてくれて本当はとっても嬉しかったのよ。いつもイライラして笑顔を忘れている私に『笑顔』を思い出させてくれてありがとう。ごめんね、ごめんね」と何度も繰り返しては、ナツキちゃんをしっかりと胸に抱きしめられたのでした。その言葉を聞き終わるや否やナツキちゃんは、ひときわ大きな声で、身体を反り返して、激しく泣き始めました。お母さんも泣きました。
しばらくたって、ナツキちゃんは疲れたのか眠りにつき、小1時間眠った後に目を覚ましました。その顔は、不思議なくらい清々しく、そして満面の笑みに溢れていました。それからお母さんは、ナツキちゃんにオッパイをあげました。その母子のやさしく愛情に溢れた授乳の姿は、誰の目にも慈母観音の姿に見えたのでした。それからというもの、ナツキちゃんの夜泣きも、目ヤニもすっかり治り、その2ヵ月後、元気になったナツキちゃんを連れて見せに来てくれました。赤ちゃんといえども顔つきが柔らかくなり、ちょっぴり「お姉ちゃん」の表情になってきて私も驚いたものでした。
この体験で、お母さんの「学び」がありました。お母さんは子ども時代から周囲の人々に、自分がどのように見られているか気になる癖がありました。自分が遊ぶことにもつい他人の目を意識しすぎて勝手に罪悪感をもってしまうところがあったのです。自分で自分自身を苦しめるパターンがあり、つい子どもが夜泣きすると『この子はどうして私を苦しめるのか』と思ってしまうところがありました。そんな自分自身を解放したくても、どうしたらいいのか分からなかったのです。すると、同じような癖(カルマ)をもった赤ちゃんが、今度はこんな形で、頑張りすぎて泣けなかったお母さんの心を映し出し、解放してくれたのでした。
魂には大人も子どももありません。お互いに「泣く」という感情表現で過去から「がまん」してきた感情を癒すことができ、親子の心のコミュニケーションができることを改めて確認させられました。「泣く、眠る、忘れる」、この3つは人間に与えられた神様からのプレゼントです。人によっては「親が子どもの前で泣くのはよくない」と言う人もいます。確かに、親の依存的不安や怒りの涙は困りますが、親として、「悲しい」とか「嬉しい」とか「感動」して流す涙は、生きている人間の心の姿をありのままに見せる上で、子どもの前であっても何ら隠すべきものではないと信じます。
母親に訴えかける子どもの心の声
多彩な大脳生理学の研究で世に知られる京都大学名誉教授の大島清先生のご著書の中に「言葉を一番覚えやすい時期(10歳前後まで)に習得しておかないと、おでこの方の前頭前野(脳のソフトウェア)自体が完成しない」というようなことが書かれていたことを思い出します。小さい頃から、まんべんなく「五感」や「運動情報」を脳に送ってやらないと、ソフトウェアが未完のままになり、思春期を迎えると、性欲が暴力に変わるという出来事が頻発するというのです。
子どもの頃に「嬉しい」「美しい」「ここちよい」「悲しい」「おいしい」などの感情や情動を養わなければ、バランスよく五感を働かせることができないということです。赤ん坊の時にスキンシップに飢えて大人になると、ドメスティック・バイオレンスといって母親がむしゃくしゃした時、一番弱い子どもに暴力を振るったり、場合によっては殺したりするようになります。
この「おでこのソフトウェア」は、すべて言語に立脚したものであるがゆえに、子どもが自分の意思をはっきりしゃべることができるかどうかは、子どもと接する親の感情レベルが安定しているかどうかにかかっています。親といっても、ほとんどの人が心の深いところになんらかの感情的な心の傷を抱え、言葉による自己表現が難しい状況にある人も少なくありません。
時々、親子(特に母子)のコミュニケーションがとれない問題を抱えてセッションに来る人々がいます。そんな人たちの多くが、ここへ来る前から何らかの公的機関や心療内科及び精神科等を体験していますが、よく耳にするのが、「お母さんが原因です。お母さんが変われば子どもは変わるんです。もっとお子さんの気持ちを受け入れることです」とアドバイスされた母親が更に深い自己嫌悪や自己否定に陥り、一方的に子どものすべての要求に従うことだと思い込むと、子どもより酷いウツ状態になることがあります。すると、家ではその子に対して腫れ物に触るようにビクビクしてしまい、子どもと目を合わせるのが怖くて、血圧は上がり、不整脈で親の方が先に倒れてしまうというケースがよくあります。こんな場合は、その親子同士がお互いの「月光菩薩」になっていますから、お互いの顔色をみながら、相手を怒らせないように気遣ってみても意味がありません。
子ども時代に「情緒」を学べなかった母親が子どもを育ててゆく中で、体験したことのない部分は伝えられないし、教育できなくても不思議ではありませんね。そこで、母親の「喪失した部分」を見せてくれるのが子どもです。子どもは、親の持つ隠れた「怖れ」の部分を引き出して見せるのです。子どもの心の声は訴えます。「お母さんの心の中にある、自分自身を責めたり、自分を許せない気持ちから出てくる『恐怖心』が今のボクの反抗的態度なんだよ」「お母さんが自分の心をラクにしてくれたら、本当に自分自身の心で感じて、言葉で話してくれたら、心の底から笑ってくれたら、ボクもやっと笑えるし、話せるし、ラクになれるんだよ」
「お母さんの喜んでる姿や愉しんでいる姿がボクを解放してくれるんだ。もうこれ以上、お母さんのこと、心配しなくてよくなるんだから安心して自分のことに集中できるってわけさ」「お母さんが最初に救わなければならないのは、お母さん自身だよ。お母さんが『失敗』したと思ってきたことは、貴重な『体験』だったことを思い出してね。他人との比較で自分を見つめても、劣等感や無力感しかでてこないよ。お母さんは、そのまんまですばらしい存在なんだ。自分は必ず幸せになれると信じ、努力している自分にエールを送ってほしい。たとえ、他人が評価してくれなくても関係ないよ。そしてボクのことを心配するのをやめてほしい。ボクもお母さんができるように、自分の自由を体験してみたいんだよ。自分が望む人生を歩み続けたいんだ、本当はね」
こうして子どもは、お母さんが変わってくれる日を待っているのです。このように、お互いを鏡として自分自身を投影していたのでした。どちらかが先に立ち上がれば、必ず片一方にも大きな変化が現れるのです。
自分の決断や発言や行動を信頼した時、初めて自分以外の人々を心から受け入れ愛せるようになるのです。
母親の精神状態を映し出す子ども ケース2
今、ふと心の中に浮かぶもう一組の母子の姿があります。それは、極端に変わって美しい女性に変身したケースです。母親は50才、娘のA子さんは22才になったばかりでした。A子さんは、「顔を見ては悪いかしら」と思うほどのアトピー性皮膚炎で顔中が爛れていました。今だかつてこんなに酷い人を見たことがないくらいでした。彼女は気分も塞ぎがちで、いつもほとんど下を向いて、保健の事務職に携わっていました。
2回目のセッションでは母親を同伴してやってきました。当時、必要に応じてやっていた誘導退行催眠をA子さんに施しました。するとすぐに、胎児状態になり産まれる寸前の様子から始まりました。「あっ、来た来た。(ドクターの)白い服だ、あったかーい。大好き、嬉しい!」こんな言葉がポロポロでてきます。「さあ、これから(お腹の)外に出ましょうね。生まれるのよ、準備はいいかしら…」と私が誘導します。
「でも、生まれるの、怖い、怖い」「だいじょうぶよ、出ていらっしゃい、皆よろこんで待っているからね」「ううん違う、お母さんは喜んでないよ、私のこと、嫌がってる」「だいじょうぶよ、皆待っているから」……こんな調子で出産しました。それから産院のドクターの名前を何度も呼んでは、とても嬉しそうな笑顔になります。母親の話によると、その医者が彼女に命名してくれたそうです。
1、2才の頃の記憶へと誘導していくと、今度はキョロキョロして母親を探す仕草をするので、「お母さんはどこにいるの?」と私がたずねると、「お母さんはどこにもいない」「お母さーん、オムツが気持ち悪いよー」「お母さん、抱っこしてほしい」「お母さん、お母さん」このように母親の姿を何度も探しています。ありったけの声を出して泣いても誰も来てくれないと怒っています。
最初、母親は私に、「この子が産まれてからは、外で働けないので、家の中で頼まれものの洋裁の内職をしていました。できるだけ、子どもの側にいたかったからです」と話されました。どういうことなんでしょう。A子さんの話す内容と、大きくズレが生じてきました。側で我が子の催眠状態を眺めていた母親はうつ向き、顔を少しゆがめながら悲しそうに、苦しそうにしたので、私は母親にもう一度、聞いてみました。すると、「A子を脇に置いて仕事をしていましたが、忙しくて、泣いてもすぐにオムツも変えれなかったし、あんまり抱きあげることもしなかったんです。それに哺乳びんもA子が自分で飲めるように手に縛ったこともありました」と告白されました。
しかし、問題は、お母さんがいつも、心の中で、「この子がいなければ、もっと外で自由に働けるのに」と離婚直前に妊娠してできてしまったA子さんに対して、うっとうしく思っていたことでした。それに対するA子さんの悲しみと怒りの気持ちが潜在意識に残っていました。しかし、人一倍、母親を求め、反発し、それでも母親の元を離れられない自分への自己嫌悪が副腎の機能を低下させていたのでしょうか、このように強烈な「感情の爆発状態」がアトピー性皮膚炎をつくってしまいました。
働いて生計を立てている母親に対しては、何一つ遠慮してグチも言えませんでした。「母親の邪魔をしてはいけない」という気持ちが日頃から強く、そして、怒りがでてくる自分をもてあましていたようです。しかし、その原因のすべてが分かり、ただ過去の流れを受け入れることができた時、初めてこの母子がお互いによく似たカルマを持ちあわせた最も近い協力者同士であったことに気づきました。
それ以来、少しずつお互いに距離を置いて「自由」を与え、A子さんは食べ物や水も変えて、自分自身の心を隠さず話せるようにようになりました。めげずにテニスクラブにも通いました。そして、2年後に会った時は別人、別人格のように美しく変身(心)され、親子とも10才位若返って見えました。この2人の実践力に多くの人々も励まされたのでした。そしてA子さんは「これからお母さんとショッピングです」と、嬉しそうにお母さん手作りの洋服姿で人混みの中に消えていきました。
このように数多くの親子は、最も近い存在同士が、本当の自分自身を発見するまでの、そして、じっくり取り組むための魂の約束の相手だったのです。したがって、「母親が変われば子どもが変わる」という意味は、子どもの気持ちを優先して、母親が自分の気持ちを抑えたり、我慢する姿勢ではありませんでした。
自分自身の決断や行動や発言を心から信頼し、他人に答えを依存したり、期待しなくなった時、初めて心から自分以外の人々を受け入れ、愛することができるようになるのです。そして何よりも、相手に対して心の深い所から言葉を超えた「感謝」の気持ちが湧きあがってくるでしょう。深い感謝は深い歓びを導いてくれます。世界が変わってみえるでしょう。「意味」の取り違えは、かえって新たな心の病を拡大することになりかねません。決して難しく考えなくてもいいのです。
多くの子どもたちの感情爆発による反抗やひきこもり、あるいは自閉などは、親自身の束縛や劣等意識や自己憐憫で自分を弱体化させている部分に焦点をあて、今、変えてゆくチャンスを提供してくれていると解釈できます。一つひとつ子どもとのぶつかり合いの中で、親の心も成長しています。今一度、子どもの本音を聴き、親も本音で語りましょう。子どもとしっかり向き合い、とことん関わり合っていく中でしか、すべての問題は解けません。格好悪くても構わず、自らの真実に立ち向かう者の心の中にだけ「愛」が溢れています。その愛を信じて行動しましょう。「神」を求める心があるなら、まず自分自身の道を歩んでゆくことから始めましょう。さらに深い愛の扉が見えてくるでしょう。
<次回 第12章 色彩は心のことば>