愛と自由への旅立ち 

松尾みどり


欲しい情報がすぐに手に入る時代ですね。
でも、昔から受け継がれた素晴らしい教えにも
ほんの少し、耳を傾けてみませんか?




第14章 古人(いにしえびと)の生活の知恵に学ぶ


昔からの知恵が伝えられていない現代社会

 「もう少し早かったら…。お母さん、残念ですがお子さんは息を引きとられました」そう言い残して、残念そうに立ち去ってゆく医者の後姿を見送りながら、その若い母親は今しがた、息を引きとったばかりの赤ん坊を胸に抱きしめながら、見る見る顔を紅潮させると、「ウーッ」と唸るような声で床にすわり込んでしまいました。後ろから駆けつけてきた夫が、抱きかかえるように彼女を椅子にすわらせました。

 彼女とは時々顔を合わせていた、産婦人科と小児科併設病院の待合室で順番待ちをしていた私は、彼らのすぐ隣のコーナーに呼ばれ、一部始終を聞くことになってしまいました。私は当時、1ヵ月後に出産を控えていた身であったので、その若い夫婦の気持ちは他人ごととは思えず、胸が詰まる想いでした。聞くところによると、その若い母親は、子どもの高熱による痙攣に狼狽し、赤ん坊を抱いたまま病院に駆けつけましたが、ちょうど休診日にあたり、開いている病院を次々と探し回っているうちに、子どもは高熱による脱水症状で手遅れになってしまったのです。

 赤ん坊は、この地球にやって来ると、今まで体験したことのないような様々なウイルスやバイ菌に接触することになります。母乳を通して母親からもらった抗体で、通常は乳児は約半年間くらいは病気にはかかりにくいものですが、様々な個体差のある遺伝子的問題で、それができない子もいます。

 先の若い夫婦にとって、初めてできた男の子を、幼くして亡くした悲しみは、如何ばかりかと察するに余りあるものがありました。しかしまた、もしその若い母親に少しでも、子どもの病気や熱に対処する知恵があったならば、我が子を救えたのかも知れません。早めに水分を充分に補給し、脱水を防ぐことを知っていれば、体温をたった一度下げることで、脳に痙攣を起こさせずにすんだでしょうに。

 その後も似たような人たちに出逢うたびに、「知らないということは実に哀しいことだ」と感じてきました。こんな時、相談できる親や知人や知恵者がいれば、様々な危機や危険を回避できたことでしょう。かつての道元禅師が「もし世の中に悪や罪というものがあるとすれば、それは『無明』(知らないということ)に他ならない」と言われた言葉が胸に迫る想いでありました。

 昔の家では多くの人々が、祖父母、夫婦、孫と三代にわたるタテの繋がりで共に暮らしていましたが、現代では核家族、共働き、少子化などで、「おばあちゃんの知恵」を授けてもらえなくなりました。その代わり、友だち同士のヨコの繋がりが増えたり、本やテレビやインターネットによる情報入手が主流となってきました。しかし、イザという時は、身についたものでなければ、間に合わないことが多々あります。

 都会に住んでいれば、隣家の人を何年間も見たことがない人もいて不思議ではありません。近所付き合いもない人たちが増える中で、近所の人たちと助け合ってゆくことも、なかなか難しい状況です。今こそ、長い経験で培った知恵を活かせる高齢者たちの出番ではないでしょうか。

 ホームドクターのように各地域に、「おばあちゃんの知恵袋協会」があったらいいなぁと思っています。もしかしたら、結構あるのかもしれませんが、もっともっと一般化され、若いママたちが安心して「生き方」や「子育て」について教えてもらえるところが欲しいと思います。昔、私も若いママさんたちに、小さなグループでお話をしたことがありましたが、最近また若いママさんたちの心のケア、生き方、食べ方について、新たにどこかで伝えてみたいとも思い始めました。


食に対する姿勢は生き方にも投影される 

 最近「保育園児の中には、朝食を食べてこないで登園する子が増えている」とか、「朝食はなし、あるいは朝食の代わりにお菓子やジュースを飲食するだけの小中学生が多くなった」という話をよく耳にします。子どもを育てる母親が、ストレスで食事を作れなくなったのでしょうか。人は生き方に自信を失うと、味覚障害さえ生じることがあるものです。

 食事は細胞だけではなく、精神(心)にも大きな影響を与えています。タンパク質やビタミンやミネラルが極端に不足すると、体は歪み、姿勢も前かがみになり、肩や胸だけで呼吸をするようになります。お腹や腰の力が抜けて、首、肩、腰、足首が硬くなり、ノイローゼ気味になるか、イライラして過食や拒食になったり、興奮しやすくなる、いわゆるキレる子どもや、大人ができあがるのです。今さらながら、食の大切さを考えさせられます。

 食事の摂り方や食べ方は、自分自身の生き方に投影されているはずです。半世紀前とは違って、飽食の時代に生きている私たちは、どんなに珍しいものでも、お金さえ出せば、何でも手に入る時代にはなりましたが、いかんせん、昔から人々が体験し、残してきた貴重な人類の知恵を使えていないような気がします。親から子へと、伝えられるべき大切な人間の宝はどこへ消えてしまったのでしょうか。

 「生きること」はすなわち、「呼吸すること、食すること、創造すること」に他なりません。しかしながら、必ずしも、昔そのままの食事法が正しいと言っているのではありません。昔の常識が今の非常識になっている部分もあります。時代を超えて、人々の心に長く受け入れられてゆくものの中には、真理が潜んでいるものです。そして、新しい感覚で始まるものは、古の知恵の下に築かれているものが少なくありません。常に過去の体験から何を、どのように学んだかがその人の人生を左右します。

 私が子どもの頃は、食事の前に母親から「偏食しないで、残さずいただきましょう」とか、「農家の人に感謝して、働いてくださるお父さまにも感謝しましょう」と言った後に「いただきます」とお箸を手にしたものでした。「食すること」に感謝するという気持ちの大切さを教えられたことは、今でもよかったと思います。しかし時には、「残してはいけない」と思い込んで、こっそり隠れては、残飯を捨てたりしました。

 私の親の時代は、大戦をはさんで、食物に飢えた時代でした。何でも「もったいない」とモノを仕舞い込むクセがあります。そして何年も使用していないモノに、色々理由をつけて、処分できない「執着物」になっていることもあるようです。モノを貯め込むのは、自分の考え方に自信がない時です。自分の「生き方」が定まると、「必要なモノ」がはっきりして、家の中がサッパリします。

 食事の量も、本来は自分の腹具合が決めることです。お腹も、時には休ませることが必要です。人生にいき詰まりを感じたら、断食をしてみると、道が開けることもあります。


気候風土に合ったバランスの良い食生活

 先日、ある本の中で渡辺昇一氏が、子どもの頃は偏食で、肉も魚も食べられず、代わりに胡麻味噌や納豆に納豆汁やなめこ汁のような物ばかりに偏っていたが、今思うと体が本能的に求めていたタンパク質であったと語っておられます。肉食は明治時代に我が国に入って来たといわれますが、それ以降、日本人の考え方も体格も西洋人型になり、病気も昔の日本人に多くみられた胃ガンから、食物繊維不足で起こるとみられる、大腸ガンや直腸ガンが増えてきました。

 納豆は、すでに3世紀には、卑弥呼も常食していた健康美容食だったようです。発酵食品が体内で熱をつくることを体験的に知っていたのでしょう。対する外国では、1万年ほど前からチーズが作られていたことが広く知られています。哺乳動物の乳を乳酸発酵してできるヨーグルトから乳清(水分)を除いて作るフレッシュチーズは世界最古の人の知恵によってつくられた食品でした。

 私もチーズが大好きで、人類の知恵の恩恵に預かっています。渡辺昇一さんも、46年前、ドイツに留学して以来、チーズと黒パンを朝食に常食するようになって、すっかり疲れなくなったと書いておられます。「チーズは牛乳と違って体を温めるので、体温を上げ体を引き締める効果がある」という石原結實先生の解説で納得できます。それに多少オーバーかもしれませんが、渡辺氏が毎日チーズやバターを食べているうちに、考え方もヨーロッパ的になったのではないかという笑談がありましたが、まんざら無関係ではなさそうです。

 海外生活や旅行をしていると、現地食を続けているうちに、感覚や考え方がその土地の人のような感じに変わりませんか。「郷に入っては、郷に従え」という諺がありますが、そこには真理が隠されています。

 ハワイやブラジルで生まれた日系人たちは、現地の食物を食するので、考え方や感じ方が、やはり日本生まれの人とは違います。また体も現地のエネルギーに適合してくるので、その土地の物を食することで、自然と共存できるようになります。

 日本では昔から、四季に応じた旬の素材を生かして、できるだけ加工せずに食することを教えてきましたが、実に理に適っています。日本人はもともと大自然の恵みを受けた生命素の高いフレッシュな食物を食することで、優れたバランス感覚を身につけ、柔軟性を持つ国民になっていったのではないでしょうか。従って、夏の暑い時はトマトやきゅうりやナスのように体を冷やすものを摂り、冬は体を温める根菜や葱類、ニラ、ニンニク、豆、もち米やそばなど、日本人の知恵食を大いに活用して、健康に役立てましょう。

 体を温める飲物としてイメージされるコーヒー(豆)は、暑い所で採れる食物なので、実際は体を冷やし、利尿効果が高く、コーヒーを飲むとトイレが近くなるわけです。しかし、コーヒーに含まれているカフェインなどの有機酸は、血液中の毒素を胆汁と共に排泄するように働きかけるので、排毒作用もあります。時には便秘や宿便の治療法として、コーヒー浣腸が使用されていると知って、なるほどと納得したものです。


大自然と共存共栄する生き方を古人の知恵から学びたいものですね。


伝えていきたい歳時記の教え

 こうして眺めてみると、どこの国にもその土地にあった「歳時記」を、後世の人に古人の知恵として伝えていきたいものだと思います。私も若い頃は何も知らず、何も分からず、失敗を重ねましたが、それが後に知恵となり、自分自身を救ったのだと思っています。

 私が日本人として、「日本人の知恵」について初めて意識した日のことが思い出されます。20才の頃、短期間ながら池之坊大学の教授職を退官された、当時90才位の「おじいちゃん先生」に、華道についての講義を受けた時のことです。長い講義ばかりが続き、なかなかお花に触らせてもらえず、退屈する生徒さんもいましたが、私はそのお話で、日本人の素晴らしい知恵に目を見開くことができたのです。今でも印象に残っているのは、「日本人は、なぜ正月に鏡餅を食べるのか」ほか、古い日本家屋の建築構造についてうかがった内容でした。

 人は物を食すれば、必ず体内で発酵し、その途中でガスが作られ、残された老廃物質を体外に排泄する必要がある。食物から栄養素を取り入れると共に、体毒をいかに排毒するかが大切。そこで正月には1年のご馳走をいただいた後、体内でつくった毒素を体外に出す必要があって、もち米で作った鏡餅を食べて排毒させたのです。それから、正月に食べた餅が、二月には顔や体に吹き出物をつくり、三月の桃の節句に桃の葉のエッセンスで、その荒れた肌を治すということでした。また、お正月のご馳走で疲れた胃腸を休めるために、無病息災を願って、正月七日と十五日に七草粥を食するようになったとのこと。

 また五月には、五月雨の季節を迎え、茅葺き、藁葺き屋根の中で、春に産卵した幼虫が生きているので、屋根の廂(ひさし)に菖蒲の葉を差して、いろりで煮炊きする湯気で蒸された菖蒲から出される天然の化学物質で、幼虫を殺す仕組みになっているのでした。当時、文字も読めない人も、節句は古人の知恵を伝承する手段であったのかも知れません。さて、現代における「歳時記」はどのように変化したのでしょう。たとえ時代のライフスタイルが変わっても、古人の知恵の素晴らしいところは残していきたいものですね。

 では、もう一つ、私がやはり若い頃、アルバイトで1年間だけ、アメリカ出身の比較文化人類学者、T・ローレン博士の研究の見習助手をやりながら教わった、オーストラリアのアボリジニ(原住民)の文化について、ふれてみたいと思います。

 アボリジニの多くに、意識伝達(テレパシー)によるコミュニケーション能力が認められることや、ある細長い木の内部をえぐりぬいて作った楽器による音楽で、トランス状態に入り、心や体を癒す人々の話、そして保存した女性の生理血で傷口を治したり、またそれは、宗教的儀式に用いられたりすることなど、驚く内容ばかりでした。そして、それらの内容のいくつかは、近年に出版された、M・モルガン女史の『ミュータント・メッセージ』の本の中でも確認できました。


生理血溶水で大きく育ったてっぽうユリ

 また、プレアデス系の情報の中でも紹介されたことのある、生理血を利用して植物を育てる実験について、私もやってみましたが、あるセミナーでも紹介しました。すると、実際に実行された多くの方々から、「本当にびっくりしました!」という報告がありました。これまで、「生理血」は汚血であると教えられた私たちでしたが、それは意図的に仕組まれたものでしかありません。胎盤から作られる、プラセンタエキスは皮膚の若返りに使われる化粧品に利用され、高価な価値のある商品として女性たちの間で引っぱりだこです。ある産婦人科医師は、胎盤だけを買いに来る業者が後を断たないと言います。生理血は汚血などではなく、植物にとっては、とても栄養価の高いものなのです。その実験報告の中から、いくつかご紹介してみましょう。

 友人のSさんは、同じくらいの大きさの小さな観葉植物を二鉢買ってきました。片一方には普通の水だけを与え続けました。もう片方は、まったく肥料も与えず、少量の生理血を溶かした水だけを与えました。すると2・3ヶ月で、その成長の差は4〜5倍のひらきがありました。「生理血溶水」の方が明らかに茎や葉の勢いがよく、葉の色も深い緑色になりました。

 もっと面白い結果がでた人もいます。Aさんの自宅玄関先の地面に植えられた、成長の遅い白い「てっぽうユリ」に、「生理血溶水」を毎日、少しずつ与え続けました。すると、2・3ヵ月後には、何と(花の大きさは変化なしでしたが)茎と葉だけが、屋根の軒下位の高さに成長してしまいました。玄関に隣接する表通りを歩く人々が、その背高のっぽの「てっぽうユリ」を見上げては、呆れ顔で覗いて通るようになりました。中には「いったい、どんな肥料を与えておられるですか」と尋ねてくる人もいたそうです。とてもユーモアのたっぷりの、そのユリの育て主であるご婦人は、「ええ、企業秘密になっている肥料です。表では言えませんので、どうぞ裏口の方へおまわりください」と澄ました顔で言ったとか(笑)。

 また、Tさんは室内の観葉植物のドラセナに「生理血溶水」を与えると、ここでも同じく、天井に届くほどに茎も葉も成長し過ぎて驚いた、という報告を受けています。ご興味のある方は一度試してごらんください。

 その際の「生理血溶水」の作り方をご紹介します。とても簡単です。ペットボトル(2リットル)の水に対して、生理血(20cc以下)です。水にはほとんど色がつくかつかないかくらいの、ごく薄いピンク色とでも申しましょうか、そのくらい薄い溶液です。逆に濃度が高いと、植物は枯れてしまうことがありますので、くれぐれも注意が必要です。


植物の成長具合は育てる側の心の状態に比例する 

 また、育てる植物や野菜は、自分の分身だと思って、優しく楽しく話しかけたり、歌ってあげたりすると、速く成長します。実験して分かったことは、悲しくて暗い、恨み節のような歌の波動を植物は嫌いますから、枯れてしまうことがあります。実際に中世時代のドイツやオランダの農夫たちは、大きな水桶に厳選した粘土や石を入れてかき混ぜ、容器の縁を棒で叩き、心をこめてエネルギーを送った波動水を、朝日が昇る時、陽気な歌を歌いながら畑に水まきしました。すると、必ず大収穫になったという記録が残されていたといいます。

 ここでも、あなたが育てる植物の成長具合は心の状態に比例し、自分の心を映す鏡として観ることができます。家人の中に劣等感や自己嫌悪に悩む人がいたり、夫婦喧嘩が続くと、その波動で植物は枯れることがあります。また観葉植物は、とてもデリケートな生き物ですから、周囲のバイブレーションに直ぐ反応します。できるだけ電子レンジやTVや冷蔵庫、そしてコンピューターなどの強い電磁波を発信しているモノの側に、生き物は置かないでください。また、空気の流れが悪く、太陽光の届かない場所では、花や緑などの植物は、すぐダメになってしまいます。

 こうして、地球上のあらゆる地域の植物をはじめとする大自然は、人間に古人の知恵を生かして、自然と共存共栄することを訴え続けてきたのです。



<次回 最終章 人生の選択>