(邪馬台国と大和朝廷を推理する) 
とんぼおい みちがわになる やまあるき
邪馬台国 簡単ナビゲーション
『日本書紀』や『古事記』によれば、10代崇神天皇の時代に、北陸道に派遣された将軍オオヒコと、
その子で東海道に派遣された将軍タケヌナカワワケが会津で出会ったと書かれています。
会津盆地では、磐梯山を囲んでトンボの交尾の輪ができていて、耶麻郡山都町の地名は卑弥呼の都
に対応するように見えます。また、盆地の西南の会津高田は奈良盆地西南の大和高田に対応してい
ます。おそらく邪馬台国の記憶を心に保っていた初期大和朝廷の人々の移住があったと思われます。
オオヒコとタケヌナカワワケの伝承も何やら信憑性が出てきます。
考古学的にも面白い遺跡が見つかっています。舘の内遺跡(喜多方市)と杵ヶ森古墳(坂下町(ばん
げまち))です。舘の内遺跡は弥生時代末期の遺跡で、出雲で栄え、のちに北陸に伝わった四隅突出
型墳丘墓が北陸系の土器とともに発見されました。杵ヶ森古墳は古墳時代初頭の前方後円墳で、平
面プランが箸中山古墳(箸墓)にそっくりです。
参考・会津の考古学情報 弥生時代末期の遺跡 舘の内遺跡(喜多方市) 桜町遺跡(湯川村)
最古級の前方後円墳
杵ヶ森古墳 坂下町HP→ 文化財マップ→ 18杵ヶ森古墳
家の洗い、マンションの洗い、換気扇の洗い等。
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