箸中山古墳(箸墓)は卑弥呼の墓とされることも
あるようですが、おそらく10代崇神天皇陵だろう
と思います。
崇神天皇陵は山の辺の道のマガリの岡にあるとさ
れています。山の辺の道は古代の上津道のことで
しょう。上津道は前方後円墳をまっぷたつに切り
裂いたりしながら作られた道ですが、さすがに箸
中山古墳をつぶすわけにはいかなかったようで、
箸中山古墳にかかるところでは、上津道の方が古
墳をよけて東にふくらんで曲がっています。マガ
リの岡というのはこの箸中山古墳をさす言葉で
す。
新聞報道などでは3世紀後半の古墳とされること
が多いようですが、正解は4世紀初頭です。会津
盆地で最古級とされる杵ヶ森古墳が箸中山古墳と
同じ平面プランを持つのは、崇神天皇のころに会
津への入植がはじまったからと考えれば無理があ
りません。
纏向遺跡は、台与の時代の後半にかかってはいま
すが、主として大和朝廷発祥の地の遺跡と考える
べきだと思います。
では本当の箸墓はどれかといえば、それは巻向駅
の西にある勝山古墳だろうと思います。ホケノ山
古墳などのこの時期の周囲の古墳が主軸を勝山古
墳に向けているように見えることが大変気になっ
ているのです。
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