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●享保2年(1717)
●享保5年(1720)
●享保10年(1725)
●享保11年(1726)
●享保17年(1732)
●享保18年(1733)
●享保19年(1734)
2月16日−鳥取藩領内日野郡の農民4,000人が年貢減免要求・
請免(うけめん)制反対で鳥取城下に強訴し,3月4日には会見(あいみ)郡,河村郡
ほかの農民4,500人が城下で救い米を嘆願する。
4月1日−鳥取城下で大火,本丸・二の丸はじめ武家屋敷・町屋・寺社など2,500余軒を焼失。
4月23日−鳥取藩が年貢不足により,これまでに追放した農民973人を赦免する。
鳥取藩が高坂景嶂に「因伯地理志」の撰述を命じる。
この年、近畿から九州にかけて雨が数十日降り続き、蝗虫大発生による飢饉,餓死者1万2,000人余に達する(享保の飢饉)。
12月1日−鳥取藩が貸し札制を設け,藩士・領民の救済をはかる。
3月1日−鳥取藩内で貸し札の引き替えに人々が殺到して騒動とな
る。11月1日,貸し札の通用を停止する。