慶長年間リンク⇒ | 東北 | 関八州・江戸 | 東海・北陸・甲信 | 近畿 | 中国 | 四国 | 九州 | 洋上 | 前ページへ |
●慶長6年(1601)
●慶長6年(1602)
●慶長9年(1604)
●慶長11年(1606)
●慶長12年(1607)
●慶長13年(1608)
●慶長14年(1609)
●慶長15年(1610)
●慶長16年(1611)
●慶長17年(1612)
●慶長18年(1613)
●慶長19年(1614)
5月−家康が駿府に葵文庫を設立する。
駿河に岡部宿が設置される。
大井川洪水で島田宿が流出、野田前に移る。
4月−駿府城主内藤信成、近江長浜4万石に転封。
駿府に銀座が設けられ、湯浅長左衛門が銀吹人となる。
3月−幕府が畿内近国の諸大名に命じて、伏見城の金銀・財宝を駿府に運ばせる。
3月−貿易商・角倉了以が富士川の舟運を開く。
4月−林羅山が家康に、季時珍の「本草網目(ほんぞうこうもく)」を献上する。
7月3日−駿府城が完成し、家康が移る。
12月22日−駿府城、全焼する。
3月11日−駿府城本丸が再建される。
5月−家康が駿府に集まった女歌舞伎や娼妓を追放し、安部川町に居住を許可する。
6月−駿府城本丸から再び出火、家康、出火した女中2名を火刑に処す。
家康が駿府城下の地子(じし=宅地税)を免除する。
12月18日−家康がスペイン国王に書簡を送り、貿易を保護する。
12月−徳川頼信、水戸25万石より駿府に移り、50万石を領す。
琉球王・尚寧(しょうねい)が薩摩藩島津家久に伴われ、家康に謁見する。
家康と将軍秀忠が稲富一夢から砲術の秘伝を受ける。
12月16日−家康が明の商人周性如に渡航朱印を与え、福建総督に書を送って勘合符を求める。
3月6日−家康、九男義直らの叙任と朝廷への御礼言上のため駿府城を出発。
5月−スペインの対日使節ビスカイノが家康に謁見し、沿岸測量と通商許可、オランダとの貿易停止を求める。
7月−ポルトガル使節ソトマイオールが家康に貿易再開を要求、9月、許可される。
3月21日−本多正純の家臣岡本大八が肥前藩主・有馬晴信を欺いた罪で、阿倍川の河原で処刑される。
4月25日−大久保長安死去(69歳)。
6月20日−家康がスペイン使節ビスカイノに対し、キリスト教布教の厳禁と貿易継続を伝える。
8月4日−ルソン貿易船の日本人船主・西類子(ルイス)が家康に謁見する。
8月15日−明の鄭芝竜(ていしりゅう)が家康に謁見し、薬物などを贈る。
9月27日−オランダ商館長が家康に、ポルトガルは領土への野心ありと告げる国王の返書を差し出す。
5月5日−修験道の本山派と当山派の争論に関し、家康が照高院道澄・三宝院義演などを召喚して裁決する。
6月26日−シャムより帰国した堺商人・木屋弥三右衛門が家康に謁見する。
8月4日−イギリス東インド会社司令官ジョン・セーリスが家康に謁見し、国王ジェームズT世の国書を提出する。
7月26日−大御所家康が、京都方広寺大仏開眼供養を目前にして、鐘名に異議を唱える。
8月−片桐且元、方広寺鐘名の弁明のため来駿。
10月1日−家康が、近江、伊勢、美濃、尾張の諸大名に大阪出陣を命じる。家康は11日、駿府を出発。