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●寛永元年(1624)
●寛永3年(1626)
●寛永4年(1627)
●寛永8年(1631)
●寛永9年(1632)
●寛永10年(1633)
●寛永12年(1635)
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●寛永15年(1638)
●寛永17年(1640)
●寛永19年(1642)
8月11日−将軍家光の弟、甲府城主忠長が甲斐のほかに駿河・遠江でも加増され、50万石となり、駿府城に移る。
2月7日−シャム(タイ)・アユタヤの山田長政が駿府・浅間神社に軍船の絵馬を奉納する。
8月−東海道・関東に大洪水がおこる。
11月23日−関東・中部―富士山が噴火し,江戸にも降灰がある。
5月28日−忠長、甲府に蟄居を命ぜられる。
10月28日−幕府が駿府町奉行を復活させる。
2月−大久保忠成、初代駿府城代となる。
10月−東海道沿道に盗賊が横行し,小田原・駿府など5ケ所に懸賞金を出して査検させる。
11月29日−大火のため駿府城天守閣消失。
3月−幕府が東海道で道中助馬の制を定める(助郷の先駆け)。
11月2日−諸宿の伝馬が100頭に改定される。
この年,治水事業家古郡重政が富士郡加島新田の開発を開始する。
旗本松平忠晴が駿河の田中2万5,000石の大名に取り立てられ,焼津港の漁業振興を始める。