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●寛永2年(1625)
●寛永8年(1631)
●寛永9年(1632)
●寛永10年(1633)
●寛永12年(1635)
●寛永13年(1636)
●寛永15年(1638)
●寛永17年(1640)
●寛永18年(1641)
●寛永19年(1642)
尾張領内農民の他国居住を禁止。
尾張藩でキリシタン詮議。57人処刑される。
尾張藩付家老成瀬正成の領地にある溜池(入鹿雨池)の本格的築造に着手。
入鹿に新田開発のため,入鹿池が完成する。
この年、全国でキリシタンでないことを証明する寺請制度が広がる。
尾張藩長良川番所、長良川の川筋が変わったため、早田(そうでん)村馬場(ばんば)
から中河原へ移転する。
11月2日−諸宿の伝馬が100頭に改定される。
尾張藩、農民取締条目を決める。
尾張藩、御国諸士法度を決める
1月−尾張藩が十人組掟を定めるとともに,農民の他国出稼ぎを許可する。
2月−5月にかけて全国的に大飢饉がおこる(寛永大飢饉)。