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●天明元年(1781)
●天明2年(1782)
●天明3年(1783)
天明4年(1784)
●天明5年(1785)
●天明7年(1787)
●寛政3年(1791)
●寛政4年(1792)
●寛政6年(1794)
●享和2年(1802)
●享和3年(1803)
尾張藩国奉行所の機構改革で代官は任地駐在となる。
1月14日−名古屋が大火にあい,1万3,000余軒を焼失する。
尾張藩、藩校明倫堂を設立。細川平洲を初代総裁とし、町人・農民にも解放する。
尾張藩、飢饉のため藩の蔵米を放出する。br>
幕府、美濃・尾張・伊勢三国の護岸工事を日向国延岡藩に命じる。
日光川開削工事に着手。
名古屋で幕府公許の芝居小屋である大芝居が禁止され,その
他の小芝居だけとなり、また幕が禁止されたため簾(すだれ)が代用される。
12月29日−尾張・美濃・伊勢の3国で銀箔の隠れ打ちが横行しているため、
幕府が銀類の専売厳守を命じる。
4月−尾張藩の儒者細井平洲らが藩主の命により中国唐代の政治書「群書治要」
を刊行する。
尾張藩、木綿統制令を発布。
幕府より、発行高・米12万石以下、期間・25年の条件で藩札発行が許可される。
2月−尾張藩が綿会所を設置して綿取引の統制をはかり、また4月8日に正米会所を設置し、
のち同会所での延米(のべごめ)売買を認める。
11月−尾張藩が、瀬戸焼を蔵屋敷に回送すべき蔵物とし,瀬戸・赤津・下品野(しもしなの)
3村に御蔵会所を設ける。
11月10日−尾張藩が米切手換金のため商方会所、農方会所を設置する。